奴隷ってなんですか?
来るときとは違って食料が減っているから随分軽くなったのだとシナーリアさんは言っていた。
しかし、持ち上げたバッグは予想以上に重く、ここへ来る前の、鍛える前の僕だったならば潰れて動けなくなってしまったことだろうと感じるくらいの重さだった。
「やはり、私が持つか?」
「い、いえ‥‥‥これも、修業、ですから」
さすがにこの状態では、魔法を使わないことを前提とするならば、剣を振るって脅威に対処することはできない。
この荷物に、さらに食料まで加えて持ち運んでいたというシナーリアさんを、僕は改めてすごい人だと思った。
「そうか」
「どうかしましたか?」
僕が尋ねると、シナーリアさんはほんの少しだけ肩を震わせて、ぎこちなく振り向いた。
「‥‥‥何がだ?」
おかしなところと言われると、それ程目立ったことはないのだけれど。
「いえ、どことなく‥‥‥やっぱり何でもありません」
「そ、そうか」
やはり。
彼女、シナーリアさんの態度がいつもとどこか違って、その状態を鑑みるに、僕に隠していることがあるらしかったけれど、シナーリアさんは言うまでもなく女性で、男の僕には言えないことの1つや2つ、いや、それ以上にあるのだろうと知っていたから僕は何も言わないことにした。
「ティノに聞いたときには、顔を真っ赤にして『馬鹿っ!』って罵られて、しばらく口をきいてくれなかったもんな‥‥‥」
それから僕は女性の隠している事について深く尋ねることはやめにした。
女性の秘密と言うのは、どれもつまらないものなんかではなくて、秘密にするだけの理由があって秘密にしているのであって、男の僕が勝手に踏み込んだりしてはいけないものなんだ。前に働いていた娼館の女の方達も、女性には秘密がある方が美しいのよと言っていたし。
そうして間に稽古を挟んでもらったりしながら2日ほど歩いていると、ようやく森の出口らしき光が見えてきた。
「あそこが出口ですか?」
「ああ。ハストゥルムの端、この森への出入り口である街、スウォルだ」
僕たちが森の外へと抜けて、久しぶりに見た空は曇り空だった。
何となく先行きを不安にさせるものだけれど、天候を改変するほどの魔法を使うわけにはいかない。出来るかできないかで言えば出来るだろうけれど、きっと倒れてしまうし、それではシナーリアさんにも迷惑をかけてしまうだろう。
「お待ちしておりました、シナーリア様」
停まっていた馬車の前では、黒い服を着た男性が恭しく頭を下げていた。
「ありがとう」
シナーリアさんは僕が持っていた荷物を持ち上げると、荷台に軽く乗せてしまい、そのまま馬車に乗り込んだ。
「あなたがユースティアさんですね?」
別の男性が同じ馬車に乗り込もうとした僕を呼び止めて、僕が頷くと、後ろにもう1台ある、若干小さめの馬車に案内してくれた。
「女性と男性は別の馬車でお連れするものです」
優し気な口調でそう言われた。
たしかにそうだ。シナーリアさんのように年頃の女性ならば、やはり狭いところに僕みたいな男と2人で放り込まれるのは良い気分ではないのだろう。
「すみません。ありがとうございます」
「いえいえ。お気になさらず」
馬車が出発する前には、到着するまでは長いですから、どうぞゆっくりとお休みくださいと言われた。
たしかに多少の疲れを感じていた僕は、何かあればすぐに起きられるだろうと思っていたし、ご厚意に甘えることにして、荷台の縁にわずかに腰をつけると、膝を抱えて眠りに落ちた。
◇ ◇ ◇
大きな音と激しい揺れで目が覚めた。
僕はまだ馬車の中に居るらしく、辺りは真っ暗だ。
匂いからして、どうやら地下にいるようだった。以前、溝攫いや穴掘りの仕事を手伝った時の空気によく似ていたが、匂いはそこまでひどくはなかった。
「はやく出ろ!」
深い緑色のマスクをつけた男の人が荷台の後ろの幕を開くと、ほんのわずかな光が差し込んできた。
「ここは‥‥‥」
僕は辺りを見回すが、やはり暗く、男の人が持つ蝋燭を入れた入れ物から洩れるわずかな光以外では何も見ることは出来なかった。
