ゴミはなかったのでゴミ屋敷ではありませんでした
ナセリア様との念話を終えた僕は、総務長官様のお部屋にお邪魔させていただいた。
遅めの夕食をとっていらした総務長官様は、僕が訪ねてきたことに驚かれつつも、お部屋に招き入れてくださった。
「すみません、魔法顧問殿。散らかっておりまして」
総務長官のトラバール様はまだ起きていらして、仕事をなさっているところだった。
トラバール様の執務室へお邪魔したのだけれど、数あるどの机も書類が散乱していて、どう見ても『散らかっている』というレベルではなかった。
ご本人にはご本人の事情もあるのだろうから、とりあえず部屋に関して僕からは特に何も言わなかった。
仕事がたくさんおありのようなら申し訳ないなと思いつつ、勧められたソファーの上の書類をどかして腰掛けさせていただいた。
「お食事中のところ、申し訳ありません。出直して参ります」
せっかく勧めていただいて申し訳ありませんが、と前置きする。
トレイの上に乗せられたお皿のスープからはまだ湯気が立ち上っていて、今しがた運ばれてきたものなのだということは容易に想像がついた。
つまり、こちらから食堂の方まで食べに行く暇もないくらいに忙しくなさっているということだと思うのだけれど、そんなところへ、半分私情から、別のお仕事を頼んでしまっても良いものだろうか。
「魔法顧問殿はご自身の仕事が忙しいからといって、他人から頼まれた事を断ったりなさいますかな?」
「いえ、そのようなことは‥‥‥」
というよりも、魔法顧問の仕事は全くといってもいいほど忙しくなく、たまにある仕事も師団の皆さんが片づけてくださるので、僕の方の仕事といえば、お城の防衛と、姫様、若様に魔法の授業をさせていただくということくらいしかなく、これで良いのかと思うほどに仕事がない。
「若様、姫様に魔法をお教えするというのは、何にも代えがたい重要な仕事だと思いますが‥‥‥いえ、それは今議論することではございませんな。今この時間帯にいらしたということは、それだけ急を要する案件なのでしょうから」
たしかに、あと半日もしないうちに必要になる書類だという事には違いがない。
探すこと自体は、この書類の山の中からでも、探索の魔法ですぐだとは思うけれど、その書類を読み込んで向こうの言い分を理解するには僕の頭ではかなりの時間を要することになるだろうから。
僕が孤児院の事について、知っている限りの事を話すと、トラバール様は、しばしお待ちを、とおっしゃられて、特に迷われることもなく書類のひと山へと向かわれると、途中から数枚の紙束を引き抜かれた。破けなかったのが不思議だ。
「これですな。その孤児院に関する資料は」
と、トラバール様が紙束をピラピラとさせられたけれど、僕はそんなことを気にしている場合ではなかった。
ぐらんぐらんと揺れる書類の束の山。
今にも崩れてきそうになって、影を落としている。
「どうされましたか、魔法顧問殿」
おそらくは魔法師団の関係の書類もあるのだろうから、あまり声を大にして言えることではないのだけれど、この、何とも絶妙なバランスを保っているらしい書類の束の山に対して、1つ言いたいことがあった。
「ありがとうございます、トラバール様。それで、この場で火急のお頼みがあるのですがよろしいですか?」
トラバール様は不思議そうなお顔でいらっしゃるけれど、何でそんなに平然としていられるのか、端から見ている僕にはそちらの方が不思議だった。
この部屋を掃除するときとかにも、ユニスたちは何とも思っていないのだろうか? それとも、この部屋には立ち入っていないとか?
「はあ、火急と申されますと?」
予想はしていたけれど、とぼけていらっしゃる感じでもない。
「この部屋、片付けてもよろしいでしょうか?」
◇ ◇ ◇
片付けるには色々と入用なものがあるわけで、それらを探しに倉庫へ行ったところ、夜番のメイドの皆さんに見つかって声をかけられ、同行していただくことになってしまった。
「あの、トラバール様のお部屋のお掃除などはどうやってなさっているのでしょう?」
どう考えても掃除が出来るような環境ではなかった。
それどころか、あのの部屋に出入りできたというだけでも奇跡に近いレベルなのではと思えてしまう。
ところがルーミさんは、
「普通よ、普通。別に他の部屋と変わらないわ」
何でもないことのような調子でおっしゃられた。
「ユースティアだって浄化の魔法を使って部屋を掃除するときに、物が動いたりすることはないでしょう?」
それと同じことですよ、と、薄紫の髪を結い上げられたルシクルさんは、平時と変わらない落ち着いた雰囲気のまま、淡々と歩を進められた。
たしかに、いつも掃除をなさっていらっしゃる皆さんにとっては見慣れた光景なのかもしれないけれど、初めて見た僕には衝撃が大きかった。
書類整理の仕事をしたことはあったけれど、あそこまで膨大な量は見たことがない。
一国の総務長官の部屋なのだから他とは桁が違うと言われてしまえばそれまでなのだけれど。
「まあでも、ユースティアが尋ねてくれたのには助かったわ」
「いつか崩れるんじゃないかと思っていたけれど、本人が使いやすいなら、とスルーしていたものね」
ああ、たまに、どう見ても散らかっているのに、それがベストな位置なのだと言い張る方はいらっしゃいますからね。
食品を扱うところでは、衛生面からか、几帳面な方ばかりだったけれど、例えば針仕事をする仕立て屋さん、シーマさんのところは、机の上はもちろん、床にも布の切れ端とかが散乱していることが多かった。それらをいただいていた僕に何か文句が言えるかといえば言えないのだけれど。
「けどこれを機に、すっきりさせましょう」
「腕が鳴るわね!」
僕たちがトラバール様のいらっしゃるお部屋に辿り着くと、辛うじて食事は無事だったものの、手を付けられた様子はなく、トラバール様は書類に埋もれられながら書類とにらめっこをなさっていた。
当然、ルーミさんとルシクルさんから「まだ食べられていらっしゃらないんですか!」「片付かないので早く済ませていただけますかといつも言っていますよね!」「今何時だとお思いなのですか!」などと、怒涛のようなお叱りを受けていらした。
食事が遅れている件に関しては僕のせいもあるので「すみません」と謝ると、
「ユースティアは関係ないわよ」
「トラバール様はいつもこうなの」
呆れたようなため息とともに、お二方は揃ってそうおっしゃられた。
「これがベストの位置なんだよ‥‥‥」
小さく小さくそう呟かれたトラバール様のお声を、耳ざとく捉えられたルーミさんとルシクルさんは、物凄い目を向けられたけれど、これ以上言うと余計に効率が悪化すると思われたのか、無視されて、書類を仕分け、整頓なさっていらした。




