いざ学院へ
国王様が呆気にとられていらっしゃる間に、クローディア様は執務室を後にされた。
書状を持って行かれたものだから、僕も、それからロヴァリエ王女も慌ててその後ろを追いかける。アルトルゼン様が追っていらっしゃらないのは、執務中であるためと、レガール様をおひとりには出来ないためだろう。
正確に言えば、秘書官の方が執務室にはいらしたけれど、まさか子供を放り出したり、お仕事を放り出されたりはなさらないだろう。
「ナセリア」
ナセリア様は、フィリエ様やエイリオス様、それからミスティカ様とご一緒にお庭にいらっしゃって、どうやら授業中だったらしく、地面に張り切って大陸の地図をお書きになっているフィリエ様のご様子を硬質な瞳で見つめていらした。
「どうなさったのですか、お母様」
クローディア様がこうして授業中にお姿を見せられることは、少なくとも僕の知る限りではあまりなく、さすがのナセリア様もわずかに眉を動かされた。
「ナセリア、学院に興味はあるかしら?」
おひざ元に駆け寄られたミスティカ様の御髪を柔らかく撫でられながら、優し気な瞳を向けられる。
「はい。お城の図書室の本は全て読んでしまいましたし、学院にある最新の学術書などにも興味はあります。もちろん、学院という組織の形態も、一王女として知っておかなければならないとは思っておりますが」
暗に自分が行くべきではないのでは、もしくは自分が行っても大丈夫なのだろうかというニュアンスを含ませたナセリア様に向かって、クローディア様は微笑まれた。
「そう。それなら良かったわ。これからロヴァリエ王女が見学に行かれるのですけれど、あなたも行ってみる気はあるかしら。ちなみに、護衛はユースティアが務めてくれますよ」
僕とナセリア様の視線がぶつかり、ナセリア様が何か口を開かれるよりも先に、フィリエ様が身を乗り出された。
「お母様、学院ってことはお城の外へ行けるってことよね! あたしも行ってみたいわ、いいでしょう?」
活発で、元気を持て余していらっしゃるご様子のフィリエ様は、どうやら座ったままの授業よりも学院という未知の場所への興味の方が勝るご様子だった。
「よろしいのでしょうか?」
クローディア様が授業をしてくださっている先生に尋ねられると、白いお髭を生やされた男性は、構いませんとも、と頷かれた。
「すみません、ウィル先生」
「いえいえ、王妃様。何事も、体験、経験に勝る授業はございません」
クローディア様がフィリエ様を嗜められ、フィリエ様がウィル先生に謝られた後、僕たちは学院へと向かうべく、馬車へと向かった。
「どうして馬車へ向かうの? 空を飛んでいけば早いじゃない」
「そうはいきませんよ、フィリエ。いきなり空から人が降りてきたら、初見の方は腰を抜かしてしまわれるでしょう。もちろん、ユースティアさんが編纂なさった魔導書には飛行の魔法の事も記されてはいらっしゃるけれど、誰もが皆、私たちのように魔法を使えるわけではないのよ」
フィリエ様は渋々といったご様子で頷かれた。きっと、空を飛んで行って、学院の方を驚かせたかったのか、それとも胸を張りたかったのか、どちらかだろう。
「しかし、お母様」
フィリエ様だけでなく、ナセリア様にも少しばかり思うところがあるようで、人形のように整ったお顔で、地面の地図を見つめていらした。
「すでにお昼を回っています。今から向かったのでは到着が夜になってしまうのではないでしょうか?」
ナセリア様のおっしゃる通り、普通に馬車で向かうとなると、どれ程早くとも、今からでは夕刻辺りになってしまい、おそらくはその日の授業は終了してしまっていることだろう。それでは、ロヴァリエ王女の希望を満たすことは出来ない。
「大丈夫でしょう。そうしたら今日は学院に泊めていただいて、見学は明日にすれば」
それに、と、クローディア様は口を開かれかけたナセリア様の機先を制して、僕の方へと振り向かれた。
