あるユースティアの1日––教え、教わり––
分かってはいたことだけれど、人に何かを教えるというのはかなり難しいことだった。
エイリオス王子様は王様になるための勉強がお忙しいらしく、授業外の時間にまでそれ程頻繁にいらっしゃるわけではないし、ミスティカ姫様は僕のことがまだ怖いらしく中々お声をかけづらい。一緒に出ていらしてはくださっているので、それほどひどく嫌われているわけではないと思いたいけれど、瞳の中には怯えの色が残っている。レガール王子様はそもそもクローディア様のお傍をあまり離れたがられないご様子だ。
結局、毎日僕のところへ顔を見せてくださるのは、ナセリア姫様とフィリエ姫様、それから魔法師団の方が大半だ。
魔法師団の方々が編纂されている魔導書は長い年月を感じさせるもので、先人の方達の努力の跡が見え隠れし、よそ者である僕がさっとそれらを置き去りにするようなことをやってしまうのは、大陸でも最も歴史ある大国と言われているらしいリーベルフィアの、誇り高い魔法師団の方達にとってはいっそ憎まれても仕方がないと思っていたのだけれど、全くそんなことはなかった。
「こうして改良が進められるのは大変喜ばしいことで、個人の能力、ひいては魔法の深淵に一歩でも近づくことが出来るのならば、先代以前の方々も喜んでご自身の編纂なさった魔導書を破り捨てることでしょう」
現魔法師団の団長さん、団長というよりも長老という感じだったのだけれど、彼にそう言われてしまえば僕の方には何も言うことはなかった。
そんなわけで、僕はしばらく既存の魔法の改良を行っていたのだけれど、魔法師団の方だけではなく、ナセリア姫様もフィリエ姫様も僕が感覚的にやってしまっていることを体系的にすることにお手を煩わせてしまい、大分お時間をとらせてしまった。
「そんなこと私は全く気にしていないわ! だってこんなに楽しいこと、滅多にないもの!」
「私もとても有意義に感じています」
当のフィリエ姫様とナセリア姫様は全く気にしていないどころか、次から次へと、特にフィリエ様は僕のお出した案を片っ端からその場で実戦されようとなさるので、その度に姉姫様に注意されていた。
以前、ハストゥルムにいた時に纏めていたものがあれば、少しは手助けになったのかもしれないけれど、あれはとうの昔に無くしてしまっていたから、お渡しすることが出来なかった。
「そういえばいつ無くしたんだろう?」
たしか、あの地下施設で目を覚ました時にはすでに僕の手元にはペンもメモも存在していなかった。
元々あれは僕が書いていたものだし、紙やペンは借り物だったけれど、拝借してしまっても良いのではなかろうか。
「でもなあ、あるとしてもハストゥルムだろうしなあ」
こっちの世界、リーベルフィアに来てから何度か実験して分かったことだけれど、基本的に転移の魔法では僕は異世界間を行き来することは出来なかった。
思いの力が弱いのか、僕の魔法力が弱いのか、この世界自体に要因があるのか、理由は分からなかったのだけれど、僕が転移することのできる範囲は、このリーベルフィア、それも僕が知っている範囲である王城の敷地内だけだった。まあ、下手に別の場所に転移してしまって帰って来られなくなるよりはずっと良かったけれど。
そんなわけで、僕は王子様や姫様、それに魔法師団の方々に魔法を教えながら、新しく魔導書も編纂しなければならないという大役を仰せつかったわけだけれど、他にもやるべきことはあった。
「ユースティア、ただいま参りました」
「おお、来たか!」
いくら魔法師と言えども、資本は身体であり、体力をつけなくてはいざという時に役に立つことは出来ない。それに、少し前まで毎時のように身体を動かしていたので、どうにも身体がなまりそうだったからだ。
「本日もよろしくお願いいたします」
お昼の休憩という時間が設けられており、朝夜のご飯だけではなく――それもとても豪華すぎるもので、初日には目を回してしまった――お昼のご飯というものも出される。その時間を挟んで、僕は騎士団の方へとお邪魔させていただいている。
「いや、邪魔なんてことはないさ」
「そうそう。普通魔法師は身体を動かすことは苦手なのに、うちの魔法顧問殿は身体能力もかなりのもんだしな」
武器も剣くらいであれば扱えるし、体術に関しては、魔法を使わずとも、1人でも出来る訓練として檻の中でも訓練が出来たので、それ程鈍ってはいない。
色々と仕事をこなしてきた関係上、自然と鍛えられていた身体能力は随分と評価していただいたし、壊れた訓練用の防具や武器などの修復でも一役活躍の場をくださったり、重宝してくださっているのは、素直に嬉しかった。
「いえ、僕のものは皆さんのようにきちんと鍛えたものではないので、まだまだ未熟なものです」
食べてきたものが違うのだから当然だけれど、騎士団の方の筋肉は、太く、鋼のように鍛えられており、僕と比べると、ゆうに倍以上はある。
「はっはっは、そうだろう。俺の鍛え上げた筋肉はすごかろう、わはははは」
「でたよ。いるよなこういう風に筋肉自慢を始める馬鹿」
「誰もお前の筋肉なんて見たくねえよ」
そこで3時間ほど汗を流すと、次にはお城の書庫を見せていただいたり、学問と呼ばれている、数字や言語なんかを学ばせていただいている。というのも、書庫を初めて訪れた際、司書長様にぽろっと話してしまったところ、ありがたいことにご教授くださるというお話をいただいたからだ。
「どうなさったのですか、ナセリア姫様」
ナセリア様は扉の影からじっと僕たちの様子を見ていらしたのだけれど、僕がお声をかけると、さっと扉の影へと隠れてしまわれた。
「あらあら」
その様子をご覧になって、司書のミラさんは訳知り顔で微笑まれた。
お城の図書館で司書を務めていらっしゃる女性はミラさんとおっしゃる方で、うねる黒髪も、しなやかな肢体も、柔らかそうな胸も、何とも色っぽい、妖艶な雰囲気を醸し出している。
こう言ってはあれだけれど、そういったお店、例えば娼館などに出入りされていても全く分からないであろう雰囲気の大人の女性だ。
「そういえば、私、今日は新刊が出るのでそれを買いに行かなくてはならないのでしたわ。今日はここまでということで失礼させていただきますね。時間も時間ですし」
ミラさんはお城に勤めてはいらっしゃるけれど、住み込みで働いていらっしゃるわけではなく、旦那様もお子様もいらっしゃる一家の母親だ。
「ユースティアは、その、今日のお勉強はもう終わってしまわれましたか?」
すれ違い際にミラさんに何か吹き込まれたらしいナセリア姫様は、ほんのりと頬を染めて、指をもじもじと動かされながら、おずおずと歩いていらした。
「いいえ。もう少し、お夕食までも時間があるようですから」
僕がそう答えると、ナセリア姫様はぱっと顔を輝かせて、
「それでしたら、私が」
と、さっきまでミラさんが座っていた僕の隣の席に腰を下ろされた。
「ありがとうございます、ナセリア姫様」
ナセリア姫様はとても9歳とは思えない知識と頭の回転をされており、効いた話では、他のご兄弟に教師をつけていらっしゃるという、このリーベルフィア随一の学院の講師の方を言い負かしてしまわれたのだとフィリエ様がおっしゃっていた。
「はい」
ナセリア姫様は花の咲くような笑顔を浮かべられて、夕食の時間まで僕に学問を教えてくださった。