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後悔

 どうしてと言われても、僕には先の王妃様の前での説明以上に語ることの出来るものはない。もっと正確に言えば、他人には語りたくない。特に、こんな風に王族という、その世界の最上位であろう家系に生まれ、おそらくはほとんど不自由なく暮らし、暖かい家族に囲まれているような、そんな明るい光の中を歩むがごとく生きてきた人には。

 同情なんて欲しくはなかったし、哀れみなんてまっぴらだった。


「何故とおっしゃられましても、その件に関しましてはすでに王妃様にお伝えした通りですが」


 だから、言葉がすこし冷たくなってまったのは仕方のないことだと思う。出来る限り温和な声色を心掛けたつもりだったし、嘘をついて気持ちを誤魔化すのは得意だったけれど、この短い期間、ハストゥルムでの数え方に準拠するとここ数か月の間に立て続けに起こった事に関して、僕の中では全く消化できていない。


「‥‥‥恩人であるあなたにあまり言いたいことではないのですが、あなたはこれから私たちの魔法顧問としてここに居続けることになるのですよね。あれほどの魔法を使うことのできるあなたをお父様が手元から離すはずもありませんし」


「お許しいただけるのでしたら」


 そりゃあこの国にいる魔法師と呼ばれる人が皆、先程のコーマック魔法顧問、いや元魔法顧問か、程にしか魔法をつかえないのだったら、僕の事を野放しに出来ないというのは分かる。

 僕は別に国王様に忠誠を誓っているわけではないし、この国や人に思い入れがあるわけでもない。つまり、いつでもクーデターを起こし、それをやり遂げることが出来るかもしれない危険人物ということだ。起こすつもりなんてほとほとないけれど、実際起こすとすれば、おそらくは1日でこの国を落とすことも可能だろう。


「私たちは知らなくてはならないのです。自分たちの為と、それ以上に国民のために」


 得体の知れない人物から突然教えを乞うというのも、精神的には障害があるのかもしれない。僕は素性なんて知らなくてもその日の賃金を頂けるのならどんな仕事でもやってきたけれど。


「義務感か、責任感か、何のつもりなのかは分からないですが、助けたお礼ということでしたらしていただかなくとも結構ですよ。僕も偶然助けただけで、助けようと思ってあの場に来たわけではありませんから」


 ナセリア姫は僕なんかとは正反対だ。身分も、容姿も、才能も、お金も、愛情も、生まれた時からすべてを手にしている。

 僕は自分でも分からないうちに、止めようもなく、感情を吐き出してしまっていた。


「陰謀でもお疑いのようでしたらご心配には及びません。あなた方をどうにかしようというつもりは全くありませんので。僕の事をお知りになりたいということでしたけれど、知ったところであなたにどうにか出来ることではないでしょう。暖かい家族に囲まれ、何不自由なく愛されて育ち、裏切りも、暴力も、飢えも、下水の臭いも、死体の回収も、おもちゃとして扱われたことも、そして大切な人を失ったこともないようなあなたには、あなた方には、僕のことは分かりませんよ」


 ナセリア姫は僕が一方的にどうしようもないことをしゃべり続けるのをわずかに目を見開いて静かに聞いていた。


「あなたを助けたことが結果的に僕自身の生存に繋がっていることにだけは感謝します。けれどそれだけです。自身の職務は全うしますが、それ以上に僕に関わろうとしないでください」



 ◇ ◇ ◇



 ナセリア姫がなにも言わずに静かにドアを閉めて出て行ってしまった後、僕は随分と長い間、僕の気分とは全く正反対のふかふかの絨毯の上に突っ伏していた。

 随分と身体に溜まっていたものを吐き出してしまったようで、しばらくは頭の中が痛いくらいに興奮していたのだけれど、それも次第に冷めてくると、猛烈な後悔に襲われていた。


「僕は最低だ‥‥‥」


 あんな小さな、ロレッタと同じくらいの年頃に見える女の子に対して、なんてひどいことを言ってしまったんだ。あんなに小さな顔と身体に、王族としての義務と責任を背負っている少女に、僕の一方的な感情だけをぶつけて喚き散らすなんて。


「謝らなくては‥‥‥」


 それは、身につけたうわべを取り繕うような謝罪の言葉ではなくて、家族ではないけれど、大切な人に対する真摯なものでなくてはならない。僕だって自分がまだまだ子供なのは分かっているけれど、ナセリア姫は僕よりもっと幼いわけだし、年上の男性にあんな風に言われたら傷ついていて当たり前だ。


