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ハストゥルムでの日々

 小鳥の囀る声で目が覚めた。

 辺りには霧が立ち込めていて、視界が霞む。


「朝のご飯の用意を‥‥‥」


 しなくちゃ、と言いかけて、昨日の出来事を思い出す。

 いや、正確には昨日ではないのかもしれない。このハストゥルムでの日を跨ぐときの決まりは分からないけれど、僕自身の体験としてはまさに昨日の事だった。

 

「朝の支度はティノの役割で、僕はパン屋のギーザさん達のところへ働きに行かせて貰っていたんだっけ」


 そういえば今朝はギーザさんのところじゃなくて、粉挽きのマルシェさんのところへ窺わせていただく予定だったっけ。

 無断で休んでしまってすみません。

 でも、ここはハストゥルムというところで、どうやってきたのかも覚えていないので、そちらへ向かうことが出来ないんです。

 僕も死んだことにされているのだろうか。

 思い出すと涙が溢れてくる。


「いつまでも泣いていたりはしないと誓ったばかりじゃないか。昨日習った体術の訓練でもしよう」


 シナーリアさんが起きてきたときのために、朝食でも準備しておこうかと思ったけれど、あの荷物と食料はシナーリアさんの物だし、僕が勝手に使っていい物ではない。

 僕は涙を拭い、頬を叩いて気合を入れると、少し離れて昨日習った練習を始めた。



 ◇ ◇ ◇



 僕がしばらく訓練を続けていると、足音が聞こえてきた。


「朝っぱらから精が出るな」


「おはようございます、シナーリアさん」


 シナーリアさんは、昨日と同じような格好で、槍を片手におはようと挨拶を返してくれた。


「私は朝食のために水を汲みに来たのだが、その前に少しやるか?」


 願ってもないことだったので、僕は即座に頷いた。


「はい! よろしくお願いします」


「まあ、最初から全力と言うのもあれだし、とりあえず今は軽めにな。準備運動は済ませてあるんだろう?」


 僕が頷くと、シナーリアさんは水汲み用の容器を地面において、僕に手が届くところまで歩いてきてくれた。

 朝靄と小鳥が囀る中、僕たちの距離が次第に縮まる。


「ゆくぞ」


 シナーリアさんが、自分でも型を確かめるようにゆっくりとした動きで僕を掴みに来る。そのくらいの速さならば避けることは出来たけれど、僕は敢えて避けたりはしなかった。

 軽めとはいえ、掴まれてからは早かった。おそらくは、僕の着ている服の布の耐久性を考慮した結果、ゆっくりでは逆に破いてしまうことになると思ったんだろう。


「やあ!」


 次の瞬間には、僕は思い切り地面に叩きつけられていた。

 受け身もままならず、衝撃で僕の目の前は白黒としていた。


「立て」


 頭ががんがんと揺れる僕に、シナーリアさんは容赦なく声を掛けてくれる。


「武術と言うのは、中途半端に覚えるのが一番危険なんだ。勘違いしたり、調子に乗ったりな。そうすると、すぐに死ぬことになる。まあ、お前にそんな心配は無用だと思うが、やるからには徹底的にやる。基礎からすべて叩き込んでやろう」


「お願いします」


 シナーリアさんは手首に巻いていた紐を外すと、自身の綺麗な黒髪を1つに纏めて縛った。


「しっかり受け身をとるんだぞ。死んでしまえばそこまでだったということだ」


「はい!」


 その日だけで、僕は数えきれないほどの受け身をとった。気絶しては頭から水を掛けられ、その度に起こされた。

 水場までは意外と距離がある。それにも拘らず、毎回起こしてくださったシナーリアさんに、僕はその都度お礼を告げた。

 地面の砂利や木の枝は、何度も僕の皮膚を切り裂き、その度に血が流れ、僕は生きているのだと実感させてくれた。


「何を笑っている? もしかして、痛いのが好きだとか、そういうあれなのか?」


 なにやら盛大な勘違いをされてしまった。


「いえ。今僕は生きていると実感しているんです」


 僕が滅多打ちにされながらも笑っていたからだろうか。


「おかしな奴だ」


 シナーリアさんも、真剣な顔つきの中で、どこか楽しそうだった。



 ◇ ◇ ◇


 

 朝の訓練が終わると、僕たちは汗を流した後、森の奥の方へと入っていった。


「こっちに何かあるんですか?」


 僕が尋ねると、シナーリアさんは呆れたような顔をした。


「何かって、お前、食料の確保に決まっているだろう。元々、あの荷物に入っているのは私の分だけなんだ。お前の分を確保しなくちゃならん」


 そうだ。差し出してくれて、遠慮するなとは言ってくれたけれど、僕がいただけるとなると、当然消費量も単純に倍になる。計算の苦手な僕でもそのくらいはわかる。


「それで、何をどうするんですか?」


 食べられる野草でも探すのだろうか? 僕は大抵の物は食べられるし、食べれそうな雑草ならば知識はあるけれど、本当に同じ物かどうか分からない以上、無暗に食べてお腹を壊すわけにはいかない。


