パーティーの裏側で 3
ジョセフィーヌ様は香を焚くような小さめの黒い瓶を部屋の隅にまさに置かれているところだった。
部屋の中を失礼とは思いつつも部屋の中を見渡せば、他の隅にも同じような小瓶が設置されていて、どうやら隠蔽の魔法により誤魔化そうとしているみたいだった。
「ナセリア様、失礼を承知でお聞きしますが、無礼に感じられたなら、即座に私のことを城から追放してください」
そう前置きしてから、僕はナセリア様のお部屋の立派な化粧台に目を向けた。きちんと整理整頓がなされているようで、台の上に瓶が出ていたりなどと言うことはない。
「今このお部屋から漂う香りは、ナセリア様のお持ちの物から出ているものでしょうか」
部屋の中には、まだわずかではあるけれど、馬車の中と同じような甘い香りが漂っていた。外では気がつかなかっただけで、実はナセリア様がお持ちの物であるという可能性も、全くないとはまだ言い切ることは出来ない。
もっとも、ナセリア様は普段香水などご使用になってはいらっしゃらない。今日は他国の皇子様をお迎えしてのパーティーなので特別だという可能性もあるのだけれど。
案の定、ナセリア様は小さく首を横に振られた。
「たしかにこの部屋には化粧台がありますが、それはお母様がもう少し大きくなったらきっと必要になるからどうしてもと置かれたもので、私は今まで使用したことはありませんし、部屋に香水を焚く習慣もありません」
ありがとうございます、とナセリア様に頭を下げ、僕は再びジョセフィーヌ様へと顔を向ける。
「状況から見て、まず現行犯ということでよろしいかと思うのですが、一応何か言い残されることはございますか?」
現行犯の場合は、供述する機会を与えずとも、即座に捕えてよいことになっている。そして犯人を捕らえるのに特別な資格はなく、相手の立場を考慮する必要もない。
「言い残されること、だって? 私を捕らえるつもりかい、ガキが」
それまで静かだったジョセフィーヌ様の雰囲気が一変された。
「10歳になるまで待っていらしたアルトマン様のお慈悲を受け取らないなんて」
ナセリア様はもうすぐ10歳のお誕生日を迎えられるけれど、正確にはまだ10歳にはなっていらっしゃらない。しかし、それを今言うべきではないことは分かる。
ジョセフィーヌ様は憎しみでも込められているような瞳をナセリア様へと向けられて、僕は彼女の視線から隠すようにナセリア様の前に出た。
直後、部屋の扉の向こうから誰かがやって来る気配を感じて、僕は部屋の中央まで進むと、扉と窓が同時に見える位置取りでナセリア様を背中に庇う。
「やれやれ、こんな任務1つ碌にこなせないなんて、なんて役に立たないんだろうねえ、ジョセフィーヌ」
女性の寝室だというのにも関わらず、土足で踏み込んでくるアルトマン様は、紳士然とした態度の欠片もなく、傲慢さを隠そうともせずに大きく溜息をつかれた。
「ここのところ失敗続きだったからさ、君くらいは上手くできるんじゃないかと思っていたけれど、見込み違いだったみたいだねえ」
僕が眉を顰めたのがお分かりになったのか、アルトマン様はこちらを向かれると見下すような笑顔を浮かべられた。
「その通り。路上で襲わせたのも、夜中にここから攫おうとさせたのも、全ては僕が企てたことさ」
アルトマン様は、悪びれるでもなく、ただ息をするように、自然な口調でおっしゃられた。
「そこまで話されたからには理由をお聞かせ願えるのですよね?」
アルトマン様は僕を無視してナセリア様に向けて話されているようだった。
「ナセリア、君が全て悪いんだよ。僕が、このアルトマン・ヒエシュテインが、わざわざ全く興味も沸かない、貧相な身体の子供の君に求婚してあげているというのに、全く靡く素振りすら見せないんだから」
アルトマン様はつかつかと歩み寄って来られると、ナセリア様が声を上げられる暇もなく、僕の前で思い切りその右足を振りぬかれた。
「ん? 何だこれは?」
アルトマン様の蹴り足は僕のほんの鼻先を通過して、僕に触れるようなことはなかった。
無駄の大きいその動作では、攻撃の出どころ、タイミングなど丸わかりであり、たとえ僕が身を屈めているからとはいえ、十分に余裕をもって避けられる程度のものであった。
今度は逆の足が振りぬかれるけれど、1度目は良いとしても、2度目まで許すつもりはなかった。たとえ他国の皇子様で、本来ならばもてなすべきお客人なのだとしても。
「ナセリア様」
僕は驚いたような表情を浮かべられているアルトマン様を無視して、後ろを振り向き、念のためにナセリア様に確認を取る。
「この場合、正当防衛、もしくは主君への暴行の対処ということで、他国の皇子様と言えども、こちらから反撃をしてしまってよろしいでしょうか?」
所詮は一魔術顧問に過ぎない僕が他国の皇子様を、それも姫様のお部屋でやっつけてしまったとなれば、もしかしたら国際的な問題になってしまい、ナセリア様やご家族、このお城で、ひいてはこの国で暮らす人の迷惑にもなりかねない。
もっとも、僕が街を歩きながらした雑談や、国に暮らす人たちの噂、お祭りでの反応などを考えたときに、どちらかと言えば、ナセリア様に害をなそうとした相手に対して慈悲をかけることこそが非難の対象となるのではないかと思えるけれど。
ナセリア様の美貌は城下、そしてリーベルフィアの国内外にまで轟いているということで、その人気はすさまじく、ナセリア様がチャリティーコンサートでピアノやらヴァイオリンやらを演奏なさったときに着ておられたドレスやお召し替えのコスチュームは、そこで同時に行われたチャリティーオークションで信じられない額がつけられたのだという。もちろん、演奏も素晴らしい物であったということだ。
「やれるものならばやってみるがいい。ここで貴様が手を出せば、それこそ国際問題だ。今度こそナセリアが私の手に入る」
「構いませんよ」
アルトマン様の言葉に被せるように、ナセリア様は毅然とした態度で言い放たれた。
「全ての責は私が受け持ちます。ユースティア、王宮魔術顧問としての任を果たしなさい」
「畏まりました」
深くナセリア様に頭を下げた後、アルトマン様とジョセフィーヌ様の方へと振り返りわずかに頭を下げる。
「それではこれよりナセリア姫様の命により、あなた方お2人を捕えさせていただきます」
とはいえ、このままこの場で闘ったのでは、ナセリア様のお部屋が荒らされてしまう。
僕の方は大丈夫だけれど、相手の力量が分からないため、彼らの戦い方次第では、ナセリア様のお持ちの物が傷つけられてしまうかもしれない。修復の魔法があるのだから、壊れたら直せばいいという問題ではない。
「パーティーが気になるのでしたら、問題ありません。ユースティア、お2人をお城の外までお連れしてください」
ナセリア様はそうおっしゃると、おひとりで夜空へ向かって飛び出そうとされた。
「ナセリア様!」
「大丈夫です。他に怪しい者がいないことは確認済みですから」
この国では、もしかしたらこの世界では、僕がお教えしたナセリア様たち以外にはおそらく飛行の魔法を使える人間はいない。夜の闇の中、空を飛ぶモンスターにさえ気を付けていれば、ナセリア様が危険に晒されることはないだろう。
しかし、それでも下からの狙撃など、懸念材料は尽きない。
「お待ちください、ナセリア様」
僕は拘束魔法で捕らえた2人と一緒に、ナセリア様の後を追ってお城の裏側へと回った。