ナセリア~ユースティアと出会って 14
気がついたのは夜中だった。
いや、気がついたら夜中だったというべきだろうか。
窓から差し込む柔らかい月の光がわずかに部屋の中を照らしている。
机の上には、誰が運んできてくれたのだろうか、トレイの上に乗せられた食事が置いてあった。一緒に、お母様やフィリエ達が心配して書いてくれたのだろう手紙も添えてある。
けれど、私にはそれを食べるだけの気力もなければ、食べる資格もないのだと思ってしまった。
私が王女としてこのお城に居られるのは、王女としての責務を全うしているからで、今日はヴァイオリンのお稽古も、ダンスの練習も、ピアノも、勉強も、絵を描くことも、もちろん魔法の練習も、何もしていない。
そんな、本来お手本、模範となるべき長女である私が、ただ自分の我儘だけで引きこもっているというのに、これを受け取ることは出来ない。
ユースティアがこれだけの食事を得るためには、一体どれほどの苦労をしていたのだろう。
そう思うと、とても手を伸ばす気持ちにはなれなかった。
こんなに静かな夜、静かと騒々しいとに関わらず、以前だったら『お客様』がいらしていたかもしれない。けれど、今ではお城はいつもユースティアの魔法で守られているためそんな相手はいらっしゃることはない。
では、それを理由にユースティアにお城に留まって貰えないだろうか。
だめだ。ユースティアが出て行くと決めているのだから、その辺りもきっと引継ぎは済んでいるに違いない。
私は他に、ユースティアがお城に留まってくれそうな理由を考えてみる。
即座に7通りほど思い付いたけれど、おそらくそれらのどの方法を試してみても、きっとユースティアの意思を変えることは出来ない。
だって、多分、ユースティアはやりたいことをやるためにここから出て行く決心をしたのだ。
それを無理やり引き留めるようお父様にお願いしたら、きっとお父様は私のお願いを聞いてはくださるだろう。
けれどそれでは私がユースティアの意思を邪魔してしまうことになる。
そんな風にユースティアに嫌われるようなことは絶対にしたくない。ユースティアに嫌われたりしたらと思うと、息が詰まって、何にも見えなくなるようで、きっと私は死んでしまう。
では、今の私は生きていると、ユースティアに胸を張って言うことが出来るだろうか。
ユースティアは死にたいとは思いつつも、自ら命を絶つことはしなかったのだと言っていた。どれだけ辛い、私にはとても想像すら出来ないような状況でも、家族との、ティノさんとの約束を守って生き続けてきたのだと。
大好きだった人たちのいない世界で、それでも自分1人だけで生きてゆくのはどんな気持ちだろう。
私には、お父様も、お母様も、エイリオスも、フィリエも、ミスティカも、レガールもいて、お城に働いている方もたくさんいらして、ユースティアが居なくなっても、全然独りぼっちなんかではないというのに。
ふと目を落とすと、私の腕には、去年の誕生日にユースティアがプレゼントしてくれた、金色に輝く小さな小さな宝石が1つだけつけられた銀色に輝く腕輪が嵌められている。
保存の魔法がかけられていると言っていたそれは、あの日から全く色褪せることなく私の腕で光っている。
窓の外に見上げる月も、あの日と同じ、真ん丸の満月で、同じ光を放っている。
変わってしまったのは、私の気持ち。私があの時よりもずっとずっと強くユースティアに想いを抱いているという事だ。
ずっと見ているのは辛いけれど、部屋の中のどこを向いても、思い出されるのはユースティアとのことばかりで。
怒らせてしまったにもかかわらず、私のことを命を懸けて守ってくれたり、無理やり休ませてしまった時にも静かに髪を撫でさせてくれたり、本を読んだり、双六をしたり、思い出の品がどこを向いても目に映る。
いっそ目に映らないように仕舞ってしまおうかとも思ったけれど、立ち上がることのできない私が仕舞えるところといえば、収納の魔法しかなくて。それもユースティアに教わったものだ。
「ユースティア‥‥‥」
思わず名前を呟くと、まるでタイミングを見計らっていたかのように扉がノックされた。
私は肩を震わせる。
「ナセリア様。まだ起きていらっしゃいますか」
反射的に扉に駆け寄ろうとして、ぎゅっと目を瞑って、強く首を横に振ると、私はベッドに潜り込んだ。