「ええっと、ここがナセリア姫の部屋だな」


 窓の外はすでに暗くなっていて、空にはここでも変わらない月が浮かんでいる。

 お城の廊下は蝋燭の明かりがほのかに照らしており、メイドの方なんかはすでに今日の仕事を終えているのか、誰の姿も確認できなかった。


「ナセリア様」


 静かに扉をノックしたけれど、やはり眠っているのか返事はなかった。

 夜這いみたいで気が引けたし、他の誰かに見つかれば即座に首を飛ばされる行為だろうけれど、ここまで来たら同じだろうと、ノブを掴んで、そぉーっと回してみた。

 いや、もちろん夜這いなんて、そんなやましい気持ちは一切なかったし、そもそも、いくらナセリア姫が天上の、神秘的な美貌の持ち主だったとしても、僕が他人にそんな気持ちを持つことは今後ないだろうけれど。


「っ!」


 扉を静かに開くと、わずかに開いた隙間から小刀が飛んできた。

 中には黒装束を纏った目元だけが空いている男性が数人、ナセリア姫のベッドを囲んでいて、ナセリア姫は静かにベッドの上で正座していた。


「おい、どういうことだ。この城の人間は全員眠りにつかせたのではないのか」


 いまにも飛び掛かりそうだった先頭にいた人物が、小声で告げると、そのはずです、と後ろにいた人物が首を縦に振っている。


「たしかに攫って行くための準備は整えました。3日もかけましたから確実なはずです」


「ではあいつはなんだ。どうしてここにいる」


 男たちの話はよく分からない。分かるのは今まさにナセリア姫が誘拐されそうになっている場面に遭遇してしまったということだけだ。

 そういえば先日も、などといっている男たちを無視して、僕はナセリア姫のところへ駆け寄った。

 呆気にとられているらしい男たちも、僕が近付くとようやく少しばかり我に返ったのか、腰の刀を抜いて僕に向かって斬りかかってきた。


「この方達はお知合いですか?」


 僕は半歩ずれることで振り下ろされる刀を躱して、男たちの肩を押して遠くへと追いやると、ナセリア姫の座る大きなベッドの端まで近づき声を掛けた。彼らの会話から目的は知れていたけれど、もしかしたらナセリア姫が動揺しているかもしれないと思い、少し会話をしようと思ったからだ。ナセリア姫にしてみれば、僕も不審者と大して変わらないのかもしれなかったのだけれど。


「いえ。私は存じ上げませんが、彼らは私を知っているようで、どうやら誘拐にいらっしゃったようです」


 ナセリア姫は冷静を装った声で淡々と語ってくれたけれど、ほんのわずかに恐怖と、そして安堵が窺えた。


「なるほど。ではこの方達は賊ということでよろしいのですね?」


「はい」


 僕がナセリア姫の手を取ると、それはとても柔らかく、少しの汗を掻いているのがわかった。

 こんなに小さくて、やわらかくて、いい匂いで、綺麗な子供を狙うなんて許すことのできない蛮行だ。


「こいつはどうしますか?」


「馬鹿野郎、障害は排除するんだよ」


 どうしてこの見た目の割には落ち着いているお姫様は助けを呼ばなかったのだろう。どう考えても一大事なのに。


「だって、今は皆疲れて寝ているでしょうから」


「そういう問題じゃない!」


 僕は状況も、自分が何をしにここへ来たのか本来の目的も、敬語も忘れて、大声ではなく叫んだ。


「いいかい。君はもっと家族の、他の人のことを、そして何より自分自身の事を考えるべきだよ。今君が助けを呼ばない事よりも、明日の朝、家族やお城の人が君の事を確認、もしくは確認できなかったときにどう思うのかを考えるべきだ。何かあってからでは遅いんだから」


 この子はきっとただ優しい女の子なんだ。今だって、寝ている皆を起こしたくないからという理由だけで遮音結界まで張るほどの。

 きっと、僕のところに尋ねてきたのも、同情とか、義務感とか、責任感とか、そういう事ではなくて、おそらくは純粋に僕の事を気にしてくれていたんだろう。

 最近、悪意にばかり晒されていたせいで、大事な感情を忘れていたのは僕の方だった。


「先程のことは謝ります。ですからどうか、これからはお一人で抱え込まず、誰にでも、もちろん僕にでも話してくださいませんか」


 ナセリア姫に伝わったかどうかは分からない。


「僕をここまで運んでくださったあなたは間違いなく僕の恩人です。ですからこの先も、何があろうとも僕はあなたのお味方を致します」


 だけど僕は今のうちに言えることは言ってしまった。後から思い返したら、恥ずかしさと、後悔と、不敬、懺悔と、そんな感情で、ここから消えてしまいたくなってしまうかもしれないから。


「とりあえず今は」


 僕はナセリア姫を絶対に安全だろう結界を、あの時とは違い常に新しいものを作り続けながら、ベッドから降りて、賊に向かって手を伸ばした。

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