「何かあっても、ユースティアが全て何とかしてくれるわよね?」
王妃様の期待は、正直過剰だったけれど、それをしっかり背負えないようではこの先ナセリア様達の、そしてこの国を代表する魔法顧問は務められない。
「お任せください、クローディア様。姫様方の安全と安心は全て私が責任を受け持ちます」
僕は真摯な気持ちで膝をついて頭を下げた。
◇ ◇ ◇
「お泊りのお出かけなんて初めてだわ! 何を持って行こうかしら」
御者の方にお願いした後、僕たちには出かけるための準備が必要だった。
僕にはこれといって持ち物もなく、準備はすぐに終えることが出来たのだけれど、やはり女性は身支度に時間が掛かるものらしい。
わずか1日か2日程度のお出かけだというのに、ナセリア様とフィリエ様がおめかしされて、大きな鞄をお持ちになって出てこられたのは、たっぷり1時間ほどかけられた後だった。ロヴァリエ王女も、それ程ではないにしろ、大きな荷物を抱えていらした。
「ユースティアは何も持っては行かないのですか?」
「いえ、私は収納の魔法で全て、このように空間に入れて持ち歩いておりますから」
僕が何もない空へと手を伸ばして、大して多くもない荷物の欠片を引き出して見せると、ナセリア様も、フィリエ様も、ロヴァリエ王女も、御者の方も、それからクローディア様までもが目を丸くされて、どうやら絶句なさっていらっしゃるご様子だった。
僕も収納の魔法、と呼んではいるけれど、この魔法を使えると分かったのは最近のことで、少なくとも前の世界、シナーリアさんと暮らしていた時にはこの魔法は使えなかった。正確には使えることを知らなかった。
転移の魔法は、今でも使い方は分からないけれど、僕も姫様方に魔法をお教えして、魔導書を編纂する傍らに自身の魔法を磨かなかったわけではない。
収納の魔法に関しては、魔導書には記していない。使えると分かったときには、すでに魔導書は世に出回ってしまっていたからだ。2刷を出すならば記すことを考えなくもないけれど、それがいつになるのかは分からない。
もっとも、危険性を考慮するのであれば、乗せないのが正解なのだけれど。
「え、ええっと、そろ––」
「ユースティア!」
そろそろ参りませんか。御者の方を待たせ過ぎてはいけないのでそう提案したところ、フィリエ様に詰め寄られてしまった。
ナセリア様とクローディア様は、詰め寄られこそされなかったものの、その瞳は雄弁にフィリエ様と同じ御心境であらせられると語っていた。
「姫様。い、今はその時間もございませんし、戻りましたら、お教えしますから」
というよりも、その、あんまり詰め寄られると、花のようないい香りがして、なんだか頭がくらくらしそうになる。その年齢にふさわしく、もうすぐ、あとふた月ほどで8歳になられるフィリエ様は、まだ子供と言える身体つきでいらっしゃるのだけれど、全くないわけではなく、なんだか柔らかいものが押し付けられていたり、お顔を見ようと見下ろすと、膨らんだ洋服の襟口から見えてしまいそうになって、大変困る。
そういったお店で働いていたことがないわけではないけれど、そのことと僕が慌てずに対応できるということはイコールではない。しっかりと心構えを持っていれば平気だろうけれど、突然の事では慌てもする。
助けを求めようとナセリア様の方を向いてみても、ナセリア様はナセリア様で、ご自身の胸元を触ったりされて確認なさっていて、こちらを助けてくれるような雰囲気ではいらっしゃらない。クローディア様は楽しそうに僕たちの事を見つめていらっしゃるだけだった。
「約束よ、ユースティア」
フィリエ様は真っ先に馬車へと乗り込まれて、その後姿を何だか羨ましそうな表情をされたロヴァリエ王女と、やはりご自身の胸元を気になさっていらっしゃるご様子のナセリア様が続いた。




