ウィンリーエ学院 8
競技場の真ん中付近でフィシオ教諭と向き合いながら、表情には出さないように、僕はそっと溜息をついた。
元々は姫様方への授業から始まった流れだったけれど、それがいつの間にやら僕がフィシオ教諭と対戦、立ち合いをすることになってしまっていた。
立ち合うこと自体は別に構わないし、姫様方、それに生徒の皆さんに魔法をお見せすることも抵抗などは特にないのだけれど、どうして皆、魔法を教えようとする立場の人はこうして対戦をしたがるのだろうかという気持ちはぬぐい去ることができなない。
もちろん、魔法での攻撃や防御は重要だし、何も立ち合いだからといって、戦闘の魔法だけしか見せてはならないという決まりもない。
うん。そう考えると、別に僕は立ち合っても構わないような気もしてきた。今まで姫様方に魔法をお教えしてきた経験と、この学院での授業の見学等、諸々の事情を考えるに、僕が学院の教師であるという方に生殺与奪の権利を握られるような事態に陥るとは思っていない。
なんとなく、他人に魔法を、攻撃する意思を持って向けることには抵抗があるけれど、魔法を自衛、もしくは対抗手段としても教えているので、僕自身もそれを実践して見せた方が良いのかもしれない。
しかし、油断なんてするつもりはないけれど、手を抜かなければ勝負は一瞬でついてしまうだろうし、それではここが学院であるということを考慮した場合にあまり良い結果だとは思えない。
「でもなあ‥‥‥」
僕はちらりと横目で姫様のお顔を伺った。
姫様方は僕の勝利を信じて疑ってはいらっしゃらないようなお顔で、ロヴァリエ王女は他の生徒の皆さんと同じように期待と熱のこもった視線を、フィリエ様は元気いっぱいの声と共にとても楽しんでいらっしゃるようなお顔を、ナセリア様は普段と変わらない静かな雰囲気でじっとこちらを見つめていらした。
フィリエ様は周りの学生の皆さんと大分馴染んでいらっしゃるご様子で、もちろんそこには遠慮や敬意なんかの感情も多少は見られたけれど、フィリエ様ご自身は生徒の皆さんとも対等に接しようとされているご様子だった。
ロヴァリエ王女は、他国から来ている姫君だということを意識なさっているのか、若干、他の生徒の皆さんとの距離感を測りかねていらっしゃるご様子だった。周りの生徒も、ただでさえ気後れしてしまう他国のお姫様が、難しいお顔をなさっているために、距離をとりがちだった。
「ロヴァリエ王女」
僕がロヴァリエ王女へとお声をかけると、ロヴァリエ王女はほっとされたような、救いを求めるようなお顔を向けられた。
「ロヴァリエ王女、そのように難しいお顔をなさっていては、皆さんお声をかけづらいのではないかと思われます。少しだけでも笑いかけられれば、すぐに皆さんと打ち解けられますよ」
「そうかしら」
生徒の、いや、学院生に限らず、普通は王女様にお声をかけるなんて、畏れ多くて腰が引けたり、遠慮したり、気が引けたりしてしまうものだ。
僕だって、今はこんな風に普通に話すことが出来るように心がけているけれど、気を抜けば、膝をついて、頭を地面にこすりつけるようにしてしまうことだろう。他の人の視線がある場所で、そんな姫様方の評価を下げるような行動に出るつもりはないけれど。
特に、ロヴァリエ王女は、女性に対して失礼だけれど、今この場にいる生徒の皆さんよりもわずかに年齢が上でいらっしゃるので、特に男子生徒は話しかけ辛いだろうと想像がつく。
「はい。ロヴァリエ王女が微笑みかけられれば、皆さん、ロヴァリエ様とお話しされたいと思っていらっしゃるはずですから。なので、最初は王女様から踏み出していただけませんか」
「‥‥‥私は、ナセリア姫のようではなくて、さっきの授業でも見せてしまったのだけれど、お姫様然としているというイメージからは大分違ってしまっていると自分でも思っているから、がっかりさせてしまうかもしれないわ」
「いえ、むしろ皆さん、より親近感を持たれると思います」
お姫様に親近感なんて、と生徒の皆さんも思われるかもしれないけれど、きっと上手に馴染むことは出来ると思う。
ロヴァリエ王女だって、王女であると同時に、学院に通っているよりは少し成長されているかもしれないけれど、女の子であることにお変わりはないのだから。
いきなり話しかけられればびっくりもされるかもしれないけれど、ロヴァリエ王女は先程の授業でも率先して軍を率いていらしたり、お声がけをされていらしたみたいだったから、案外、壁も取り払われているかもしれない。
「‥‥‥わかったわ。いってみる。ユースティアも全力でやってよね」
ロヴァリエ王女は少し驚かれたようなお顔をなさっていたけれど、最後には見れば男性ならば恋に落ちてしまうのではないだろうかとも思えるふんわりとした笑顔を浮かべられて、振り向いて生徒の皆さんの輪に入ってゆかれた。
違う意味で男子生徒の皆さんには離れられてしまうかもしれないけれど、女生徒の皆さんには大分受けが良かったというか、気に入られたというか、とにかく心配する必要はなさそうに思えた。
全力か。
たしかに、侮るつもりは全くないけれど、手を抜いているように見えてしまっては、フィシオ教諭に対して失礼かもしれない。たとえ勝負の内容としては面白くなくとも、全力を尽くすのが、教師として、もしくは人生の先達への礼儀というものなのかもしれない。
ナセリア様の事ももちろん気になったけれど、あまりフィシオ教諭やエルトリーゼ学院長、それに生徒の皆さんをお待たせするわけにもいかない。
聡明なナセリア様であれば、人付き合いはあまりお得意ではなさそうだったけれど、きっと大丈夫だろう。
それでもひと声、お声がけしようとしたところ、フィリエ様がナセリア様に抱き着かれていらして、一緒に会話に加わられたので、少し残念に思いつつも、僕はほっと胸を撫で下ろした。
フィリエ様は僕に一瞬視線をくださったので、僕がナセリア様の事を気にしていたのを感じ取られていらしたのだろう。
胸の内でフィリエ様に頭を下げると、僕はフィシオ教諭の方へと振り返った。
「お待たせしてしまい、申し訳ありませんでした」
フィシオ教諭は暖かいものを見るような目をされていて、それは魔法顧問ではなく、普通の大人が子供へ向けるような、或いはよくできたと教師が生徒を褒めるような視線だった。教師なのだから当たり前なのだろうけれど。
「いいえ。良いものを見せていただきました。しかし、それとこれとは別ですので、あなたの全力を引き出せるようにこちらは全力で参らせていただきます」
僕たちが開始線まで下がると、冷たい風が競技場を吹き抜けた。最も近くにいらっしゃるエルトリーゼ学院長のクリーム色の髪が風に靡いているのが目に映る。
「両者、準備はよろしいですか?」
エルトリーゼ学院長の確認に、僕とフィシオ教諭は同時に頷いた。
「では、始めっ!」
エルトリーゼ学院長の手が勢いよく振り下ろされた。