あるお客様の噂
「鉱山での仕事は、死と隣り合わせですから」
鉱山で働き始めて30日ほど、その短い間にも働いている人は老齢の方を中心に次々に入れ替わっていた。
シーリーさんのお話では、なんでも鉱山や炭鉱のようなところでは、身体に害のある物質やらなんやらが充満していることが多く、病気になったり、そうでなくても身体がダメになってしまうことも多いのだとか。
「あなたは元気そうですね」
彼女は特に感情の籠らない声で、僕の食べ終えた夜のご飯が乗せられていたお皿を回収された。
「はい。自由に走り回れない事と、太陽の光を十分に浴びることが出来ないのは残念ですが、贅沢ばかりも言ってはいられませんから」
僕が1日のうちで太陽の光を浴びることが出来るのは、この部屋から出て鉱山へと向かう馬車に乗るまでの間と、馬車から降りて鉱山へと入っていく間のほんのわずかな時間だけだ。
僕が入れていただいているこの部屋には窓はなく、外からの光が差し込んでくることはない。
「‥‥‥あなたはどうして笑っていられるんですか?」
僕がパンをかじっていると、シーリーさんは俯いたまま肩を震わせて、戸惑う様に尋ねられた。
「‥‥‥奴隷に売られて、過酷な労働を強いられて、夜な夜な痛めつけられて。それでどうして笑うことが出来るんですか?」
鉱山の中、広い場所でならば振るわれる拳や振り回される鞭を躱すことは出来るけれど、狭い部屋の中では蹴とばされても避けることは出来ないし、背後には空間もないので、硬い壁にぶつかってさらにダメージを受けてしまう。
正確な理由は分からなかったけれど、おそらくは仕事の最中の僕の態度に問題があったのだろう。もしくは、ただ虫の居所が悪かったり、何かに当たり散らしたい気分だったのかもしれない。
魔法を使えば暴力から身を守ることは簡単だったけれど、彼らを余計に刺激することになるだろうと分かっていたので、特に抵抗もしなかった。彼らが居なくなった後で、少しの治癒魔法を使っただけだ。
「ここへ連れて来てもらうまでは、本当に、明日をもしれない中で生きてきたんです」
僕が話すとは思っていなかったのだろうか、シーリーさんはわずかに目を見開いた。
「僕が暮らしていたのは、こんな風に雨風を遮ってくれる壁もなく、もちろん食事が定期的に出されたりすることもない、名前も知らない街の路地裏なんです」
あそこの暮らしが嫌だったわけじゃない。むしろ、家族の皆と一緒に暮らせていたあの場所は、僕にとっては本当に楽園のような場所だった。
「そこには大好きな家族がいて、本当の家族ではなかったけれど、僕たちは本当の家族か、それ以上の強い何かで繋がっていたんです」
ああせめて、あの服だけはプレゼントしたかった。皆の喜ぶ顔が見たかった。少し欲張って遅くなってしまわなければ、もっとゆっくり、翌日以降に仕上げを回していれば、もし、僕の結界魔法がもっと強くあれば。そんな無数の後悔が一気に胸に押し寄せる。いや、正確にはあの時の事を後悔しなかったことなんて、忘れたことなんて、一瞬たりともありはしないのだけれど。
「たしかに皆に痛い思いをさせたくはないけれど、こうして食事も寝る場所もあって、それから安全なここは、僕にとってはそれほど悪い場所じゃあないんです」
皆の事を思い出すのは、嬉しいことと同時に悲しく辛いことでもある。
でも僕は、その悲しみも、喜びも、全部背負って生きていかなくてはならない。
もう決して手に入ることのない物だけれど、かつてあのかけがえのない日々は、たしかに存在したのだから。
「‥‥‥明日は大変なお客様がいらっしゃるそうです。運よくその方の目に留まれば、ここを出て、少なくとももっと良い暮らしが出来るようになる可能性があります」
シーリーさんはお皿を持つと、そんなことをぼそりと告げた。
「大変なお客様ですか? ここにどのような御用なのでしょうか?」
その方が来ることと、ここを出て良い暮らしができるようになることに、どのような関係があるのだろう? もっとも、良い暮らしと言われても、僕には良く分からないのだけれど。
「富まれる方がこちらへいらっしゃる目的は1つしかありません。奴隷の買取です」
シーリーさんのおっしゃることには、元々奴隷と言うのはお金のある人がお屋敷などという場所で働かせるために存在しているらしい。それは使い潰すもので、人ではなく、物としての扱いなのだそうだ。
「あなたは魔法が使えるようですから、可能性は高いと思います」
そうなのか。それならば、魔法が使える人というのは、嫌われているような存在ではないということなのだろうか?
