ラノリトン王国 リーリカ姫のお誕生日~ナセリア13歳 6
海のように青く澄んだ光沢のあるドレスの裾が、リーリカ姫様が回られるたびに、ひらひらと波のように広がる。
僕の目にはリーリカ姫様しか映っていないし、おそらくリーリカ姫様も同じだろう。
リーリカ姫様が少し潤んだ瞳で僕の事を見つめられる。
「初めての相手が貴方で嬉しいです、ユースティア」
火照っていらっしゃるような、少し赤みを帯びた頬でリーリカ姫様がはにかんだ笑みを浮かべられる。
幸いなことに他の方には聞こえなかったらしく、あらぬ誤解を受けたりすることはなかった。元々、あくまでパーティーでの最初のダンスのお相手を務めさせていただいたというだけで、誤解されるようなことなど何もないのだけれど。
「光栄です」
僕の返答に、リーリカ姫様はわずかに眉を下げられて、少し憂いを含んだ様なお顔を浮かべられたのだけれど、一瞬の後には元のお顔に戻っていらした。
「もう少し動揺してくださらないと、明日の朝『昨夜のあなたは激しかったです』と皆の前で宣言するつもりっだった私の予定が狂ってしまうのですけれど」
何故かそのような理不尽なお叱りを受け、僕はどうしたものかと曖昧な笑顔を浮かべることしかできなかった。
「私が読んだ小説にも『既成事実を作れるだけ作って、相手を一手ずつ追い詰めていって、逃げられないような状況に追い詰めてから結婚に持ち込む』という方法が紹介されていたので、とりあえず、ここで動揺してステップをずらされたあなたに押し倒していただくというプランを練っていたのですが」
随分と穴だらけというか、スッカスカのプランだった。
というか、それは断じて方法とかではないと思う。
「他にも、浴場を間違えていただくとか、寝室に潜り込むとか、色々と考えていたのですけれど、ナセリア姫やフィリエ姫、ミスティカ姫と一緒でしたから、残念ながらそれらは叶いませんでした」
ヤレヤレです、とリーリカ姫様は溜息をつかれたのだけれど、一息つきたいのはこっちですと言いたくなるような心情だった。
断じて、未婚の女性が真剣に考える内容ではない。
実際にそんなことになっていたら、心臓がいくつあっても足りなかったことだろう。
「でも、こうして今ユースティア様と踊ることが出来て、何だか夢の中に居るような、とても幸せな気分です」
先程までとは違う、打算ではなく、本心からおっしゃられているように、柔らかく、ふんわりとした笑顔で、幸せそうに瞳を細められるものだから、僕はドキリとさせられていた。
「本当はもっと、お城から外にも出歩いて、それこそリーベルフィアまでユースティア様にお会いしに行きたいと思っていた、いえ、思っているのですけれど、中々それも叶いませんから」
僕がちょっと孤児院を離れて他国へ行ったりするのと、リーリカ姫様がリーベルフィアの一孤児院をお尋ねになるのとでは、全く事の重大さが異なる。
距離的な問題もあるし、それ以外の要因的にも、気軽に実現できるようなことではない。
「お父様もオズワルドも過保護なんです。私はとっくに元気だというのに」
リーリカ姫様は拗ねられたように少し頬を膨らませられた。
「愛されていらっしゃるのですね」
「はい」
少し外へ行きませんかと言われ、主賓でいらっしゃるリーリカ姫様がいなくなられるのもどうかと思ったのだけれど、すでに歩き始めてしまわれていたので、リーリカ姫様に付いて、会場を後にする。
お城の庭はほのかな月明かりに照らされて、白い花が風に揺られていた。
風に乗ってナセリア様が演奏なさっているヴァイオリンの調べが聞こえてきている中、ドレスの裾を見事に翻されながらリーリカ姫様が振り向かれた。
「オズワルドが結婚するとなった時、本人も最初はあまり乗り気ではないみたいで、ずっと私と一緒に居るとごねていたのですよ」
どうやら、オズワルド様とシルフィーナ様のご成婚には、少なからず物語があるらしかった。
シルフィーナ様は、東の方にあるというエルヴスタという国のお姫様だったらしいのだけれど、エルヴスタという国は聞いたことがなかった。
というよりも、地図にも載っていない。
「エルヴスタというところの不透明さもさることながら、最初は言葉も通じず、困ったと言っていました」
しかし、どうやら家族もいらっしゃらないらしいシルフィーナ様の事を、放っておかれるわけにもいかず、丁度出かけ先から帰って来られたところで、ご予定も特になかったオズワルド様は、しばらくムーオの大森林の東端で過ごされたらしい。
森の中では詳しいことも調べることが出来ず、とりあえずラノリトン王国のお城へ連れてきて、それから図書館か、或いはギルドにでも尋ねようとされたらしい。
「それで、オズワルドは詳しいことは私にも教えてくれなかったのですけれど、帰ってきたときにはこの人と結婚すると言い出しまして」
それまではずっと自分を1番に慕っていたオズワルド様が、この人と結婚すると話してくれた際には、寂しくもあったし、驚きもしたけれど、嬉しかったのです、とリーリカ姫様は、大切な宝物を入れている箱をそっと開いたような笑顔でおっしゃられた。
「だから姉様もきっと新しい出会いがあるよ、なんて言うんですよ。ひどいと思いませんか? まるで私がフラれることが前提みたいじゃないですか」
僕は咄嗟に返事をすることが出来なかった。
それはリーリカ姫様が、これからされるかもしれなかった問いに答えたも同然だったわけで。
「ユースティア様は色々と考えて、考え過ぎていらっしゃるのだと思いますけれど、それ程難しい事なんてありません。ただ、当人たちの気持ちだけが重要なんですよ。他の何事も関係はありません」
ヴァイオリンの調べが止まり、会場からは盛大な拍手が聞こえてきていた。
「あなたは私があの時からずっとあなたを想っていたことをおかしいと、やっぱり勘違いだとおっしゃいますか?」
リーリカ姫様の瞳は真っ直ぐに僕を捉えて放さない。
「ですが、もうあなたのお気持ちはどなたかにはっきりと向いているようですから––そんな、分からないとおっしゃるようなお顔はなさらないでください。お会いしてから、貴方の様子を見ていればすぐに分かりましたよ」
リーリカ姫様は、ロヴァリエ王女と同じような、すっきりとした笑顔で僕の背後に回られると、優しく背中を押された。
「折角の誕生日ですから、ラストダンスはあなたに踊っていただこうと思っていましたけれど、貴方は今私と踊ってくださるようなお心持ではないのでしょう?」
他の女性の事を考えていらっしゃる殿方とは踊れませんと、リーリカ姫様は笑顔で手を振られていた。
「すみません、なんて謝らないでくださいね」
代わりにありがとうございましたと、後ろを向かれたリーリカ姫様のお背中にお声をかけて、僕は会場に戻った。




