説明と拝謁
「あの、お顔をお上げください」
王妃様がお声を掛けてくださったけれど、僕はとても顔なんて上げられなかった。
王妃様、そして王女様ということは、おそらくはこのリーベルフィアという国で最も偉い方だ。そんな方に無礼を働くようなことがあっては、確実に首が飛ぶ。ただでさえ、僕なんかの汚い子供がこんな部屋に‥‥‥。
「あれ、汚れていない‥‥‥」
視界の先に映りこんでいる僕の指先は、監視の男性に踏まれ、叩かれていたはずなので、血みどろになっているはずだったけれど、傷ひとつなく、来ている服も鉱山で働いているときのものであったはずなのに、煤も汗も残っておらず、まるですでに浄化の魔法を使っているかのように綺麗になっていた。
「そのことについて、私共からもお尋ねしたいのですが‥‥‥」
僕が顔を上げると、恐れているような、もしくは好奇心によるものなのか、王妃様から遠慮がちに尋ねられた。ナセリア姫は、変わらず、僕の事を淡々と眺めていた。どちらかと言えば、観察していたといった方が近いかもしれない。
「何でしょうか。ぼ、私に答えられることでしたら、何なりとお答えいたします」
「あの、そんなに畏まらず、普通に話してくださって構いませんから」
そう言われたけれど、王族の方に無礼な口を聞いたことを知られたら、まず間違いなく僕の首は飛ぶ。王妃様と王女様が庇ってくれるとか、そういう問題ではない。
「まずはあなたのあ名前をお聞かせ願えますでしょうか?」
「ユースティアでございます」
僕は間髪入れずにそう答えた。
ナセリア姫とクローディア王妃を信用しているわけではないけれど、1国の王女様、王妃様に嘘をついたとあっては、おそらく刑は免れない。
「その、ユースティア様」
「様など不要でございます」
僕の意志が強いことを悟られたのか、王妃様はやや不満そうにわかりましたとおっしゃられ、即座に本題を切り出された。
「‥‥‥ユースティアさんは、娘を、ナセリアを助けるために魔法をお使いになられたと聞いたのですが、本当でしょうか?」
どのような質問であっても正直に答えようと思っていた僕の口は一瞬縫い留められた。
僕はまだこのリーベルフィアという王国について、ほとんど何も知らない。
仮に、ここで僕が魔法を使えるということを明かしてしまえば、また牢屋へと連れて行かれるか、それとも強制労働か、もしくは死刑が待っているかもしれない。逃げようかとも思ったけれど、転移魔法と先程の戦闘の影響で魔力がほとんど残っていなかった。
「‥‥‥はい」
仕方なく、僕は正直に答えた。
すぐに捕まることも覚悟していたのだけれど、王妃様は紅い瞳を、こう言っては失礼だけれど、少女のように輝かせられた。
「まあまあまあ! 本当に魔法がお使いになられるなんて! もしかして、ナセリアとユニスを助けてくださったときに突然現れたというのも、何か魔法によるものですか?」
「あの、どうしてそんなに興奮なさっているのですか?」
王妃様の顔に負の感情は認められなかった。それどころか、嬉しくて仕方がないという顔をしていらっしゃった。
「だって魔法がお使いになられるのでしょう? すごいことじゃないですか!」
「お母様、少し静かにしていてくださいますか?」
興奮した様子でしゃべり続ける王妃様の後ろから、ナセリア姫が相変わらず感情の読めない表情で淡々と説明してくださった。
「あなたの元いた、ハストゥルムというところではどうなのか存じませんが、ここリーベルフィアではほとんど魔法を使える者はおりません。そして、魔法を使える者は、それだけで重宝され、重用されているのです」
魔法を使える者が少ないというのは、貧民街とも、ハストゥルムとも同じだったけれど、そのことに対する考え方は、全くの真逆だった。
「それで、先程ナセリアの前に突然現れたという魔法は何という魔法なのですか?」
ナセリア姫様に窘められて、少し落ち着かれたらしい王妃様に尋ねられて困ってしまった。
異世界間転移の魔法だとは思うのだけれど、僕は意識的にあの魔法を使えるわけではない。おそらく、僕の強い念か想い、思考によって偶発的に起こる現象なのだ。やり方など聞かれても答えることは出来ない。
「おそらくは異世界間転移の魔法だと思われるのですが、すみません。僕にも詳細なことはよく分からないのです」
そういえばあの魔法を使ったということは‥‥‥。
間抜けな音が、僕のお腹から響いてきた。
あの魔法には、おそらくは魔法だと思うのだけれど、偶発的にしか発動できないという他に、使用するととてつもなく体力を持っていかれるという欠点があった。本当に、ナセリア姫を助けることが出来たのは奇跡に近い。
「そういえば、もう一人、あの時ナセリア姫様の隣には茶色い髪をした女性がいらしたと思うのですが」