「人は、自分と違うもの、それも自身より優れている者がいれば、そしてそれが少数であればなおさら、それを排除しようとするものですから」
シーリーさんの話は難しくて、僕にはよく分からなかったのだけれど、まとめるとそんな感じだった。
「でもその可能性は低いのではないかと思います」
だって、その時間、僕は鉱山に行って働いているはずだから。
◇ ◇ ◇
僕はシーリーさんの話の真偽を確かめることなく、やはりまだ陽も上らない暗いうちから鉱山へと働きに出かけた。
その日の採掘作業は調子がよく、なんだかとても大きなきらきらと輝くものを発見し、ドンゴさん達、責任者の方達は物凄く喜んでいる様子だった。
僕たちは休みなく働き、日を跨いで翌日の真夜中ごろに、ようやくすべての、ドンゴさん達が言うところの水晶を運び終えた。
他の方は先に部屋に戻されて、僕が最後まで残されていたのだけれど、ようやく作業を終えて部屋へ戻ろうとしたときに、このたしか奴隷商というところの管理をしているらしい人が話しているのが聞こえてきた。
「今日ここへ来たのってオースティン侯爵だろ」
「ああ。あの子供を虐待する趣味があると噂のオースティン糞野郎伯爵だろ。この間も『狩り』に出かけたらしいぜ。こんなところに努めてる俺らが言えた話じゃねえが」
子供を虐待、と聞こえて、つい思い浮かべてしまうことがあり、僕はその場に立ち止まって、もう少し詳しい話が聞こえないかと試してみた。
「さっさと入らねえか、このガキ」
背中を蹴られ、それ以上その場所に留まることは出来なかったのだけれど、なぜか先程聞こえてきた会話が頭に残った。
◇ ◇ ◇
「あの、シーリーさんはどうかされたのでしょうか?」
その日、僕に夜の食事を運んできてくださったのは、シーリーさんではなく、初めてお顔を拝見する大人の男性だった。
僕がオースティン侯爵の話を聞いたのは数日前の事で、今朝僕が仕事に出かける前にもシーリーさんはいつもと変わらずにパンを持って来てくれていた。
「シーリー?」
同じところで働いているのに知らないということはないだろう。
僕がシーリーさんの外見を説明すると、ああ、と何か思い当たる節があるご様子だった。
「あの娘なら、今日売れたよ。今までは吟味していたのか知らんが、宙ぶらりんの状態だったがよ、結局、中々良い値で買ってくれた」
「じゃあ、シーリーさんには今日は会えないんですね‥‥‥」
シーリーさんと話をしているのは楽しかったから残念だ。
「お前は馬鹿か? 今日どころか、お前とあの女が会う事なんてもうねえよ」
男性は吐き捨てるようにそう言うと、どうでもよさそうな態度で椅子に腰かけた。
「え? でも、シーリーさんは奴隷ではないのですよね?」
ここは奴隷の売買と労働を元にお金を稼いでいるところだったはずだ。ならば、奴隷という身分ではないシーリーさんは、買い手とか、そういった対象にはならないのではないだろうか? 日雇いの仕事ならば、その日、もしくは契約の期間が終われば元の場所に戻ってくるはずだ。
「奴隷であろうとなかろうと、そんなことは関係ねえのさ。俺達の仕事は、欲しいと言われた奴を売る。ただそれだけだからな」
しかしここではそのような普通のことは通用しないらしい。
それに、と男性は悪そうな笑顔を浮かべた。とても邪な考えをしているような瞳だった。
「存外、あの女も、売れた他の女と一緒に楽しんでいるかもしれねえぞ」
「どういうことですか?」
楽しんでいるのなら良いことであるはずなのに、男性の語り口調からはとてもそのような雰囲気は感じられなかった。
「今日来た奴、オースティンって野郎なんだがな、とんでもねえクズ野郎でよ」
聞かされたオースティン侯爵の暴虐ぶりは、とても名状しがたいものだった。
買われた奴隷は、強姦に虐待、嬲り殺されてはいるが、だれもが見て見ぬふりをする。侯爵位を持つ貴族に対して、他の貴族やましてや平民が出来ることなど何もないのだそうだ。
それはとても楽しいと言えるような代物ではない。楽しめる余地など存在していない。
僕みたいな奴にも少し考えれば分かる程度のことであるはずなのに、目の前で他人事のように――まさに他人事だと思っているのだろうし、事実だけを言えばその通りなのだけれど――語る男性は、気にする素振りすらも見せなかった。
「――とまあそんな風に、奴の加虐的な性的嗜好を満たすためのまあオモチャってとこ‥‥‥おい、何していやがる!」
目の前の男性の言葉を聞いて、僕の脳裏に浮かんだものはティノ達の事だった。
あの光景だけが脳内を占め、他のことが何も考えられなくなる。
「助けに行かなくちゃ‥‥‥」
ぼくはまだ手をつけていなかった皿を置いて立ち上がった。
あんな目に遭わせてはいけない。それは付き合いが短かろうと関係はない。
「無駄だって。場所も知らねえだろうに。そもそも、手枷足枷に囚われている状態でどうや‥‥‥って‥‥‥」
僕が手枷と足枷を外したのを見て、男性の顔が驚愕に染まる。何をやった、とか、どうして、などといっている気もしたけれど、そんなことを気にかける余裕はなかった。僕の頭にあったのは、今度は絶対に間に合わせると、ただその思いだけだった。
「では、あなたが場所を教えてください」
口を開けて呆然としている彼の前で、僕は自分に付けられていた枷と、部屋の扉の鍵を文字通り握り潰してみせた。