「いいから黙って歩け!」
咄嗟に魔法を使いそうになってしまい、慌てて止めようとしたけれど、そんな心配はいらなかった。
魔法は使えなかったからだ。
今まで、曲がりなりにも生きてきて、そんな経験は初めてだったので、僕はもう1度試してみた。けれど、魔法は何かに吸い取られてしまったかのように、発動したりはしなかった。
その時僕は、自分に手枷が嵌められていて、それがわずかに光ったのを確認した。
「聞いていた通りだな」
「え?」
僕の手枷から伸びている鎖を引っ張る男の人がとても愉快そうな顔で笑った。
「お前、魔女、いや、男だから魔法使いなんだろう?」
魔法使い、とは何だろうか? 言葉から察するに、おそらくは魔法を使える人ということだけれど、そういう言葉が出来ているということは、僕より前に魔法を使える人が居たということだ。
僕は初めて出会えるかもしれないその人にわずかに希望を持った。
「僕の他にも魔法を使える人が居るんですね?」
「いや、今はいない」
以前はいたかのような口ぶりだった。
しかし、僕の希望は無くならない。以前いたということは、まだ出会える可能性があるということだ。
「お前はここだ」
しばらく鎖を引っ張られながら歩いていたけれど、男の人は鉄の柵の扉がついている部屋に僕を放り込んだ。
「いいか? 逃げるんじゃねえぞ?」
そう言うと、男の人の後ろから、灰色でボロボロの服を纏った女の子がお皿にパンを1つ乗せて運んできてくれた。
逃げる? 何を言っているんだろう。
「何で僕が逃げるんですか?」
僕は本気でそう尋ねたのだけれど、男の人は良く分からないみたいに目をぱちくりとさせていたので、僕は理由を話すことにした。
「風雨をしのげて、おまけに食事まで出してくださるところから、どうして逃げなくてはならないのですか?」
僕がそう言うと、食事を運んできてくれた女の子は目の辺りを押さえながら顔を伏せてしまい、男の人は肩を震わせながら口を押えた。
女の子が耐え切れないという様に走って行ってしまうと、男の人はこらえきれないとばかりに大声で笑い始めた。
「そうかそうか。そいつは幸せだなあ。うんうん良かった良かった‥‥‥クックック」
ガン、と音を立てて、男の人は鉄の柵を掴んだ。
「お前さんはな、売られてここに来たんだよ。ここは奴隷市の奴隷保管庫だ」
「奴隷?」
奴隷、とは何だろう? どういう事をして生きている人の事なのだろうか?
「奴隷という仕事なんですか? それはどのようなことをすればいいのでしょう?」
少なくとも仕事にありつけたのならば、ご飯が食べられる。そうすれば生きていくことが出来る。
「お前、マジで何にも知らねえのか?」
「はい」
僕が知っているのは、貧民街での暮らしと、生きるためにしていた仕事、そしてシナーリアさんに習った武術と武器術、そして魔法だけだ。
「そういえば、この手についている‥‥‥」
魔法を吸い取るような手枷について聞こうと思って途中でやめた。魔法を使えることは隠しておいた方が良いと、あの街を出たときに誓ったからだ。
「魔法が使えないんだろう?」
しかし、そんな僕の考えを見透かしたかのように、男は薄い笑みを張り付けていた。
「やっぱり魔法について、ご存知なんですね!」
「ああ、ご存知ですとも。魔法使いや魔女にはなあ、この街じゃ自由はないのさ。見つけたら即奴隷と決まっているからな」
まだわからねえのか、と男の人は溜息をついた。
「お前は売られたんだよ。普通の奴隷と違って、魔法使いの奴隷はかなり高値で取引される。まあ、どうせ逃げられはしないと思うが大人しくしてろよ」
男の人が顎をしゃくると、後ろにいつの間にやら戻ってきていた、さっきパンを運んできてくれた女の子が頭を下げてくれた。
「このシーリーがお前の世話役だ。売られるまでに死なれちゃ儲からねえからな」
せいぜい高値で売れてくれ、そう言い残して、男の人はどこかへ去って行ってしまった。