「しっ。静かに」


 シナーリアさんは態勢を低くすると、僕にもしゃがむように指示をして、わずかに頭を覗かせた。


「あれだ。あいつは見ればわかる通り、と言ってもわからんか。あれは、リザードと私たちは呼んでいるんだが、あいつを狩るぞ」


 ごつごつとしている固そうな皮膚、頭頂部から背中にかけては同じ色の鋭い棘が生えていて、とがった牙が光っているのが見える。


「あいつはただのリザードだ。飛んだりはしないからその心配はいらないが、脚は早い。逃げられてしまう可能性もあるのだが」


 シナーリアさんは僕の方を向くと、腰に差していた剣を一振り、僕に渡してくれた。


「あの、シナーリアさん。僕、剣なんて」


「そいつは保険だ。多分私1人でもなんとかなると思うから、安心してそこで見ていてくれ」


 シナーリアさんは長くて黒い、昨日見たのとは違う剣を腰の鞘から引き抜くと、音も立てずに走って行き、あっという間に首を落としてしまった。


「さあ、戻って朝食だ」


 僕も剣が使えれば、あんな風に1人でも出来るようになるんだろうか。そうすれば、皆にももっとお肉を食べさせてあげられたのだろうか。


「どうかしたか?」


 僕は戻ってきたシナーリアさんにお願いした。


「僕にも剣を教えてください」


 シナーリアさんは少し考え込んでいた。おそらくは武器を使うことの危険性を考えているんだろう。


「‥‥‥わかった。だが、もう少し武術の基礎の基礎が出来てからだ。なに、ユースティアは体力はあるんだし、きっとすぐさ」


 僕はシナーリアさんに剣を返すと、リザードを受け取り担いだ。


「大丈夫か?」


「ええ。このくらいは大丈夫です」


 本当は少し重かったので、気付かれないように注意しながら、魔法を使った。使い過ぎると筋力の方の鍛錬にならないから、ギリギリ持てそうな重さに調節はしたけれど。


「そうか、頼もしいな」


 途中でシナーリアさんは食べられるのだという野草や果実を摘んでいた。



 ◇ ◇ ◇



「やあぁっ!」


 僕の伸ばした、腕を掴もうとする手を、シナーリアさんは軽くはじく。

 そのまま流れるように半回転した彼女は、僕の逆の手を取り、投げ飛ばし、地面に叩きつけようとしてきた。

 僕も、そのままただ投げられてしまうようなことはしない。

 少し魔法を使って態勢を整えると、逆に今度はシナーリアさんを殴りつけようと拳を振り下ろした。

 しかし、シナーリアさんはそれを手のひらで見事に受け止める。わずかな手首の返しだけで、完全に勢いを殺してしまっていた。

 僕は空中で1回転すると、距離をとって着地した。


「やはり、魔法は厄介だな」


 あれから大分時間は流れ――シナーリアさんの言うところでふた月――僕たちはすでに魔法についても認められるほどに親交を深めていた。


「それに、体術も、武器術も、出会った頃と比べればまるで別人だ。素質がいいからか」


「とんでもありません。師匠が優れているからですよ」


 僕たちは互いに笑い合うと、その場に腰を下ろした。


「ユースティア」


 シナーリアさんの口調はいつもよりわずかに硬く、どこか遠くを見ているようだった。


「なんですか、シナーリアさん」


 シナーリアさんはわずかに逡巡し、確かめるようにぽつりぽつりと話し始めた。


「お前と出会ってから、そろそろふた月だな」


「そうですね」


 僕は繰り返した日々を思い返す。シナーリアさんの言うところの地獄のような特訓は、僕にしてみればまるで天国のようだった。

 ご飯にありつけない心配をすることもない、魔法を使うことに怯える心配もない日々。

 本当に、こんな日々を一緒に過ごせたら良かったのになと思えるような日々だった。


「私はそろそろ街へ戻る予定だ。元々そういう予定で出てきたんでな」


「そうですか‥‥‥」


 シナーリアさんには戻るべき家庭があるんだ。それも当然だった。


「お前も一緒に来ないか、ユースティア」


「え?」


 僕は思わず聞き返した。


「私は戻る日を告げて出てきたから、その日になれば迎えの馬車がこの森の出入り口に来てくれているはずなんだ。それに乗って、お前も行かないか?」


「本当に良いんですか? 僕なんかが行っても?」


 馬車なんて乗ったこともない。それは、こんな格好で乗ってしまって本当に良いものなのだろうか?


「ああ、もちろんだとも」


 シナーリアさんの笑顔は本当に嬉しそうで、とても嘘を言っているようには感じられなかった。


「ありがとうございます。稽古や食事だけでなく、こんなことまで‥‥‥」


「いや、気にするな。私は自分の心に従うだけだ」


 僕は初めて行く街に心を躍らせていた。

 街へ行けばきっと仕事もあるのだろう。

 きっとティノ達に立派なお墓を作ってあげて、しっかり報告しよう。

 僕は君との約束を守るよ。

 今もまだ生きているって。


「では、帰ったら荷物をまとめるぞ。手伝ってくれ」


「はい」


 きっとこれから新しい人生と呼べるものが始まるのだと、この時の僕は信じて疑ってはいなかった。



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