ナセリア~ユースティアと出会って 6
春の最後の月である翠の月の頭には、先日のお母様のお誕生日のときに仲良くなったと、私たちは思えている友人宅へと遊びに行けるよう、お母様が勧めてくださった。
友人と呼んでも差し支えない間柄の人はいままでいなかったので、是非、という思いを込めて手紙を書いた。
お城から出て外にお泊りすることは初めてというわけではなかったけれど、ユースティアが来てから、ユースティアと離れて1日を過ごすのは初めてだ。
数時間という単位でならば、いつもの事ではあるのだけれど、顔を見ようと思った時にすぐに会いに行けない距離まで離れるというのはほとんどなかった。
寂しいと思う気持ちがないわけではなかったけれど、私たちの事を思ってお母様が提案してくださった事を断るわけにもいかない。現に、フィリエはとても喜んでいて、返事をいただく前から楽しみにしているようだし、私だって楽しみにしているという気持ちが全くないというわけではない。
エイリオスやレガールは違うけれど、私たちは男の子のお家に泊まりに行くわけではない。ユースティアに誤解されてしまうようなことにはならないはずだ。
ユースティアがその日のうちにお返事をもらってきてくれたので、早速準備に取り掛かった。
あれやこれやと、フィリエとミスティカと一緒に、持ってゆくお洋服を選ぶのも楽しかったし、こんな風に日を跨いでのお出かけは音楽祭のときくらいなので、未知の、新しい体験ができることにも胸を躍らせていた。
それにも拘らず、友人として遊びに、泊まりに行ったというのに、堅苦しい待遇を受けたのは少し寂しかった。
私は口にこそ出さなかったのだけれど、表情や態度まで取り繕うのは難しかった。
お母様のおっしゃるような友人と遊ぶというのはこういう事ではないはずだ。期待が大きかっただけに、反動も大きかったのかもしれない。
そう思っていたら、ユースティアに注意された。
私たちは王族なのだから、仲良くするにしても、敬意までをなくすことは出来ないのだと。
身分の差を意識しないでいることは難しいのだと。
まるで自分に言われているようで、なんだか悲しいような、寂しいような気持ちになってしまった。その言い方だとまるで、自分は私とそのような関係になるつもりはないと言っているみたいだ。ユースティアの中では、私は、友達とか、もしくはそれ以上には見ては貰えないのだろうか。
だからフィリエが頭を下げている間も、私は黙って目を伏せることしかできずにいた。
私の気持ちは置いておいても、滞在自体は楽しいと思えるものだった。
泊まりに来させていただいた当日にも、掃除のお手伝いや、お料理を運ぶのを手伝わせていただいたりもした。
お城ではそんなことはやったことはなかったし、ユリア様にも『姫様方は座っていらしてください』と言われたのだけれど、他の皆さんが働いていらしゃるというのに、私たちだけが座っているわけにもいかない。
それに、お城に居るようにしていたのでは、泊まりに来た意味も薄くなってしまう。友人との交流ということ以外にも、こちらのお宅ではいつもの事でも、私たちにとっては非日常を体験できるチャンスだった。
なので、これも勉強ですからと、お手伝いをさせていただいた。
ご迷惑をおかけするつもりはなかったのだけれど、もしかしたらご心配をおかけしてしまったかもしれない。
怪我をさせてしまったら、あるいは、ないとは思うけれど、食器などが壊れてしまったらどうしようかと、思わせてしまったかもしれない。
フィリエとミスティカにはしっかり言い聞かせておいたつもりだけれど、自分のことは棚に上げつつ、私は2人の心配をしていた。
フィリエは魔法を使って一片に運ぼうとするものだから、危ないですよと慌てて注意をしたのだけれど、フィリエは無事に、こぼしたりすることもなく運び終え、良い笑顔を向けてきた。
私は胸を撫で下ろしたのだけれど、きっと、その場にいた全員が同じ気持ちだっただろう。
お料理のお芋やお野菜のキッシュはとても美味しかった。
城の自分の部屋で寝ているわけではなくても、生活のリズムが崩れるわけではない。
朝日が昇るころには起きた私は、まだ寝ている皆に迷惑をかけないように静かに、昨夜遅くまで輪になって話をしていた布団の上から抜け出して外へと向かうと、ユリアさんはすでに起きていらした。
ユリアさんというのは私たちがお世話になっているアトライエル家の奥方で、大人の女性だ。
『おはようございます、ユリア様』
『おはようございます、ナセリア姫様。お早いお目覚めでいらっしゃいますね。ベッドが合わなかったのでしょうか?』
不安そうなお顔をなさるユリア様に、そのようなことはございませんと首を振って答える。
『いえ、私はいつもこの時間に起きておりますから。それから、申し訳ありませんが、お庭をお借りしてもよろしいですか?』
どうぞ、と許可をいただいたので、お礼を告げてから庭へと出させていただく。
庭には、ユリア様が手入れなさっていらっしゃるのだという綺麗な花壇に、お城ではお母様も気にかけていらっしゃる春スミレに、パンジーやチューリップ、アネモネなどが、色とりどりの花を咲かせていた。
春も終わりに近づくこの時期には、朝早くともそこまで寒いわけではない。
いつもこうして早朝にヴァイオリンの練習をするときには、隣にユースティアが居て、魔法だとか、武術なんかの訓練をしているのだけれど、今、私の隣にはユースティアは居ない。
さすがにお城までは念話でも使わなければ、声や、それから音は届かないとは思うのだけれど、きっと今も朝早くからお城で起きていて、訓練をしているだろうユースティアに届けられるようにと思いながら弓を引く。
年の瀬の音楽祭での私の演奏を、ユースティアは褒めてくれた。
澄んだ柔らかな、優しい旋律で、暖かく胸の内に広がってきたのだと。
だから、これから先も、ずっと私のヴァイオリンを届けられるように、ユースティアに好きだと言って貰えるような、そんな音を奏でたいと、想いを込めて演奏する。
『おはようございます、お姉様』
他の、近所のお家への迷惑にならないように、遮音する魔法を使ってはいたのだけれど、ユリア様のご希望もあって、アトライエル家の敷地内には音が聞こえるようにしていたので、フィリエ達が眠っている部屋までも聞こえていたのだろう。
『朝からナセリア様の演奏を拝聴できるなんて、光栄です』
フィリエとミスティカ、それからメイリーンも起きてきていて、庭に出されている白い椅子に腰かけて、机に肘をつきながら、足をプラプラとさせ始めたので、私は練習を続けた。




