森の騎士様
目が覚めて、僕は辺りを見回した。
貧民街とはまるで違う、背の高い植物が鬱蒼と生い茂るどこか森の中のようだった。
「夢‥‥‥じゃない‥‥‥」
そこは今まで見たこともない場所だった。
頬を千切れるくらいにつねってみたけれど、まったく覚める様子はないので、それに痛かったし、きっとこれは夢ではなく現実なのだろう。
ここが貧民街ではないことも、ティノ達がもうこの世界にはいないということも。
怪我や病気は治せても、死んだ者を蘇らせることは出来ない。
そのことを僕は魔法が使えると自覚したときから、感覚的に悟っていた。
「ティノ‥‥‥」
思い出すだけで、涙が次から次へと止めようもなく溢れ出てくる。
それでも僕に死ぬことは許されない。
――生きて‥‥‥逃げ延びて‥‥‥。
それが彼女の最初の、そして最後のお願いだったからだ。
今の僕にとっては呪いのようなものにも感じられたけれど、僕は何としてでも生き残らなくてはいけない。
たとえ、この世界にティノや皆がいなくても。
「ここは一体どこなんだろう‥‥‥?」
動きたくないと叫ぶ身体を無理やり起こして僕はよろよろとしながらも歩き出した。
生きるためには何においても水と食料が必要だ。
水は多分自前で用意できるとしても、食料を作り出すことは出来ない。
かといって、お金もない僕にはどうすることも出来ないけれど。もちろん、金なんかの鉱物を作り出すことも出来ない。出来たらとうにやっている。
「‥‥‥流石に魔法まで使えないなんてことはないよね」
これで魔法が使えなかったら流石に野垂れ死ぬ。
こうなる原因になった魔法だけれど、今の僕が唯一頼ることの出来るものだ。
「‥‥‥とにかく、人が居るところへ向かおう」
正直、今は何かをしたい気分ではなかった。本音を言うなら、全部なかったことになると信じて、このまま眠ってしまいたかった。
けれど、そうも言っていられない。
「最後の約束だからね‥‥‥」
人を探そうとして、僕はひどく魔力が欠乏していることに気がついた。
魔法を使おうとすると、激しい頭痛に襲われた。
「いや、危ない危ない。不用意に魔法を使おうとするものじゃないな。助かった」
魔法を使ってしまえば、もし、同じような人が居た場合気付かれてしまうだろうし、見渡した感じでは誰も居なさそうではあったが、万が一ということも考えられる。
そこで端と考えた。
「‥‥‥気付かれたとして何か問題があるのかな?」
僕に守るべきものはもう何もない。強いて言うのならば自分自身くらいだけれど、魔法が使えるのならばきっと大丈夫だという確信がなぜかあった。
死ぬことは許されないけれど、本気になればそう簡単に死ぬようなこともないだろうとも確信している。
「‥‥‥問題ないな。よし」
この土地がどこかは知らないけれど、魔法が使えるというのは感覚で分かっていた。仕組みなんてどうでもいい。使えるのだという事こそが重要なんだ。
魔法の扱いについては心配する必要はないだろう。魔法を隠しながら使う方法を沢山、それこそ死に物狂いで訓練した、そして数々の働き口で使っていた結果、僕は大分魔法の扱いに自信を持っていた。
――これがなければ僕も皆と一緒に‥‥‥。
「だめだだめだ、僕は何を考えているんだ」
ふと頭をよぎった考えは、すぐに彼方へと振り払った。
そんな弱気な考えでは、生きていくことは出来ない。
もうティノ達はいないんだ。悲しみが尽きることはないけれど、どれ程悲しんでも皆が帰ってくるわけじゃない。これからは1人で生きていかなくちゃいけないんだ。
再び溢れそうになる涙をぐっとこらえる。泣いてばかりはいられない。いなくなってしまった皆には流せる涙もありはしないんだ。僕だけいつまでも女々しく泣き続けるわけにはいかない。
顔を上げると、先程の頭痛は何だったのか、すでに治まっていた。
「あっちか」
索敵、探索、探知等の魔法に引っかかった反応で、人間と思われたのは、範囲内では1人だけだった。
