ロヴァリエ王女の帰国 3
パーティーの2日後、今日はとうとうロヴァリエ王女がリディアン帝国へと帰国される日だ。
春になるときには、暖かい日と寒い日を繰り返しながらだんだんと変わってゆくんですとナセリア様が仰っていたけれど、ここ数日で道に残っている雪も大分解け始めていて、馬車の通行にもほとんど支障はなさそうだった。
「お隣だからとはいえ、気軽に来られるわけじゃないけど、手紙は飛ばすわね」
手紙に移動の魔法をかけて目的地をこのリーベルフィアの王城にすれば、妨害がなければ、リディアン帝国からでも十分に届く。
もちろん、相応の魔力は必要になるし、そう何度も気軽に使用出来るものでもないけれど、たまの連絡手段としては悪くはない程度におしゃれかもしれない。
「私もお便り致します。私の方もそう簡単にリーベルフィアを離れるわけには参りませんので」
王国、王城の魔法顧問がおいそれと国を留守にすることは出来ない。
何かあれば念話が使えるからと、空を飛んでの入国なんて、下手をしなくても国際問題になってしまう。
僕はまだまだ自分の魔法を、いざという時のために、修練していたいし、今ではこうしていただいている魔法顧問の役職にも慣れてきて、ナセリア様達に魔法をお教えすることにもやりがいを感じてきている。
「私は帰ったらお父様たちに話してみるつもりだから、もしかしたら、ユースティアがこっちへ来るよりも先に、私がまたこっちへ来られるかもね」
そのときは、友人として遊びましょう、とおっしゃっていたロヴァリエ王女に、僕は曖昧な笑顔を浮かべることしかできなかったのだけれど、
「ええ、是非」
ナセリア様はロヴァリエ王女と同じような笑顔を浮かべられて、しばらく見つめ合っておられた。
「昨日の夜は、お姉様、ロヴァリエ王女と同じ寝室でお休みになられたのよ」
フィリエ様がそう僕に教えてくださった。
いつもはご自分のお部屋でお休みになられるという事だったけれど、昨夜、ちょっとしたご用事でナセリア様のお部屋を尋ねられたフィリエ様は、中から聞こえてくる話し声に耳を澄ましていらしたのだという。
「ユースティアには教えられないわ」
他人の話の立ち聞きを教えられるはずもないので、直接ロヴァリエ王女にお尋ねしたところ、やはり教えてはくださらなかった。
女の子の、女性の内緒話は、得てして、男性には教えられないものだ。ティノ達もよく、ティノとユユカとロレッタの3人で集まって、僕たちをのけ者にしながら楽しそうに話し合っている光景を目にしていた。
面白がって聞きにゆこうとしたリィトやヒギンズが散々な目に合わされていたこともあった。もちろん、じゃれ合いの程度だけれど。
「それは残念です」
「ユースティアが私を迎えに来てくれるくらい格好良くなったら教えてあげる」
ロヴァリエ王女は子供を相手にするような口調でそうおっしゃられ、僕の額をこつんと指で弾かれた。
女の子が集まってする話なんて、大抵は恋の話か、食べ物の話か、噂話のどれかだろう。
いや、もしかしたらお姫様方の話というのは、そんな俗っぽいものではなくて、もっと、こう、互いの国の今後の関係性についてとか、学術書の見解についての議論だとか、学院などに関する、互いの国同士の意見交換などといった、真面目な話し合いだったのかもしれない。
いずれにしても、僕がお姫様を迎えに行くことなんて、出来るようになるとは思えないけれど。
「お父様はかなり強いから覚悟していてね」
僕がロヴァリエ王女のお話を聞きに行くのに、どうしてリディアン帝国の皇帝陛下と闘うなどというとんでもない話になっているのだろう。
もちろん、ある程度の立場の人間が出向けば、皇帝陛下が御自らご対応なさるのかもしれないけれど、一魔法顧問程度を相手にするのに、わざわざそんな踏み込んだ話をするような状況に、どうすればなるというのだろう。
「あんまり自分の事を分かっていないというのも、周囲の人を危険に晒す事態になるわよ。あなたはすでにただのリーベルフィアの新しい魔法顧問というだけではなくなっているのよ」
そもそも僕の名前が広まっているということ自体、あまり信じることが出来ていなかったので、ロヴァリエ王女のおっしゃられたことに対する危機感はあまりなかった。
僕自身、あまりお城から出ないということもあるけれど––他人と話さないという意味だ––街の、ましてや隣国諸国の話など分かろうはずもなかった。
一応、先日訪れた学院でのエルトリーゼ学院長様やフィシオ教諭の反応などから、どういった評価を受けているのかという想像がつかないわけではなかったけれど。
「肝に銘じておきます」
じゃあ、色々頑張ってね、そうおっしゃられたロヴァリエ王女は、馬車へ乗り込まれようとされたのだけれど、突然振り向かれると、僕の頬にちょこんと口づけをおとされた。
「‥‥‥」
フィリエ様の楽しそうな悲鳴と、ナセリア様の冷たい視線が突き刺さる。
「やあねえ、挨拶よ、挨拶」
「‥‥‥そのような挨拶は王女様がこちらへいらして初めて拝見いたしました」
抑揚のない、冷めた視線と声が、僕のやや斜め後ろからぐっさぐっさと突き刺さる。
「じゃあお礼かしら? 私に魔法を教えてくれた」
ロヴァリエ王女が言い訳のような言葉を紡がれるたび、ナセリア様の視線の温度がどんどん下がる気がする。別に、キスくらい、それ程騒ぐことでもないと思うのだけれど。もしかして、リーベルフィア、もしくはこの大陸、この世界では何か大切な意味でもあるのだろうか。
いや、ないだろう。
ちょっと街中へ出た時にだって、普通にカップルと思われる男性と女性が唇を重ねていらしたのを見かけたこともある。
「それと約束ね。今度、リディアンに遊びに来てくれるって言ったこと、忘れないでね」
「いつになるのか分かりませんけれど。それでもよろしければ」
ロヴァリエ王女は満足げに微笑まれると、今度こそ本当に馬車にお戻りになられて、姿が見えなくなるまで手を振られながら、リーベルフィアを去ってゆかれた。
「じゃあ、私も」
フィリエ様はそうおっしゃると、隣にいらしたエイリオス様の頬へ口づけをなされた。
「いっ、いきなり、何するんだ!」
「何言っているのよ、お兄様。さっき、ロヴァリエ王女が挨拶だっておっしゃっていたじゃない」
顔を赤くなさるエイリオス様とは対称的に、フィリエ様はとても嬉しそうで、エイリオス様に追いかけられるのがとても楽しいとでも言いたげにお城の方へ向かって走り始められ、エイリオス様も、赤くなったお顔を隠されるようにお城へ向かって、フィリエ様の後を追いかけて行かれた。
「ナセリア様。いつまでもここへ立っていらっしゃるとお風邪を召されてしまうかもしれませんよ」
建物へ戻ろうと、お声をかけたのだけれど、ナセリア様はじっと僕のことを見ていらして、中々その場を動かれようとはなさらかった。
「‥‥‥キスされましたね」
建物へと僕が足を入れる直前、花びらのように可憐な小さな口から、冷たい、凍れる礫のような言葉を飛び出された。




