魔法顧問の仕事
僕に与えられた仕事は、ナセリア様を含めて王家の子供たち、それからお城の魔法の研究者の方達に魔法のことについて教えるということと、その関連事に関する研究だった。
魔法が認められている国家ということで、学院に通う子供たちは、歴史なんかの授業の他に魔法についても学ぶのだそうだ。もちろん、国民全員が魔法を使えるというわけではないらしいので、その辺りはうまく調整しているらしいのだけれど。
長年魔法について研究している方達に僕が教えられることなんてないと思っていたのだけれど、そんな不安は不要だった。
「なるほど。では、魔法を使うのに呪文は本当は必要ないということですな」
「たしかに、呪文を唱えることがなければ、敵と対峙した際に、こちらの魔法を知られるリスクを減らすことができるでしょうな」
イメージを補完する上で声に出したりすることは有効かもしれないけれど、いざという時には、文言を唱える、その時間が命取りになるかもしれない。この国に、いや、この大陸にいる魔法師と呼ばれる人たちは皆、台詞こそ違えど、皆魔法を唱えるという事だったから、その台詞を省略することが出来るようになれば大きなアドバンテージを得ることが出来る。
「それはその通りですが、魔法顧問殿、本当に我らに呪文を省略することなど出来るのでしょうか?」
僕は今まで呪文なんて唱えたことがなかったから分からないのだけれど、唱えることが普通、常識以前として体系化されているこの世界の魔法については、正直なところ分からないけれど、僕がこうして魔法を使えているのだから、他の人に使えないわけはないだろう。
「やはり、実際にやりながらの方が良いのかもしれませんね」
先人の考えを知るために、歴代の魔法顧問だった人たちが編纂してきたという書物の置かれている部屋にずっと籠ってきたのだけれど、頭で考えるよりも、実際に魔法を使いながら学んだ方が良くわかるのかもしれない。
僕たちが稽古場へと移動しようと部屋を出ると、部屋の外、正面の壁にナセリア姫様が寄りかかって、思い詰めているような表情をなさっていた。
「これはナセリア姫様」
僕たちは一斉に跪き、静かに姫様の言葉を待った。
僕たちが膝をついてしばらく、落ち着かないようにそわそわとしていたナセリア姫様は、小さく息を吸い込むと、
「ユースティア」
懸命な調子で僕の名前を告げられた。
「なんでしょうか?」
顔を上げてナセリア姫様の瞳を覗き込むと、姫様はその金の瞳をわずかに揺らし、緊張しているように頬をわずかに紅潮させながら、もじもじとさせていた小さな手をぎゅっと握り絞められた。
「私にも魔法を教えてくださるという約束でしたよね?」
その口調は、何だか怒っているようにも、拗ねているようにも感じられ、僕は戸惑ってしまった。
「はい。ですから私は姫様方には授業という形でお教えしているではありませんか」
レガール王子はまだ4歳ということで、いつも王妃様の傍を離れたがられないので別だけれど、エイリオス王子、フィリエ姫、ミスティカ姫、それからもちろんナセリア姫にも一緒に毎日ご教授させていただく時間をとらせていただいている。今日だって、午前中にはお昼ご飯の少し前の時間に、講義と実技の時間を頂いたはずだ。
「‥‥‥私、もっともっとユースティアに魔法の事について教えていただきたいです。他にも、あなたが知っていることを全部」
僕の知っていることで、ナセリア姫様に教えられることなんてそれほどありはしない。
ろくに本も読んだことのなかった僕とは違い、エイリオス様は王様になるための勉強とともに、難しい学術書なども読まれているという事だったし、ナセリア様に至っては、何語で書いてあるのかすら分からない古代の文章すら簡単に読み解かれるのだとか。
読むだけならば、翻訳の魔法を使えば僕にも可能だろうけれど、その意味までは分からない。
辛うじて僕に教えられることと言えば、魔法についてと、それから数々の仕事に関して、その知識と技術だけれど、それがナセリア姫様がお知りになりたいことなのだろうか。
「ええっと、私はこれからこちらの皆さんに魔法をお教えするという役目を国王様、アルトルゼン様より仰せつかっているのですが、ナセリア姫様もご一緒にいらっしゃいますか?」
