いざ学院へ 4
寝る前に索敵の結界を張っていたのだけれど、夜中に引っかかる輩はいなかった。
翌朝、朝と言うべき時間帯なのか分からなかったけれど、いつものように日が昇るのよりも少し早いくらいの時間帯に目が覚めた僕は、姫様方を起こしてしまわないように慎重にベッドから身体を起こした。
部屋のスペースを有効活用するためか、4人で泊まることのできる部屋のベッドは2段構造になっていたため、何かあれば咄嗟に反応できるように、僕は下の段のベッドで身体を休めていた。
僕はしっかりと結界の魔法が掛かっていることを確認した後、なるべく音を立てないように部屋をあとにして、ギルドの外へと早朝の鍛錬に向かった。姫様の護衛という重要な仕事中ではあるけれど、いざという時のための鍛錬を欠かすわけにはいかないし、何かあれば結界への反応ですぐに感じ取ることが出来る。
「朝早くから精が出るねえ」
しばらくして、明るくなってきたとはいえ、いまだに空には星が綺麗に瞬く中、おそらくはこのギルドで働いていらっしゃるのであろう––と格好から判断できる––女性が扉を開けて出ていらした。
「おはようございます。いつでも姫様方をお守りできるよう、鍛錬を欠かすわけには参りませんから」
「魔法顧問というくらいだから素手での戦闘の方はそれほどではないだろうと思っていたけど、中々、どころか結構やるみたいだね」
もちろん、魔法で後れを取るつもりはないけれど、格闘武器術も出来るに越したことはないし、王室付きの魔法顧問が魔法だけしかできないと思われるのもよろしくない。
最初に教えてくださったのはシナーリアさんだけれど、リーベルフィアに来てから騎士の方達と訓練することで、大分実力も付いてきていると思う。
「魔法師ってやつはそれだけでも満足してるやつが多いから感心だね。まあ、色々と大変なんだろうけどさ」
僅かに白髪の混じった薄い紫色の髪を後ろで1つに束ねられた女性は、ゆっくりとした足取りで僕の方へと近づいて来られた。
「おっと、まだ自己紹介をしていなかったね。あたしはここのギルドの、まあ、管理人或いは責任者、もしくは女将とでもいうのかね、シルエラさ。シルエラ・カンファ。お見知りおきを、魔法顧問殿」
「ご丁寧に。ユースティアです。シルエラ様」
僕がシルエラ様の前に膝をつき、その手を取ると、シルエラ様は数度目を瞬かせられた後、声を上げてお笑いになられた。
「いや、失礼。歳もそれほどではないだろうに、噂の魔法顧問殿は随分と男前じゃないか」
聞けば、シルエラ様はこれから朝の掃除と朝食を作るのだという。
「もうすぐ手伝いの奴も顔を見せるはずさ」
シルエラ様がそうおっしゃられたところで、道の向こう側から女性が走ってくるのが目に映った。
「おはようございます、シルエラ様」
「ああ、おはよう、シルキー」
オレンジ色の髪を猫か何かの耳のように頭頂部で跳ねさせた女性は、顔を上げられると、僕の方を見て驚いたように目を見開かれた。
「あの、シルエラ様。こちらの方は、あの魔法顧問の‥‥‥?」
「ああ、そうさ。お前も昨日‥‥‥はもう帰ってたか」
シルエラ様が王女様がお泊りになっているのだという話をされると、シルキー様は何度も目を瞬かせられた。
「え」
「静かにおし。まだ夜が明けたばかりだよ」
声を上げられる前に口を塞がれたシルキー様が勢いよく首を縦に振られると、シルエラ様はようやく手をお離しになられた。
「じゃあ、あたしたちはそろそろ行くからね。朝食の準備もあるし」
「失礼しますね、ユースティア様」
お2人がギルドの方へと戻ってゆかれるので、僕は頭を下げてそれをお見送りした。
昨夜見た感じではお2人だけということもないのだろうし、向こうから頼まれた、もしくはこちらから働かせていただいているのではない限り、僕が出しゃばって手伝おうなどと口をお出しするのは失礼にあたるだろう。
お2人をお見送りしてからしばらくすると、部屋の結界に反応があり、ヴァイオリンのケースをお持ちになったナセリア様が歩いて来られたので、僕は膝をついてお出迎えした。
冬の朝の冷たい風に揺れながらも、神秘的な長い銀の髪にはまったく癖などはついておらず、僕と目を合わせられると、その美しい、宝石のような金色の瞳を眩しそうに細められ、ピンク色の花びらのような唇を嬉しそうにほころばせられた。
「おはようございます、ユースティア。今日も良いお天気ですね」
すでにというか、ようやくというのか、空は大分青色に染まってきていて、もうしばらくすれば太陽もその姿をお見せになることだろう。
「おはようございます、ナセリア様」
ナセリア様は僕の近くまでいらっしゃると、ケースからヴァイオリンを取り出された。大切に扱われていることが分かる見事なヴァイオリンで、日の光に照らされたそれは、つやつやとした光沢を放っていた。
「何だか目が覚めてしまって。別に場所が変わったから寝辛かったということはないのですけれど」
エイリオス様は武術の訓練をなさっているらしいのだけれど、僕はその場に立ち会ったことはない。ナセリア様は武術の訓練はなさっていらっしゃらないけれど、芸術方面のお稽古は、魔法の訓練と同じように欠かさずになさっていらっしゃる。
「出かけているからとはいえ、練習を欠かすわけにはいきませんから」
出かけ先にピアノなどの大きな物を持ってくることは出来ないけれど、ヴァイオリン程度の大きさの物であれば十分に鞄に入れることが出来るだろう。
この後、年の暮れ、フィリエ様のお誕生日が終わった末も末には、ここのすぐ近くのあの国立音楽ホールで音楽会も開かれる。
そこではナセリア様も、ヴァイオリンなのか、ピアノなのか、フルートなのか、僕は詳しいことは知らないけれど、演奏者の1人としてご出席なさるらしい。
「それはご立派なお心がけです。しかし、ナセリア様、今後はお1人で出歩かれるようなことはなさらずに、私共にひと言お声がけください」
「ユースティアがいれば、そうします」
僕が眠っていたら、ナセリア様の事だから、きっと起こさないように静かに出てこられただろうというのは想像に難くない。
なにしろ、ご自身の命が危険な状況でも他人を起こすことを良しとされないような方だ。
あの時から、事あるごとに告げようとは思っているけれど、中々そういった機会もない。もちろん、ないに越したことはないのだけれど。
とはいえ、今回は僕の方にも落ち度が全くないとは言い切れないので、大人しく頷いた。騎士の方を起こしに行けば良かったのかもしれないけれど、今更言ってみても仕方はない。
「お傍を離れてしまい、申し訳ありませんでした」
部屋の方へ誰かが近付いた気配はなかったけれど、念のため、部屋の結界に意識を飛ばしてみると、フィリエ様とロヴァリエ王女のものと思われる反応はまだ部屋の中にあった。お2人以外の反応はないので大丈夫だろう。
嬉しそうに微笑まれたナセリア様と一緒に小1時間ほど練習を続け、最も早かったパーティーの方達がギルドを出て行かれる頃に、僕たちは練習を切り上げて部屋へと戻った。