ウィンリーエ学院 3
僕たちが学院へ来た目的は普段通りの授業光景を見学することだったのだけれど、当然のようにそう上手く物事は進行しなかった。
馬車の中から見学するわけにもいかず、当初は隠蔽の魔法か何かを使ってこっそりと見学するつもりだったのだけれど、そこにいるはずだとばれてしまえば魔法の効力は小さくなる。
学院長様に案内していただいて、今更な気もしたけれど、僕たちは普通に馬車から降りて見学することにした。
「お手をどうぞ、フィリエ様」
馬車へと戻った僕は、すぐに台を用意して扉を開き、近くに座っていらしたフィリエ様のお手を取った。
「ありがと、ユースティア」
明らかにこちらを伺っている視線には気づいていたけれど、だからといって見るなというのも無理な事だろう。
「ほら、皆、授業に集中しなさい。先程の事故を繰り返すつもりですか」
フィシオ教諭は注意してくださっているけれど、それ程効果があるわけではなさそうだった。
「視線が集まってしまっても仕方ないわね。だってあたしとお姉様が、それに今日はロヴァリエ王女もいるんだから」
馬車から出てこられて、大きく伸びをされたフィリエ様はとても誇らしげなお顔をなさっていた。
フィリエ様が微笑みかけられると、授業中の生徒の頭の上に花が咲いているような雰囲気が漂い始めた。
言われるまでもなく、フィリエ様の容姿は大層整っておられ、世界の美姫、のような本にも将来的には乗ることがあるのかもしれない。今でこそ、まだ7歳でいらっしゃるけれど、この冬の終わり、年の暮れには8歳になられるのだし、まだまだだと思っていてもそのときは意外と近いのかもしれない。
余談ではあるけれど、年が明ければすぐにミスティカ様もお誕生日を迎えられる。
「フィリエ、もう少し落ち着きなさい」
続いて伸ばされたナセリア様の手をそっととる。
ナセリア様は少しはにかんだ様な笑顔を浮かべられて、ゆっくりと馬車の前に敷かれた台の上へとその細い足を乗せられた。
「ナセリア様?」
しかし、ナセリア様は台に足をかけられたところで何故だか一瞬制止されて、僕の事をじっと見つめていらっしゃるようにも感じられた。もちろん、自意識過剰なだけという線が濃厚だったけれど。
本当にわずかな間の事だったので、特に不思議に思うようなこともないのだけれど、もしかしたらこちらに不手際があったのかもしれない。
ナセリア様の表情の変化はほんの一瞬だったけれど、何かを思案していらっしゃるようなお顔をなさった後、はっとしたように元のお顔へと戻られた。
「すみません、ユースティア」
ナセリア様のお顔は少し火照っていらして、はっきりとはわからなかったけれど、何か羞恥に耐えていらっしゃるようにもみえた。
「本当にすみませんでした」
謝られても僕にはどうしたら良いのか分からず、ただ笑顔で何も謝られる必要はございませんと告げることしかできなかった。
「ユースティア、お姉様のことはあたしに任せてロヴァリエ王女の方を」
ナセリア様の態度に気をとられていたけれど、まだ馬車の中にはロヴァリエ王女が残っていらっしゃる。
フィリエ様がナセリア様に微笑みかけられて何か話し始められたので、僕は最後まで残られたロヴァリエ王女を馬車の外へとお連れすべく、手を伸ばした。
「ありがとう、ユースティア」
ロヴァリエ王女が馬車からお出になられると、僕は台を仕舞い、扉を閉めてから姫様方の後ろへ控える。
「いつもこのように実践の訓練をしていらっしゃるのですか?」
僕が尋ねるとフィシオ教授は、いいえ、と首を横に振られて、ローブの内側に持ってお出でだった1冊の分厚い書物を手渡してくださった。
「これが現在私共が使っている教科書です。もちろん、実戦の訓練もいたしておりますが、授業として、毎日行っているわけではございません」
僕も魔導書の編纂を通して言語については大分学んだので、一応、リーベルフィアの公用語くらいであれば、翻訳の魔法を使わずとも、十分に読み書き、そして話すことくらいは出来るようになっている。