たしかさっき王妃様はユニスとおしゃっていたっけ。
「ご心配ありがとうございます。ユニスならばすでに元気に、たしか今はお買い物に出かけていると思います」
王妃様のお話では、あの茶髪の女性はユニス・ティルマさんとおっしゃる方で、こちらのお城でメイドさんのお仕事をなさっているらしい。
「それでそれで、異世界とか、転移とかと言うのは、何の事なのでしょうか?」
どう答えたものか考えていると、大きな扉がノックされる音が響いてきた。
「クローディア様、ナセリア様、国王様、アルトルゼン様がお待ちです」
扉の向こう側から男の人のものと思われる渋い声が聞こえてくると、王妃様は、あらいけない、とすぐに返事をされた。
「あなたが起きたら連れて来るようにあの人から言われていたの。この国の王様よ」
さあ行きましょうと言われてしまい、僕はあれよあれよという間に、この国の王様の下まで連れて行かれることになってしまった。もちろん、服などは元々着ていたボロボロの奴隷の服のままだ。
◇ ◇ ◇
連れて行かれたのは、玉座の間と呼ばれているらしい、ただただ豪華なところだった。
きらきらとしていないところを見つける方が難しいようなその部屋の奥には、王妃様よりも10歳ほど年上に見える濃い茶髪に蒼い目をした男性が厳しい目をして、やはりなんだかとても豪華な椅子に座っておられた。
王様の隣には王妃様のものと思われる椅子があり、その2つの椅子の周りには、4人の子供たち、2人の男の子と、2人の女の子がいて、王妃様とナセリア様はゆっくりと歩いていって、王妃様は王様の左隣にある椅子に優雅に腰かけられた。
このような場所にはまるで縁もなく生きてきた僕ではあったけれど、どうしなければならないのかは本能的に悟っていた。
僕は両ひざを就いてしゃがみ込むと、そのまま両手を床につけ、その手に触れないギリギリまで頭を下げた。
「面を上げてはくれぬか?」
男の人の声が聞こえてきたので、僕は顔を上げて正面を向いた。
「私はリーベルフィア王国108代国王、アルトルゼン・シュトラーレスだ。其方、名はなんと?」
「ユースティアでございます、アルトルゼン国王陛下」
「家名は?」
「存じ上げておりません。血の繋がった家族はございませんので」
辺りがざわつくのを感じる。おそらくは、偽名か何かだと疑われているのだろう。
「ユースティアよ。まずは娘と臣下を助けて貰ったこと、礼を言おう」
「勿体なきお言葉にございます」
アルトルゼン陛下は手を挙げて、よい、と周りの臣下の方を黙らせてしまわれた。
「そのことについて私から其方に何か差し上げられるものはないかな? この命、などと言われても困ってしまうが、出来る限りの物は差し出せると、この名に懸けて誓おう」
欲しい物と言われても、僕に答えられるものはない。お腹は減っているけれど、きっとそういう事ではないのだろうし。
「いえ――」
「陛下、恐れながら申し上げます!」
ずらりと並んでいる家臣の方の中から、1人の男性が進み出てきた。
「その者が魔法を使ったという件に関してでございますが、私共は全く納得しておりません」
綺麗なローブを纏った男性は、軽蔑しているような瞳で僕の事を睨んできた。
「このような身元もしれぬような子供が、魔法を使うなどとても‥‥‥」
「私の娘や息子は皆使えるのだが、子供が魔法を使うのはおかしなことかな? コーマック魔法顧問」
国王陛下はコーマックと呼ばれた男性をひとしきり眺められた後、周りに目を配られ、ふむ、と頷かれた。
「どうやら皆懐疑的なようだな。どうすれば納得できると?」
「決闘をなさってはいかがですか、お父様」
誰からも意見が出ない中、ナセリア様が静かに花びらのように可憐な唇を開いた。
「ほう」
国王陛下は、とても面白そうな顔をなさった後、コーマック魔法顧問の方へと顔を向けられた。
「ナセリアはこう言っているのだが、貴殿はどうしたいかな、コーマック魔法顧問」
コーマック魔法顧問は勝ち誇った笑みを浮かべて、僕の事を見下ろした。
「構いません、陛下」
国王陛下は僕の方へと向き直られると、真剣な顔で尋ねられた。
「ユースティア殿。度々済まぬが、コーマックと決闘をしてはくれまいか?」
決闘、というのはしたことがないけれど、おそらくは訓練の延長のようなものだろう。
「承知いたしました」
僕が答えると、立ち上がる様に言い渡され、国王陛下以下王家の家族の方々と、臣下の方の進まれるまま、そろそろとした波に沿って、僕は稽古場というところへと案内された。
ただ広い土地だったのだが、こんな広いところが他にもいくつもあって、ここはそのうちの1つである魔法の稽古場なのだそうだ。