リディアン帝国への招待~ナセリア12歳 5
夜も更けてきていて、テラスは肌寒く感じるかもしれないとも思ったのだけれど、そんなことはなかった。
見えているお城の庭の木々はそよそよと揺れてはいるので風は吹いているようではあったけれど、僕達の立つテラスでは切り取られた空間のように静かだった。
ただ会場からの音楽だけが、小さく聞こえてきている。
「おひとりでいらしてよろしいのですか?」
「相手がいないのよね」
ロヴァリエ王女がため息とともにそう嘯かれる。
僕が見た限りでも、ロヴァリエ王女とお近づきになりたいと言い寄っていらしたお客様はたくさんいらしたし、今晩まだ1曲も踊っていらっしゃらないということはないだろう。
「私が相手ではいけませんか?」
僕はロヴァリエ王女の前で腰をかがめる。
「仕方ないわね。正式な申し込みなら断るわけにもいかないわね」
ロヴァリエ王女が差し出された手をとらせていただいて、舞台で舞われたのとは違う、静かな曲に合わせてゆっくりと足を動かした。
ロヴァリエ王女がリーベルフィアにいらしたときのダンスでは、まだ経験が浅く、慣れているとはとても言えなかったけれど、今はそれなりになめらかな動きをすることが出来るようになっていた。
パーティーが苦手だというようなことを以前おっしゃっていたロヴァリエ王女は、そのようなことなど微塵も感じさせない見事に流麗な踊りで僕の手を引いてくださった。
「随分と上手になっているじゃない。前は踊らされている感じが強かったけれど、今は大分自然な感じよ」
「あれから随分経ちましたし、色々と経験も積みましたから」
ロヴァリエ王女がいらしたときには、僕もリーベルフィアに慣れ始めようかというところだったため、ダンスや他のことなんてしている余裕はなかったけれど、その年の音楽祭で決心したことはしっかりできていたと思う。
出来の良し悪しはともかく、形式ばった踊り方などほとんど習いたてだったあのころと比べれば、全く成長していないということはないだろう。孤児院にも置いてあるオルガンは、今でもたまに練習することもある。
「それはそうよね」
ロヴァリエ王女は楽しそうな笑みをこぼされた。
そのロヴァリエ王女は、まだ音楽の途中だったのだけれど、ピタリと足を止められた。僕もそれに倣って足を止める。
「私は回りくどいのは好きではないし、時間もあまりあるわけではなさそうだから、はっきりと聞くわね」
風は止んでいて、わずかに、虫が鳴らしているらしい音が耳に入って来る。
「ユースティア。私、あの時の気持ちは今も変わっていないわ。浮かれてそう思い込んでいただけかもしれないとも思っていたけれど、今でもはっきりそう思ってる」
ロヴァリエ王女が緊張していらっしゃるような瞳で僕を真っ直ぐに見つめられる。
「あなたの活躍はこっちにも届いて来ていたわよ。女の子を助けるために奔走したとか、女の子を助けるために奔走したとか」
まるで僕が女性ばかり追いかけているかのような言われ方だったけれど、ロヴァリエ王女は拗ねられた様子もなく、むしろ誇らしげに微笑んでいらした。
「やっぱり私が好きになったあなたは素敵な男性よ。私の剣の相手も呆れたりせずに何度も付き合ってくれたし、あなたに相談することが出来たおかげで、今では私もこのお城でも思いっきり剣や槍を振るうことが出来るもの」
「それはロヴァリエ王女の、ご自身の努力の結果ではないでしょうか。私が何もせずとも、きっといずれは同じことになっていたのだと思います」
僕がロヴァリエ王女に出来たことなんて、本当に些細な事だけだ。
僕でなくとも、或いは僕が言わずとも、ロヴァリエ王女ならば自力で出来ただろうことだ。たまたま僕がその場に居合わせたというだけで。
「あなた、もしかして自分に言い寄って来た女性に皆そう言って回っているんじゃないでしょうね? やっぱり‥‥‥はあ、その人たちの苦労が忍ばれるわ」
ロヴァリエ王女の視線が会場の王宮内へと向けられて、何となく、どなたのことをおっしゃっているのか分からないでもない気がした。
「それで返事は? 心配しなくても、あなたが望むのなら私はリーベルフィアまで嫁いでいっても構わないし、別にあなたがこちらに婿入りに来るのでも構わないの」
ロヴァリエ王女の本気は、僕のことを想ってくださっている気持ちは皮膚がピリピリとするくらいに伝わってきていて、澄んだ若草色の瞳は中途半端なその場しのぎを許してはくれそうになかった。
「すみません」
最大限の気持ちを込めて、深々と頭を下げた。
「ロヴァリエ王女のお気持ちはとても嬉しく感じています。私自身も、ロヴァリエ王女のことは好ましく、失礼致しました、好意を抱いてもおります」
でもそれは恋ではない。
ロヴァリエ王女がどなたかと結婚すると聞かされても、僕は心からの笑顔でそれを祝福することが出来るだろう。
「ですが、私は、ナセリア様に誇れる自分になりたいのです。そのために、今は修業中の身ですが」
女性の涙は見たくないと思っていたけれど、ロヴァリエ王女は思っていたよりもずっと良い笑顔を浮かべていらした。
「‥‥‥分かってはいたのよね。きっとそうなるだろうって。あなたの瞳に誰が映っているのかなんて」
ロヴァリエ王女はくるりと僕に背を向けられて、テラスの縁に手をかけられた。
「こっちへ来てからあなたがナセリア王女を見ているのと同じように、私もあなた達を見ていたから分かってはいたけれど、伝えられて良かったわ。勘違いしないで欲しいのだけれど、空元気で言っているわけじゃないのよ」
「そのような事、思ってはおりません」
ロヴァリエ王女は大きく伸びをされると、
「んー、すっきりした。私もそんな風に思える人を探しに行くわ。まあ、お父様にはまた怒られるかもしれないけど」
ロヴァリエ王女は僕の近くまでいらっしゃると、「じゃあね」とすれ違いざまに頬に口づけをされた。
すっきりしたとおっしゃるのなら、わざわざ煽るような真似をなさらなくても良いと思うのだけれど。
「ナセリア様」
カーテンが揺れ、迷子の子供のような表情のナセリア様が、ぎゅっと掴んでいらしたカーテンを離して出ていらした。
「‥‥‥今のキス、わざと受けましたね」
「女性に恥をかかせるわけには参りませんから」
ナセリア様は頬を膨らませられて、
「私が挨拶回りをしている間、ユースティアはさぞお楽しみだったのでしょうね」
などと拗ねられるものだから、普段は大人びていらっしゃるように見えるけれど、ロヴァリエ王女とは違ってまだ子供でいらっしゃるのだなあとつい口元が綻んでしまった。
「何かおかしいですか?」
「いえ、申し訳ありません」
謝ったのだけれど、余計に怒らせてしまったようで、けれど、そんな様子も可愛いと思ってしまった。
「最後のダンスは私と踊ってくれますか?」
「喜んでお相手を務めさせていただきます」
月と星だけに見守られながら、僕はナセリア様の手をとった。




