感謝祭の夜、というほどでもない夕方
祭囃子の聞こえる街中から、僕の張り付けた探知魔法の反応はそれほど離れてはいなかった。
祭りの喧騒からもそう離れず、道を歩いている人々がまだまだ楽しそうに踊りまわる中、僕は館の前へと辿り着いていた。
特に偽装もされていないわずかに古びた洋館の前には特に見張りがいたりするわけではない。しかし、僕は用心して、隠蔽の魔法を使いつつ、幹の後ろや茂みの陰に隠れながら接近する。隠蔽の魔法を使っていれば隠れる必要はないのではとも思うけれど、こういった潜入や人には話すことのできないような行動をとるときに物理的に身を隠してしまうのは感覚的なところもあるので仕方がない。
「こんなところ、見張りなんてしてても誰も来やしねえよなあ」
「あーあ、俺も金貨を数える方にいたかったなあ」
「あいつら、くじに細工でもしてたんじゃねえだろうな」
見張りなのか、数人の男性が門の前に槍や剣を携えながら、胡坐をかいて、カードを広げている。油断なのか、驕りなのか、どうやら真面目に見張りをするつもりはない様子だった。
もちろん僕にとっては好都合だ。こんな風に自身の役割すら満足にこなそうとしない連中に、警戒すべき実力はないだろう。もちろん、油断は禁物だけれど。
僕は茂みの中に身を潜めながら館の外壁に沿うように移動して、とりあえず彼ら以外に見張りがいない事と、まともな入り口は正面以外にないことを確認した。これほど大きな館で出入り口が1つだけということはないだろうから、おそらくはどこかに街中か、この近くにでも出てこられる通路があるのだろう。無いのであれば、それに越したことはない。
「あまり時間をかけて遅くなるわけにはいかないしな」
おそらく、どれ程遅くなっても、アルトルゼン様は僕が帰るのを起きて待たれていることだろう。早くお休みになるか、少なくとも食事くらいはなさっていて貰いたかったけれど、あの方からは見た目から感じられる柔らかそうな雰囲気とは違って、国王としての責任と強い気持ちというか、感情を感じていた。クローディア様と王子様、姫様方のことは上手く言いくるめるだけの手腕はお持ちに見えたけれど、ナセリア様は変なところで頑固でいらっしゃるから、どうなっているのか予想は付かない。
「仕方ない。僕もこの国で最高の魔法顧問という役職をいただいてしまっているのだから、国民の皆さんのために多少の無理を通そう」
念のために、地中と上空にも、球形の結界を作り出して館を覆い尽くしたところで、僕は隠れていた草陰から日の落ちつつある中へと身を躍らせた。
僕の顔はおそらく国中に知られてしまっているのだろうから、身元を偽る意味はない。有り余っているとはいっても、無駄に魔力を使いたくはなかったからだ。
「おいそこの! 止まれ!」
祭りの夜だからといって、いや、祭りの夜だからこそ、こんなに祭りの喧騒から離れた場所に僕みたいな子供が1人で来るはずがない。僕はすぐさま呼び止められた。
「おい、坊主。こんなところに何しに来た」
もちろん、僕のことが知れ渡っているのと、僕の事を判別できることは同じではない。僕が挨拶をしたのはごく短い時間だけだったし、あの時去っていった方が余程詳しく説明できていない限り、金髪の、とか、男のガキ、とか、そんな抽象的な事実だけでははっきりとしたことは分からないだろう。
「その、実は、向こうで僕のお姉ちゃんが怪我をしてしまって動けなくなっているのです。そんなときにこちらに大きくて立派なお館が見えたものですから、お助けいただきたいのです」
僕の口調と響から、僕の姉という人物がまだ若いであろうと思ったらしい見張りの男たちはすぐに目の色を変えた。
「おい」
「ああ」
彼らは、僕に少し待つように告げ、2人で内緒話を始めてしまった。おそらくは、中に居るであろう者たちに伝えるかどうか相談しているのだろう。
見張りの仕事としてはここを離れるわけにはいかないが、若くて綺麗な女性がいるのであれば独占したいということなのだろう。僕のような子供がわざわざこんなところに来てまで嘘をつくなどとは、はなから疑っていないらしい。
「いいだろう坊主。俺達は優しいから助けになってやろう」
「そのお姉ちゃんのところに案内しな」
優しい人は自分から優しいなどとは言わない。それは周りの人が判断することであって、自分から言いふらすようなことではないからだ。
「ありがとうございます。こっちです」
自身の欲望に取りつかれており、本当にどうしようもない男性に殴りかかってしまいたい衝動はあったけれど、今優先するべきなのは自分の憂さ晴らしではない。
何の疑いもなく茂みの中に、僕に続いて入ってきた男たちを肩越しに振り返り、館の入り口を確認する。幸い、まだ見張りの2人がいなくなったことには気づかれてはいないらしい。
「おい、ど――」
しびれを切らしたのか、ようやく疑い出したのか、口を開きかけた男たちの方を振り返ると、一歩で懐へと潜り込み、鳩尾への正確な一撃で昏倒させる。
「何」
突然相方が昏倒されたことにより、目を白黒させているもう一方に、昏倒させた男を投げ捨てて懐へと潜り込む。
「ご心配なさらずとも、あなたのお仲間を殺したりはしておりません。ただ気を失っていただいただけです。そして、あなたを同じように気絶させなかったのは、こちらの質問に答えていただきたかったからです」
「ふざけんじゃねえ、このっ」
すぐに腰に下げていた護身用らしいナイフを抜いた男の手を取って、気絶してしまわない程度の力で地面へと叩きつける。同時に手首を捻じり、ナイフを落とさせると、それは遠くへ蹴り飛ばした。
「それで、お聞きしたいのですが、あの館にはあとどれくらいの‥‥‥」
気絶してしまわないように気を付けていたつもりが、どうやら気絶させてしまったらしい。
「連れていくのも大変だし、後で回収に来よう」
僕は地面に穴を空けて彼らを埋めると、顔だけ出して周りを硬化させる魔法で固めた。明らかに敵である僕に対して魔法を使ってこなかった辺り、彼らの魔法の練度はそれほど高くはない。腕力での脱出はおそらく不可能だろうし、これで魔法による脱走も防ぐことが出来るはずだ。結界魔法は張り続けていると魔力を消耗し続ける。中の戦力も大したことはなさそうだけれど、すでに館に結界を張っている以上、油断は禁物だし、無駄な消費は避けたい。
「さて、行きますか」
夜も大分更けてきていた。開ける前に戻らなくては、国王様、王妃様とお約束した、ナセリア様達を不安にさせないという条項に反してしまう。明日は朝からお城で開かせていただくお祭りの準備で忙しいのだ。無駄に出来る時間は1秒たりとも存在しない。
僕は、彼らが守りに立っていた正面の入り口から堂々と館の中へと足を踏み入れた。