ロヴァリエ王女の訓練
僕が目を覚ますのは大抵が朝日が顔を見せる直前くらいの時間帯だ。
星の輝く漆黒の夜空がだんだんと白んでゆく様子は、ゆっくりと落ち着いてみることが出来れば、それは大分幻想的な光景だと、リーベルフィアに来てから初めて知った。
空気を入れ替えるために、部屋の窓を開けると、秋の終わりの冷たい風が部屋の中へと吹き込んできて、僕は身体を震わせた。
「あれ? もう誰か起き出していらっしゃるのかな」
僕が目を覚ますのは、普段はお城の中でもおそらくは一番最初だった。
ふかふかのベッドや暖かい部屋に慣れていないとか、そういった理由もないわけではないけれど、ずっと昔から沁みついている習慣に逆らうというのも難しく、また早く起きても困ることは特にないため、僕は毎朝目覚めるままに布団から出る。
普段であれば、図書室からお借りしてきた本を読んだり、魔法顧問として恥ずかしくないよう、そして自分の最も信頼できる魔法に対する感覚を磨くために庭に出て1人で訓練するところなのだけれど、今日は風の流れが運んできたのか、珍しく、僕よりも先に起きて鋭い声を響かせている誰かが庭にいるようだった。
「探知魔法に引っかかるものは何もなかったはずだけれど‥‥‥」
眠っていても、何者かの侵入があればすぐに察知して行動できるように、探知魔法のフィールドは無意識に展開できるようにしている。
部屋の近くであれば、魔法に頼らずとも、自分の感覚だけで気づくことも出来るけれど、さすがに王城の敷地内全ての音を拾ったりできるかと言えば、生身だけでは難しい。
そのために探知フィールドを敷地には展開しているのだけれど、外部から侵入してきているという感覚はなかった。僕が最も信頼している感覚は自身の魔法に対するものなので、おそらくそこに間違いはないだろうと思っている。
それに、いくらお城の敷地が広大とはいえ、夜警の騎士の方達に気付かれずに内部に侵入出来るのかと言われれば、それは大分難しいことではないかと思われた。
なぜ騎士の方が警備をなさっているにもかかわらず探知魔法を展開しているのかと尋ねられると、騎士の方達を信頼していないようにもとられるのかもしれないけれど、そうではなくて、ただ危機意識と、習慣的なものだ。
お城が騒がしいとか、そういったことは一切ないので、おそらくは侵入者などの賊ではないと思ったけれど、一応事実を確かめるために、僕は着替えて、他の人を起こしてしまわないように、窓から外へと飛び出した。
◇ ◇ ◇
朝靄の中の白い道を、小鳥が挨拶を交わす囀りを聞きながら、音の発信源へと近づいて行く。
冬場の近づく早朝はとても寒く、寒気を防ぐための結界と、身体を温める温度を、体内と服に作り出す。
聞こえてくる声は1人分で、何かを振り回しているような、空気を切り裂く音が聞こえる。
その音には覚えがある。騎士の皆さんが訓練の時に出すような音だ。相手はいないようなので、さすがに剣や槍がぶつかり合うような音は聞こえてきたりはしていないけれど。
「やあっ!」
掛け声とともに、太い木を蹴ったような、鈍い音が聞こえてきた。
ひらひらと舞い落ちる、わずかに残った木の葉を目がけて、模造刀ではなく、白銀の剣が振りぬかれる。
頭の後ろで1つに束ねられた亜麻色の髪を翻し、剣を振りぬいた彼女は、額の汗を拭うような仕草をした。
「誰っ!」
その美しい光景に目を奪われていて、思わず足元の枯れ木を踏み折ってしまった僕の方へと、ロヴァリエ王女が振り向かれた。
「稽古の邪魔をしてしまって申し訳ありません。邪魔をするつもりは全くなかったのですが、こちらの方から声が聞こえたものですから」
本当の事を言うのは、大抵の場合は良いのだけれど、いつも正直に話せば良いものでもない。
完全な嘘というわけでもなかったし、この程度であれば別に王女様が相手であても問題はないだろう。まさか、賊かと思いましてと話したのでは、正直ではなく、馬鹿正直というものだ。
