音楽祭 3
「申し訳ありません、ユースティア殿。国王様と王妃様はお見えになっておられません」
とりあえず、ナセリア様達を控室までお連れして、国王様と王妃様とご一緒にいていただくのが一番安全だと思ったのだけれど、アルトルゼン様とクローディア様はまだ音楽ホールにご到着されていらっしゃらないとのことだった。
騎士の方は会場や街中を警護していらっしゃるため、音楽ホールには数人しかいらっしゃらず、僕が姫様方を警護することが前提の警戒態勢が敷かれていた。
信頼か、信用か、されているのはとても光栄だったけれど、現在のような非常事態における対応が遅れてしまう、事実、遅れてしまっているのは、かなり問題があるように思えた。
たしかに、リーベルフィアは広く、全体を見回ろうと思えばこうするのが最も堅実なのだろうけれど。
「ギルドの方にはすでに連絡はいっているのですか?」
このような不測の事態に対応するのも冒険者ギルドの役割の中に含まれていた気がする。
基本的には、お城の騎士の方と、魔法師団の方が最初に出られるのだけれど、このような事態の発生に際して、緊急の案件として割高な値段での依頼が出されることがあるのだと、聞いたような気がする。
年の瀬のこの時期に、ギルドに人など居ないかもしれないけれど、少なくとも受付にはいらっしゃるはずだ。
「ユースティア」
どうするべきなのだろう。
姫様方の警護を疎かにすることなど絶対に出来ないけれど、海岸に出現しつつあるという嫌なものの正体も気にかかる。もし、それが姫様方にも届き得る脅威になり得るのだとしたら、早いうちに対処しておく必要がある。
「聞いているのですか、ユースティア」
声をかけられているのが自分だと気づき、慌てて振り返り、膝をつく。
「––失礼致しました。どうなさいましたか?」
「何かあったのはそっちでしょう?」
フィリエ様が僕の顔を覗き込まれて、表情からなにかを 読み取られようとされている。
すでに何かがあったのだということは知られてしまっているわけだけれど、余計な心配をおかけするわけにはいかず、僕はなんでもありませんと真面目な普通の顔を作って見せた。
「いえ。姫様方がお気になさるようなことはございません」
「『自分が行くことが出来れば』、ではないのか?」
エイリオス様は国王様と同じ、蒼く澄んだ瞳を向けられて、そこにいらっしゃるのは、とても9歳だとは思えない、立派な次期国王様だった。
そしてエイリオス様のおっしゃることはまさにその通りで、それは別に魔法師団の皆様を、侮るとか、信頼できないとか、そういう事ではなくて、自分で確認していない不確かなものを曖昧に判断してしまいたくないということだ。
念話での映像だけでは分からない、実際に見ることで感じることのできるものもたしかにある。例えば、魔力などの情報圧があげられるだろう。
「ユースティア、こちらは大丈夫です。ですから、一刻も早く魔法師団の方達に合流して、その脅威を排除して、速やかに、私の演奏までに戻ってきてください。そのような顔をすることもないでしょう。この状況で、ユースティアに連絡をすることが出来るのは彼らか、もしくはお母様くらいのものですから」
いや、驚いたのは、たしかにナセリア様がほとんど情報のない状況で誰からのどんな念話だったのか推測されたのにも驚いたけれど、そうではなく、ご自身の身の安全を放棄されたことだ。この場には、ナセリア様だけではなく、フィリエ様も、エイリオス様も、ミスティカ様も、レガール様もいらっしゃるというのに。
「ユースティア。あなたは何のために私たちに魔法を教えてくださったのですか? 自身を、そして大切な人を護ることが出来るようにでしょう」
ナセリア様がそうおっしゃられると、エイリオス様も頷かれた。
「その通りだ。ユースティアに教えて貰ったことだ。直接教えて貰っている私たちが、ユースティアの次に、魔法を上手く扱える。すくなくとも、この国では」
同じようにフィリエ様も、
「それに、ユースティアもお姉様の演奏を聴くのでしょう? お姉様もユースティアに聴いてもらうまでは‥‥‥演奏なされないから、あまり待たせないように帰って来てよね」
フィリエ様は、途中で言葉を飲み込まれ、おそらくは最初に考えていらしたのとは別の台詞を口にされた。
なさらない、ではなく、なされない。
ナセリア様もフィリエ様の言を否定されたりはなさらなかった。
「その事態がどんなものかは分かりませんけれど、深刻になって、今年最後のこのお祭りが中止にでもなったりすれば、国民の皆さんのお気持ちも晴れないでしょう。ですから、何もなかった、そう出来るように、私たちも精一杯やりますから、ユースティア、あなたも存分に、私たちの護衛ではなく、国の防衛としての魔法顧問の任を全うしてきてください」
僕は今までお教えしてきた魔法の事を考える。
魔導書に載っていることも、載せていないことも、約1年教えさせていただいた。
ナセリア様のところへ送られた刺客の練度、前魔法顧問殿との対戦や、国の最高教育機関である学院での指導、どれを取って考えてみても、僕が知っている程度であれば、今の姫様方が後れを取るとは思えない。
しかし、それでも不安を完全に払拭したりは出来ない。
僕の魔法だって、全能、完全からは程遠いのだから。
「ナセリア様」
僕は膝をついたまま、ナセリア様のお手を取る。
「必ず、事態を解決し、ナセリア様の演奏を聴くために戻って参ります」
横からフィリエ様が、
「約束するときにはそのまま手の甲にキスをするのよ。だって、お父様とお母様もよくそうなさっているもの」
それが本当なのかどうかはともかくとして、キスをするだけで良いのであれば、とは思ったけれど、
「‥‥‥よろしいのですか?」
ナセリア様は僕の手に載せた手を引き戻されようとはなされずに、じっとご自身の手を見つめていらっしゃるご様子だった。
「レディーにそんなこと尋ねるものじゃないわよ、ユースティア」
この空気の中、このまま立ち去り、ナセリア様に恥をかかせるわけにはいかない。
僕は、親愛と、敬意と、恩義と、色々な感情と、真摯な思いでそっと、ナセリア様の、冷たくてすべすべとした手の甲に口づけをした。
「必ず、戻って参ります」
「はい。約束ですよ、ユースティア」
何だか、嬉しそうなお顔をされたナセリア様と、ナセリア様を暖かく見つめられるエイリオス様とフィリエ様と、きらきらとした瞳を向けられるミスティカ様と、少し眠たげになさっているレガール様に頭を下げると、僕は音楽ホールを飛び出した。