音楽祭~竜の王国へ
問題が起こっているミシルーラ海岸は、間に王城を挟んだ、音楽ホールの丁度反対側になる。せめてフロリアーヌ海岸の方ならばまだ近い方だったのだけれど、相手方にこちらの都合を言ってもどうしようもない。
これだけの距離だ。もしかしたらこちらは陽動で、本当の狙いは音楽祭の方かもしれない。
しかし、まだ起こっていない事件よりも、今実際に起こっている事態の方に優先して当たるべきだというのは分かっている。
街の様子を窺うような余計な真似はせず、ただ前だけをみて現場へ急ぐ。
少しばかり小高い位置にあるお城に一瞬だけ目を落とし、そちらにまだ問題が発生していないことを確認する。特に目立った問題が発生しているわけではなさそうで、煙が出ていたり、白旗が振られていたりするのでもなく、立ち寄ってまで問題が及んできているのかを確認する必要はなさそうに思えた。
「なるほど。問題か‥‥‥」
リーベルフィア全体で見れば、これから訪れる春を感じさせるような、良く晴れた日なのだけれど、いまだ遠くに見える海上ではゆっくりと暗雲が広がりつつある。
まさか天候を変えてくれなどと言われるわけではないだろうけれど‥‥‥。
「ユースティア殿」
ある程度まで近づいたところで、こちらの担当なのだろう、先程念話を送ってくださった魔法師団の方がこちらへ向かって飛んでこられた。
非常事態故、挨拶などは不要と省略して即座に問題への対処を検討する。
改めて、目の前に広がる黒雲へと視線を向けたところで、雲の中から一筋の稲妻が海上に落ちたかと思うと、とてつもない魔力を内包している黒い靄が立ち込める。
「‥‥‥まず、私が1人で向かいますから、皆さんはこちらで待機していらしてください」
「我等も共に参ります!」
得体のしれないところへ向かうのに、不安が全くないと言えば嘘になるし、魔法師団の皆さんの心意気が嬉しくなかったかと言われれば、素直にありがたかったのだけれど。
「いえ。仮に、何か別の事態が起こった時、全員で向かったのでは対処が遅れ、姫様方に危険が及ぶことにもなり得ます。ですので、おそらくはこの場で最も対応力が高いと思われる私に、まず向かわせてください」
何が起こるのか分からないけれど、とりあえずあれが何なのか確認しなければ対処のしようもないし、僕の生還率が1番高いだろう。
この場に僕が呼ばれたという時点で、僕が最初に体当たりで調査を敢行しなければならないのは決定事項だ。
それに、誰かを一緒に連れて行くことは避けた方が、というよりも、避けたい。
この国を守るという役目がある以上、すでに意味はないのだけれど、より身近な、防衛対象としての個人の存在を近くにいるのだと知られてしまうのは、相手方の性格などにもよるけれど、戦闘においては弱点、もしくは隙に繋がる。
神妙な面持ちで送り出してくださった師団の方が遥か後方に、真っ黒な靄が眼前に近付いたところで、靄の中から1人の、おそらくは男性と思われる方が現れた。
身長は僕よりも高い。アルトルゼン国王様と同じほどだろうか。黒いフードを目深にかぶり、同じ色の漆黒のローブが身体全体を覆っている。
同時に後方にも、先日見かけたのと同じ、創成教と名乗っていらっしゃる方々と同じローブを纏った方達が、こちらを見守る様に、整列していらした。
訓練すれば可能とはいえ、結構な魔力を消耗し続ける飛行の魔法を、リーベルフィアの魔法師団でもない方がこれほどにお使いになっていることに少しばかり驚いたけれど、そんな疑問はひとまず置いておく。
こちらから攻撃するなどという愚かな真似はしないにしても、これだけの距離に相手が来ていながらも、あちらから何もしてこないのはどういってことだろうかと、まずは対話を試みるべく、僕が口を開きかけたとき、彼らは空中で膝をつくような姿勢をとられた。
「お迎えに上がりました、ユースティア様」