せっかく授業の時間も終わって、フィリエ姫様のようにお庭やお城を探検と称して走り回られたり、ミスティカ姫様のようにクローディア様とレガール王子様と一緒にお菓子作りや積み木などをなさっていたりして、自由にやりたいことをすればいいのに、授業を終えてまで僕について来ることはないのに。
「ご迷惑でしょうか?」
僕は出来る限り気持ちを表情に出さないようにしていたのだけれど、それとは別に、ナセリア姫様はなんだか不安そうな表情をなさっていた。
「いえ、決してそのようなことはございません」
王妃様のおっしゃる通りならば――おそらくその通りなのだろうけれど――ナセリア姫様は、ここへ来て最初に僕の魔法について認めてくれた方だ。今まで魔法に関して良い思い出のなかった僕にとっては素直に嬉しいことだったし、こうしてここに留まることが出来ているのも、ナセリア姫様のおかげと言っても過言ではない。その恩人の言うことに反対するつもりはなかったので、僕は一切の遅滞もなく言い切った。
「では、一緒に参りましょうか」
「はい」
ナセリア姫は、ぱあっと顔を輝かせて、ほんのりと頬を染めながら、嬉しそうに微笑まれた。
その姿があんまりにも可愛らしかったので、僕も、後ろにいらした研究者の方達も、おそらくは頬を緩めているのだろうなと感じられた。
◇ ◇ ◇
「ユースティア殿。本当に我等も居て良いのですか?」
稽古場につくなり、魔法師の方達に詰め寄られた。
「それはどういう事でしょうか?」
元々僕は皆さんに魔法を教えるためにこの稽古場へと移動したのだ。それなのに、教えられる本人たちがいなくなってどうするというのだろう。
「いえ、ですから姫様とお2人の方がよろしいのではないですか?」
ナセリア姫様と2人で?
まさか、そんなはずはないだろう。
「ですが、姫様はなにやら不満気な様子でしたし」
たしかに、少しばかり拗ねている雰囲気は感じられたけれど。
「ナセリア様。ぼ、私と2人きりで習いたいとか、そういったことではございませんよね?」
魔法師の方達に少しばかりナセリア姫様と2人で話したいという旨を伝えると、なんだか妙に暖かい眼差しで見送られた。
僕が尋ねると、ナセリア姫様は、その大理石のように真っ白な頬を薔薇色に染め上げた。
本当に?
ナセリア姫は恥ずかしがるように手をぎゅっと握り絞めて俯いてしまって、どうやら魔法師の皆さんのおっしゃっていたことは正解なのだということを、僕も認めざるを得なかった。
「ユースティア殿。我らのことは気にしないでください」
「姫様方こそ、我等の第一義ですから」
魔法師の方々は、そうおっしゃられて、妙に嬉しそうに肩を叩きあいながら訓練場を出てゆかれてしまった。まあ、姫様が大事なのは分かるのだけれど、それにしても、良いのだろうか?
「‥‥‥えっと、その、では始めましょうか」
全面的に人を完全に信じ切ることが出来るかと問われれば、まだまだそれは僕にとって難しいことだろう。
けれど今、目の前で俯いてしまっている、一杯一杯の様子の女の子からは、少なくとも、嘘や欺瞞、そういった気持ちを読み取ることは出来なかった。
僕の方も、今まで生きてきた中でも圧倒的な美貌を誇る1人の少女を目の前にして、緊張せずにはいられなかった。
大人の女性に対する対応ならばある程度は心得ているし、ティノ達のような家族にならば平気で接することは出来るのだけれど、それ以外の少女となると、僕には殆ど、1人くらいしか接した記憶がない。
非常にやりきれない気持ちになったし、とても悲しいことを思い出してしまったのだけれど、そのおかげというか、僕はなんとか、そう、ギリギリで気持ちを落ち着かせることに成功した。
「ナセリア姫様。準備はよろしいですか?」
準備することなんて何もないけれど、このまま黙っていてはまた気まずい沈黙に囚われてしまうだろうと思っていたので、それを避けるためにも、そしてナセリア姫様の様子を尋ねる意味でも、当たり障りのない質問をした。
「はい」
さすがというか、ナセリア姫様の方も気持ちは落ちつけられたようで、ようやく僕たちは魔法の訓練を開始した。