ざわざわと揺れる草木をかき分けながら歩いてゆくと、腰から細長い剣を下げていて、胸と肩のあたりに銀の鎧をつけた、綺麗な長い漆黒の髪をした女性が銀色に光る槍を構えていた。
「――!」
彼女の真っ黒な瞳は、真っ直ぐ僕がいる方を見つめていた。しかし、彼女が叫んだ声は何だかよくわからない響のものだった。
そうか、言葉が違うから分からないのか。
僕は言葉を訳すための魔法を自分に使った。こうすれば、自分の言葉は相手の言葉で伝わるし、相手の言葉を自分の知っている言葉として聞くことが出来る。もちろん、相手に魔法を使っているとばれるようなヘマはしない。
さっきの言葉は分からなかったけれど、初めて見る人にかける言葉なんてわずかしかない。大抵は相手の素性を問うためのものだ。
魔法を使えばいくらでも隠蔽することは出来たけれど、この土地では魔法がどのような扱いを受けているのか分からなかった僕は、あまり使い過ぎるのもどうかと思い、素直に名乗り出ることにした。
「大事な稽古の邪魔をしてしまい、申し訳ありませんでした、騎士様」
女性とそういう意味で深い間柄になったことはないけれど、娼館なんかでも年齢を偽って働いたことがあった僕――もっとも、ばれてはいたのだろうし、本番まではしたことはなかったけれど――の口からは、すらすらと言葉が出てきた。
「あなたのその綺麗に磨かれた鎧にわずかに見える傷跡に、あなたの実力とご自分の物に対する愛が感じられたので、つい見とれてしまっていました」
見え透いたお世辞ではあったけれど、一定以上の効果はあったようで、黒髪の綺麗な女騎士様は途端に誇らしげな顔つきになった。
「そうだろう、そうだろう。これは決して私が弱いから前線へ送られたことがない、と言うのではなく、私の手入れが良いからだ。よくわかったな、少年」
女騎士様は僕の方へと歩み寄ってきて、肩をばしばしと叩いた。
「っすまない。それほど強く叩いたつもりではなかったのだが」
あまりにも空腹だった僕は、彼女の言う通りそれほど強い力で叩かれたわけではないにも関わらず、その場にへたり込んでしまった。
そしてお腹がぐうと鳴る。
「そうか、腹が減っているのだな」
しばし待たれよ、そう言うと彼女は、離れたところに置いてあった彼女のものであるらしいくたびれた布の袋から、一切れのパンを取り出して、僕に差し出してくれた。
「これでも食べて腹の足しにするが良いぞ」
今のところ、彼女が嘘をついているようには見えない。長年の習慣で、そういったことには敏感ではあったが、彼女が少なくとも好意からパンを差し出してくれているのは分かった。
「‥‥‥いただけません」
しかし、僕は首を振った。
「見ず知らずの方から施しを受けられるほど、僕は立派な人間ではないのです」
皆を助けられず、見捨てて逃げてきてしまった僕に、他人から親切を受ける権利なんてない。
「そうか。しかし、ここでお前を見捨てることは私の騎士道に反する。寝覚めも悪い。ここは1つ、どうか私のためにこのパンと水を受け取っては貰えないだろうか」
彼女は真剣な瞳で僕を見つめている。そこに嘘は見つけられなかった。
「‥‥‥ありがとうございます。いただきます」
僕がパンをひと口千切って口に入れると、お腹が余計にくぅと鳴った。
「遠慮せずに食べると良い。水もあるぞ」
彼女は水筒を差し出してくれたが、そこまでお世話になるわけにはいかない。
「いえ、大丈夫です。水は自前で準備できますから」
彼女は首を傾げていたけれど、何も今すぐに水を飲まなければ死んでしまうわけではない。あとでこっそり水を創ればいいだろう。
「そうなのか?」
「はい。ご厚意感謝いたします、騎士様」
彼女は立ち上がると、漆黒の髪を手で払った。短く白いスカートが風にはためき、僕は慌てて顔を逸らした。
「シナーリア・リリベルだ。其方は?」
彼女はそんなことには気づいていない様子で、自ら名乗った。
偽名を名乗ることなんて考えられない。シナーリアさんが信用できるかどうかなんてわからないけれど、大切な名前を偽ることだけは出来なかった。
「ユースティアです」
差し出された手を取って、僕はそう答えた。