突然の光景に目を瞬かせる僕の前で、彼らはそんなことを言いだした。
「先日までのご無礼をお許しください。しかし、全てはあなたを迎えるための準備だったのでございます」
は? 僕を迎える準備? 何を言っているんだこの人は。
どこか別の国に招かれるということだろうか? それならば、そういった手紙か何かが国王様のところへ届けられるはずだけれど。
もしかして、僕が知らないだけで、国王様はこの事をご存知なのだろうか? いや、そんなはずはない、と思う。国王様とやり取りがあったのであれば、面会はこのような場所ではなく、お城になるはずだ。
「下がれ、リンデンブルム」
更に上空から不思議な風に乗って、ナセリア様と同じくらいだと思われる年頃の女性の声が届けられた。
リンデンブルムと呼ばれた方がその場に跪拝するように膝をつかれると、天から白金の輝きを伴って、真っ白な長い髪の、やはりナセリア様と同じくらいの身長の女の子が降りてきた。
「よく来たな、ユースティアよ。我が名はルルーウィルリ・カミュゼケル・ナキュサヌート。ふむ、やはり、なかなかに良い面構えの男じゃの」
僕の名前を知っている。いや、さっきから僕の事を迎えに来たとかおっしゃられていたし、それは別に普通ではないのか。
しかし、目の前の女の子、ルルーウィルリさん、いや、先程の男性、リンデンブルムさんの態度から考えるに、ルルーウィルリ様からは、何というか、ナセリア様達に近い雰囲気を感じる。
「こちらにおわすお方は、我らが王国の姫、ルルーウィルリ・カミュゼケル・ナキュサヌート様でございます」
噛みそうになる長い名前を、リンデンブルムさんは見事に言ってのけられた。
「王国とは一体どちらでしょう?」
「竜王国でございます」
さらっと言われて、僕は思わず聞き返してしまいそうになり、慌てて口を塞いだ。
竜王国って何? お城や学院にあった地図にはそんな名前の国は載っていなかったけれど。
名前から察するに、竜の王国なのだけれど、って、それじゃあそのまんまか。
ということは、この人たちは竜、ドラゴンってことなのか?
じゃあ、創成教の事で少し噂になっていたというドラゴンって、そういう事なの?
リーベルフィアで話していた、負の感情とか、その他の物騒な話は一体どんな意味が?
聞きたいことは、それこそ山のようにあったけれど、そして、次から次へと湧いて来たけれど、口を挟める雰囲気ではない。
「人のいる場所からは隠れているための古の魔法が掛けられております」
僕の驚きを余所に、どんどん話が進められてゆく。
リンデンブルムさんはこちらの反応などお構いなしに彼らの事を色々話し始めるし、そのリンデンブルムさんを止められそうなルルーウィルリさん、いや、姫様なのならば様か、ルルーウィルリ様は、得意気なお顔でうんうんと頷いていらっしゃるだけだし。
「その、竜王国の方が私などに何の御用でしょうか?」
「先程も申しました通り、お迎えに上がったのです。我らが竜王国へと」
その言葉に何だか嫌な予感を覚えた僕は、すぐにナセリア様に念話を送る。
(ナセリア様––)
ナセリア様へと感覚が繋がったと思った瞬間、失礼致します、という言葉が聞こえて、僕は目の前で巨大な黒い竜へと変化されたリンデンブルムさんにがっしりと身体を掴まれていた。
(申し訳ありません、必ず連絡を致します)
身体に痛みこそないものの、脱出のための魔法を使用しても逃げ出すことができず、質量では圧倒的に負けていて、魔力で逆に引っ張ることが出来るというレベルではなかったため、僕は大人しく連行されることにした。
ナセリア様の演奏が聴けなくなってしまうかもしれないけれど、もし下手な事をして、音楽祭自体、あるいはリーベルフィアで行われているお祭り自体がなくなるような事態になっては謝罪のしようもない。
結局、僕には大人しく連行されるという選択肢しかとることは出来なかった。




