ロヴァリエ王女の帰国
私はパーティーなんて、とロヴァリエ王女はおっしゃられていたけれど、リーベルフィアへいらした際にも歓迎の催しなど開かれなかったので、帰国に際しては是非にと、大臣様だか、貴族のどなたからだか、アルトルゼン様にそれとなく嘆願書が出されていたらしかった。
元々帰国の際のパーティーは開かれるおつもりだったらしいのだけれど、貴族の方の思惑が見て取れるようで父はつまらなさそうにしていましたと、ナセリア様はおっしゃられていた。
「それで僕はどうしてここで待たされているの?」
式典で着るような派手派手しいものとは違い、袖口に刺繍をあしらいレースをのぞかせた裾の長い上着を着せられて、胸元にもひらひらとしたタイを締め、真っ白な手袋を嵌めさせられていた。
動きにく過ぎるということもないのだけれど、なんだか、こう、落ち着かない気分にさせられる。
「どうしてって、ダンスパーティーなんだからお相手が必要でしょう。もちろん、女性の」
パーティーというのは、以前もヒエシュテイン皇国からアルトマン様がいらしたときにも開かれていたような気はするけれど。
「ダンスパーティーって、僕が踊れるダンスなんて」
「あら、私が教えてあげたのに、それにナセリア様のお相手まで務めさせていただいたのに、まさか忘れたとか、踊れませんとか、そんな情けないことを言うつもりじゃないわよね?」
ユニスはメイド服のまま銀のお盆を持っていて、これから料理を厨房まで取りに行くところらしかった。
意地の悪そうに笑みを浮かべたユニスが前かがみになり、下から僕を見上げてくる。
「言っておくけれど、私はメイドとして仕事があるんだから、何かあっても頼ったりしないで、自力で解決してね」
仕事があるのだと言いつつも、ユニスはその場を離れようとはせず、会場の様子を覗き見ながら、再び僕の方へと視線を戻して、僕の襟もとへと手を伸ばした。
「しっかりしなさい。襟が立ってるわよ。あ、タイも曲がってるじゃない。どうしていまだにタイの1つも締められないのよ」
そう言いながら僕のタイを直してくれるユニスの顔は微笑を湛えていた。
慣れた手つきでタイの曲がりを直してくれたユニスは、1歩後ろに下がり、上から下まで僕の姿を眺めると、満足したように頷いた。
「うん。大丈夫。格好良いわよ、ユースティア。それならたとえお姫様のお相手でもしっかりと務め上げられそうね」
ユニスは僕の身体をくるりと反転させて、背中を優しく前へと押し出した。
「姫様。私は仕事がありますので、これで失礼致します」
そう言い残して、ユニスは厨房のある方へと速足気味に歩いていってしまった。
後に残されたのは、僕とナセリア様だけだった。
「わ、私は、ユースティアは慣れていないだろうからよいですと言ったのですけれど、フィリエが、その‥‥‥」
リボンや花を編み込みながら美しく結い上げられた髪、コルセットの必要もないほどに細く折れそうな腰、空のように鮮やかな青いドレスの袖口や腰には、雲のように真っ白なレースが優雅に揺れている。
足には、銀色の舞踏靴。
胸元には海でとれた真珠が清楚にきらめき、そして手首には、小さな小さな金色に輝く一粒の宝石がつけられている銀色の腕輪が嵌められていた。
ナセリア様の小さな手が、ぎゅっと腕輪を握り絞められる。
「ナセリア様。そのように強く握られては、手のひらに痕が残ってしまいます。どうぞその手はもっと別の事にお使いください」
僕はナセリア様の前で膝を折り、恭しく手を差し出す。
ナセリア様は驚かれたような表情を浮かべられた後、そっとそこに小さな柔らかい手を重ねられた。
「よろしくお願いします、ユースティア」
「お任せください」
ユニスにはああ言われたけれど、やっぱりダンスなんてそう簡単に慣れたりするものではないと思う。
そりゃあ、ユニスは学院なんかにも通っていたみたいだし、そこで習ったのかもしれないし、そもそもこのパーティーに呼ばれているような良家のご子息、ご令嬢であれば踊れて当然なのかもしれない。
しかし、僕はそんなに立派な家柄ではないし、ダンスの練習も、もちろん本番も、指を折るだけで足りてしまうような回数しかこなしていない。とてもではないけれど、他の貴族の皆様のようには踊ることは出来ないし、ナセリア様に釣り合うような立派な踊りも踊ることは出来ない。
だからといって、嬉し気な、優しいお顔で微笑まれたナセリア様に向かって、無理です、などと、他の方を勧めるような、そんな恥知らず、そんな失礼なことが出来るはずもない。
「本日は演奏の方はよろしいのですか?」
たしか、ナセリア様は以前にもパーティーでは御演奏なさっていたはずだ。
しかし、今ここにいらっしゃるということは、少なくとも、現在会場から聞こえてくる演奏をなさっていらっしゃるのはナセリア様ではありえない。
「‥‥‥この後、最後にいたします」
そう尋ねた途端、何故かナセリア様はつんと横を向かれてしまった。
尋ねてはいけない事だったのだろうか。
ナセリア様のご演奏を聞いたことは、それほど多いわけではないけれど、練習ならば何度もご一緒させていただいているし––正確に言えば、僕の修練の最中にナセリア様がいらっしゃることが多いので、それを聴かせていただいているのだけれど――とても素敵な旋律を奏でていらしたと思うのだけれど。
あ、でも、このところ、ロヴァリエ王女がいらしている間の音は、どうと詳しいことは分からないけれど、どことなく、悲しいとまではいかないけれど、少しばかり寂しさが込められているような気はしていた。
「先日拝聴いたしました音はとてもお綺麗でした。お世辞ではなく、本当にそう思っております。なので、本日のご演奏も楽しみにしております」
本当は少し、その曲でナセリア様と踊ることが出来ないのはいつも残念に思うのだけれど、ナセリア様が演奏されていらっしゃるのに、ご本人と踊ることなど出来はしない。
こんなに人目の集まる公の場で、堂々と分身を作る魔法を使っては問題になってしまうだろう。
「ですから、最初は私と踊ってくださいね」
こういう時、女性に先に言わせてはいけないと教えて貰っていたはずなのに、ナセリア様に言われることになってしまった。
僕はせめて精一杯の敬意をもって、了承の意をお返しした。