「‥‥‥別に構わないわ」
ロヴァリエ王女は剣を納められ、手招きをされた。僕はそれに従って、ロヴァリエ王女の隣まで歩いていった。
「‥‥‥私、部屋に押し込められて学術書を読んだりするよりも、こうして思い切り身体を動かす方が好きなの」
学問の国のお姫様は、近くの木に寄りかかられると、空を見上げながら小さなため息をつかれた。
ロヴァリエ王女がリーベルフィアのお城にいらしてから、騎士の方との訓練にも、姫様方のお勉強にもお顔を見せられていることは知っているし、少なくとも騎士の方との訓練に参加されて、僕と剣や拳を交えられているときのお顔は拝見している。
その技術もさることながら、剣を振るのをとても楽しんでいらっしゃるのだということは、僕だけでなく、騎士団の皆さんも同じように思っていらっしゃることだろう。
「噂に聞いた話では、リーベルフィアの新しい魔法顧問は空を自由に飛ぶという話だったから、信じられなかったけれど、とても楽しそうだなって思ってこっちへ来てみることにしたのよ」
そうしたらお勉強の途中に部屋から抜け出すことも出来るかもしれないしね、とロヴァリエ王女は冗談めかして微笑まれた。
「お父様もお母様も、私がそういう風に騎士の真似事をするのを良くは思っていないみたいで、向こうにいた頃はあんまり自由に訓練も出来なかったのよ。もちろん、何とか目を盗んでは訓練していたのだけれどね」
さすがに勝手に外へと冒険に出かけるようなことまではされていなかったらしい。そのくらいの意識はあるご様子だった。
「そのこと、騎士団の皆様は」
「もちろん知っていて内緒にしてくれているのよ。そうじゃなかったら誰も訓練を見てくれないじゃない」
ロヴァリエ王女はお父様やお母様に知られたら大変よ、とおっしゃられたけれど。
「あの、それについてですが、リディアン帝国の国王様と王妃様はご存知だったのではないでしょうか?」
「え?」
だって、いくら何でも他国へ向かわせる荷物や人の中に、自分たちの知らない武器が紛れ込んでいることを良しとはされないだろう。
アルトルゼン様やクローディア様も、子供のことは大抵見透かされていらっしゃるご様子だし、僕には想像することしかできないけれど、おそらく親というのはそういうものなのではないだろうか。
「王女殿下の御父上も御母上も、おそらくはそのことをご存知だったはずです。それでいて黙認されていたのですから、きっとロヴァリエ様の事を信頼されているのだと思いますし、とても愛されているのではないでしょうか」
ロヴァリエ王女は目を丸くされて、僕の事をじっと見つめていらした。
「帝国へお戻りになられたら、ご両親によく話されてみてはいかがでしょうか。もちろん、王女様として淑女らしい立ち居振る舞いも求められるのでしょうけれど、反対はなさらないのではないかと」
姫様というのは、誰も皆、こうしてご自身のうちに抱えていらっしゃるのだろうか。
ナセリア様も、偶々僕は現場に居合わせることが出来たけれど、僕が来る以前にもああいったことがなかったとは言い切れない。いや、きっとあったのだろう。初めてでもあそこまで落ち着いていたのであればそれはもう尊敬とかそういったレベルの話ではないと思うけれど、あの時の口ぶりでは、そうも初めてではなさそうだと、僕個人としては感じていた。
「本当に話してしまっても大丈夫かしら。失望されたくはないのよ」
「大丈夫です、きっと」
確証があるわけではないけれど、僕はロヴァリエ王女の瞳を真っ直ぐに受け止めて小さく微笑んでみせた。すると、ロヴァリエ王女は綺麗な微笑みを浮かべられた後、悪戯っ子のように笑われて、
「そうね、もしだめだったらユースティアに責任をとって貰おうかしら」
冗談のような軽い口調でそのようにおっしゃられた。