返事なんか絶対にしない。
ユースティアと話してしまえばどうなるか、私は自分でよく分かっていた。それはつまり、どうしなければならないのか、本当はどうしたいのか、すでに決まっていたという事なのだけれど。
その気持ちを無視するために、私は腕輪を強く握りしめた。
私が応えなければ、ユースティアの事だから、勝手に部屋に入ってきたりはしないはずだ。
そう思っていたけれど。
「失礼致します」
静かに扉の開く音が聞こえる。
段々と近づいて来る足音は、私が潜り込んでいるベッドのすぐ脇で停止した。
「お食事が冷めてしまっていますよ」
私は何も答えなかったけれど、ユースティアが食事を温める魔法を使ったことは分かった。
「勝手に女性の部屋に入るような失礼を働き、申し訳ありません。このような無礼を働く臣下など、首にしてくださって構いません」
「そんなことはしません!」
何かを考える余裕もなく、私は布団を跳ね除けた。
ベッドに座って振り向くと、優しそうな瞳をしたユースティアと目が合った。
「ようやくお話をしてくださいましたね」
ユースティアの真っ直ぐな瞳は私の事をどこまでも見通しているようで、私は目を逸らすことが出来なかった。
「せっかく私がおつくりしました夕食、ただいま温めましたので、どうぞお召し上がりください」
伸ばしかけた私の手が
「こちらで私がご用意できる最後のお食事ですから」
途中で止まる。
「ナセリア様。私が迷っていたせいで、お伝えするのが遅くなってしまい、申し訳ありませんでした」
聞き間違えたりするような余地はなく、ユースティアは再びはっきりと口を開いた。
「私は今日で王室魔法顧問の任から離れます」
「‥‥‥もう、私に、魔法を教えるのは、嫌になったということ、ですか」
いいえ、とユースティアは静かに首を横に振る。
「そのようなことはございません。むしろ、出来るのであれば、いつまででもこちらで姫様方に魔法を、魔法に限らず、私に出来ることならなんでもお教えしたいという気持ちはあります」
だったら––
「ですから、これは私の我儘です。私のやりたいことをするためには、こちらの魔法顧問という立場ではいられないのです」
孤児院を買い取った時から、正確には孤児院の存在を知った時からなのでしょうと、ユースティアは言った。
自分と同じ思いをさせないために、手を差し出すことのできる人になりたいのだと。自分を拾ってくれた私のように、手を差し出す側になりたいのだと。
「このお城の魔法顧問に留まっていては、長期間この街、そしてこの国から離れることが出来ません。それではだめなのです」
ユースティアの言っていることは十分過ぎるほど分かってた。
だってそれは、私がこの部屋に籠ってからずっとずっと考えていた事だったから。
「たとえどれほど離れていても、私がナセリア様の味方であることは変わりません。これから先もずっとです。いつでも変わらずナセリア様の幸せを願っています」
あなたが居なければ、私は幸せではありません。
そんなことを言えば、ますますユースティアを困らせてしまうだけだと分かっているので、間違っても口にすることは出来ない。
でもきっと、何を言いたいのか、ユースティアには伝わってしまっていた気がしていた。
「他の皆様には私が魔法顧問の任を離れることを了承していただきました。あとはナセリア様だけです」
後ろへ目をやると、いつの間に集まっていたのか、お父様と、お母様と手を繋いだレガールと、エイリオスと、フィリエと、それからミスティカ、私の家族が心配そうな顔でこちらを窺っていた。
「ナセリア様に救われた命です。ナセリア様の命とあれば、自身の気持ちなどいくらでも消しましょう」
私がどうしてもとお願いすれば、残ってくれると言ってくれている。
でもそれは決して『ユースティア』ではなくて、『魔法顧問のユースティア』だ。
魔法を教えてはくれるだろうけれど、一緒に遊んだり、出かけるのに付き合ってくれたり、勉強を教えたり、ヴァイオリンを聴いてもらったりすることは出来ない。
人前で泣くなんて、そんなこと絶対しない、出来ないと思っていたのに。
「あなたの、やりたいことを、好きなように、存分に」
ありがとうございますという声だけが聞こえた。
ユースティアの姿はよく見えなかった。
 




