リーベルフィア観光 1 ––ヴォーレン湖へ––
「へえ、コーマック殿を」
「ええ。そのときにユースティアは飛行の魔法までなんなくこなしていて」
馬車でリーベルフィアをご案内するという名目で出かけてきたのだと思っていたけれど、アルトマン様は馬車の外の景色など見る素振りすら見せずにナセリア様とご歓談なさっていた。
僕たちはリーベルフィアの王宮が所有する、白銀の馬車に乗って観光へと出かけてきていた。
観光とは言っても、アルトマン様はオランネルト鉱山や学院、音楽ホール、闘技場などにはあまり興味を抱いていらっしゃらないご様子で、いまだそこかしこに感謝祭の名残が見受けられる首都ウィルセンブル付近の街中を所々に立ち寄って挨拶をなさりながら数か所回られた。
「アルトマン様はどこかご覧になりたいところはございますか?」
ナセリア様に尋ねられ、アルトマン様は胸ポケットから懐中時計を取り出された。
「そうですね。そろそろお昼を回りますから、どこか見晴らしのいい場所で昼食などいかがですか?」
アルトマン様がそうおっしゃられると、アルトマン様のお隣、僕の正面に座っていらした女性の方で、秘書官だというジョセフィーヌ様が棚の上からバスケットをお取りになられた。
「そうですね、ここからですと‥‥‥ではユースティア、ヴォーレン湖の方へ向かって貰えるように伝えていただけますか?」
ヴォーレン湖はリーベルフィアの東端、ラノリトン王国との国境に利用されている湖の事で、近くには神殿も建てられている風景も綺麗なところだ。
僕も暇な夜にはお城を抜け出してこの国の地理を把握できるように努めているけれど――もちろん、警護を疎かにしているわけではない――星も綺麗に輝いて見える、空気の澄んだ鏡のように美しい湖だ。
「承知いたしました」
ただ、1人で飛んでいく分にはすぐなのだけれど、馬車での移動となると結構距離がある様にも思える。
「それはよろしいのですが、ナセリア様。ヴォーレン湖までと申しますと、距離もある様に思われます。そのための準備などはしていないのですが、よろしいのですか?」
万が一のことがあっても、僕が魔法で皆さんを馬車ごとお城まで急いでお運びすれば良いことだけれど、アルトルゼン様やクローディア様はご心配なさるのではないだろうか。
「そのときはユースティアがどうにかしてくれるのでしょう?」
僕の思考を見透かされたように、ナセリア様が楽しそうな笑みを浮かべられた。僕の事を信頼してくださっているのであれば、その信頼には何を置いても応えたいと思う。
「承知致しました。その際は私にお任せください」
「頼りにしています」
僕は御者を務めてくださっている方に行き先を告げた。
ナセリア様と話している間も感じていたけれど、アルトマン様とジョセフィーヌ様からは厳しい、探るような視線を向けられていた。
フィリエ様のお話ではアルトマン様はナセリア様に気があるという事だったし、好きな女性に近付く男性を警戒していたのかもしれない。僕はそんなに大した男ではないのだけれど。
もしくは、新しく魔術顧問になった者がこんな子供で本当に信頼に足り得るのかと吟味なさっていたのかもしれない。
「すみません、アルトマン様」
客人を差し置いて一魔術顧問なんかと話し込んでしまった非礼を詫びるためにか、ナセリア様が頭を下げられると、アルトマン様は笑みを浮かべられたまま、構いませんよ、と手を振られた。
「ナセリア様はユースティア殿と仲がよろしいのですね」
先程までと変わらない口調ではあったけれど、どことはっきりはしないけれど、何となく含むところのありそうな調子だった。
「はい。ユースティアはとても素敵な人で、私も何度も危ないところを助けていただきました」
「ほう?」
アルトマン様の口調に鋭さが増し、細められた瞳が僕を捉える。
ナセリア様は僕と最初に出会った時の事や感謝祭での出来事を、転移の魔法の事を上手くぼやかされながら、うっとりなさっているような口調で話された。クローディア様から転移の魔法に関するあれこれは伏せておくように言い含められていらっしゃるのかもしれない。
もちろん、あの夜の件は話されなかったのだけれど。
「それはそれは。まるでおとぎ話の主人公のようですね、ユースティア殿は」
僕は曖昧に頷くことしかできなかった。
ナセリア様をお助けできたのは本当に偶然の事だったし、そもそも最初は見捨てようとしたのだ。僕に胸を張ることなど出来るはずもない。そもそも僕は前と、その前の世界を見捨ててここへ逃げてきたのだ。まったく誇れるところはない。
「それほどご謙遜なさらずとも良いのでは? 魔法顧問だった方にも圧勝なさったのでしょう?」
「‥‥‥そうですね」
圧勝というか、あれは勝負の体をなしていなかったように思う。
僕が魔法顧問を務めるようになってからはそうでもなくなってきているのだけれど、それ以前のこの国、ひいては大陸、世界の魔法はあまり出来の良いものではなかった。僕は、たしかに実力では勝っていたのだけれど、なんとなくずるをしたような気もしていた。
「そんなことはありませんよ。ユースティアはとても優秀です」
ナセリア様がそう褒めてくださったので、もったいないお言葉ですと頭を下げた。