リーベルフィアの学院で使用されているだけのことはあって、教科書はリーベルフィアの公用語で記されていた。
「さすがに魔導書の魔法全てを記載するわけにも参りませんでしたので」
どうやらこの本は最近作り直す、というよりも継ぎ足されたようで、紙の質がわずかに異なっていた。
「しかしユースティア殿が編纂された魔導書に載っていた魔法はどれも本当に重要な、そして意義のあるものばかりで、ここへ乗せる際に削らなくてはならなかったのが悔やまれます。もちろん、魔導書の写し自体も学院の図書室に保管されておりますが」
僕は最初の1冊を書き終えて以来、複製の魔法で、適当な数になるまで魔導書のコピーを制作した。
複製した方、原本以外には複製防止の魔法もかけてあるけれど、僕が自分で所持していいと言われている最初の1冊にはその魔法は使っていない。
知識は力であり、ある程度流通させるために作ったとはいえ、無暗にばらまかれるのも、おそらくは良くない結果をもたらすだろうと判断した、そして判断された結果、そういう形をとることになった。
「おかげさまで彼らの、そして私たちも学ぶべきことが増え、休暇や休日など大分減ってしまいましたが、誰からも不満が漏れるどころか、時間がないと喜んでいるようでして」
それは見ていても分かる。
どの生徒も自分なりに魔法を使いこなせるようになろうと、頭と身体をフル回転しているのが、ここからでも見て取れる。
傍らに置かれた鞄の中からノートを取り出して必至に書き込んでいたり、1度の戦いが終わるごとに互いに歩み寄って検証している姿が見られる。
そういえば、僕が姫様方に教える時は、姫様達はご自身で考えていらっしゃる様子だったから僕がアドバイスするだけだったけれど、もっとお互いに教え合うでもないけれど、そういった時間をとった方がより深い理解につながるかもしれない。
僕自身、姫様達に教えることで、自身の魔法に対する感覚も磨かれているのは分かっている。
人に教えるというのは、自分の理解を深めるためにもよいのかもしれない。
「どうしたのですか、ユースティア」
うん、と1人で頷いていると、こちらを振り向かれたナセリア様が小首を傾げられた。
その姿はとても可愛らしくて、何だか顔の辺りが熱くなるのを感じた。
「少々授業の事で考え込んでいまして、何かご用事でしょうか?」
「いいえ。ユースティアは真面目ですね」
眩しいものでも見るように、わずかに目を細められたナセリア様は、柔らかく微笑まれた。
いいえ、ナセリア様。たしかに授業の事も考えてはおりましたが、その後はあなたの姿に見とれていたのです。
などと言えるはずもなく、かといって、ナセリア様から視線を逸らすことも出来ずに、僕たちはしばらくそのまま見つめ合ってしまった。
宝石のように大きく綺麗な金の瞳で見つめられていると、何だか吸い込まれてしまいそうで、気に姉妹としてたことまでもが気になってくる。
長いまつ毛や、大理石のように白い肌、細い手首や折れそうな腰、冬の寒さの中でも、いやだからこそなのか、余計に色鮮やかにナセリア様の姿が映し出される。
ナセリア様も僕から視線を外そうとはされずに、わずかに頬が上気しているように赤く染まる。
「お姉様、お昼にしましょう」
フィリエ様がナセリア様に抱き着かれて、僕たちは我に返った。
気がつけば、いつの間にやらお昼の時間になっていて、生徒たちもちらほらと演習場を後にし始めている。
「‥‥‥もしかして、あたし、お邪魔だった?」
「いえ、そんなことはありませんよ、フィリエ。お昼にしましょう」
お昼の後は私たちも参加してみたいわね、とおっしゃられるフィリエ様が手を引かれながらナセリア様とご一緒に馬車へと向かわれる。
「どうでしたか、ロヴァリエ様」
「私より年齢は低そうだったのに、私も負けていられないわね」
大分良い刺激になられたらしいロヴァリエ様も、気合は十分といったご様子だった。




