そしてプロローグ
「何だ‥‥‥お前‥‥‥」
鍵と取手を潰し、扉を開けた僕は、その場に棒立ちになっている男性のところへ詰め寄ると、頭を下げてお願いした。聞いてすぐには頭の中が漂白されたようなショックを受けたけれど、固まっているだけではシーリーさんを助けることは出来ない。
感情のままに暴力を振るってしまえば、結局聞き出すのに時間が掛かるし、やり過ぎてしまうことも、今の精神状態では否定することは出来ない。
「お願いします。どうかシーリーさんの居場所を教えてくださいませんか」
ほんの少し、わずかに冷静になった頭で、地面に膝をつき、頭を下げて、心の底からお願いする。
「てめえ、この‥‥‥ビビらせるんじゃねえよ!」
背中をぐりぐりと踏まれる。
今までは無関心を貫いていた、近くの部屋に入れられている一緒に働いている奴隷の方達が、音に驚いてか、檻に顔を押し付けて、食い入るように僕たちの事を観察していた。
「俺が知るわけねえだろうが。知ってても、奴隷に教える義理はねえよ」
お腹を蹴られたけれど、僕には吐き出せるものは何もない。今日のパンはまだお皿の上だ。乾いた唾だけがわずかに零れる。
蹴とばされ、棒で叩かれ、ボロボロだった服はさらに破ける。
しばらくそうして蹴られていると、やがて息を切らした男性はどかりと椅子に腰を下ろした。
「‥‥‥どうしても教えてはいただけないんですか?」
「お前を逃がしたら‥‥‥物を無くしたら俺が怒られるだろうが」
これ以上聞いても教えてくれそうにない。教えてくれたなら1つ手間が省けて早くなったのだけれど仕方がない。あまり時間をかけるわけにはいかない。
「分かりました。では、自分で探しに行きます」
立ち上がり、探索魔法を使うと、シーリーさんの反応とこの付近の土地の情報が頭に浮かぶ。必要以上に他人の物を壊すのは躊躇われたので、壁を壊して出て行くことはせず、真っ直ぐに出入り口へと向かう。
「だから行かせねえって。大人しく檻に入ってろ」
自身の職務に忠実な彼は、僕を引き留めるために、棒を手にして殴りかかってくる。
彼にも生活があり、もしかしたら家族もいるのかもしれない。ここで僕を取り逃がしてしまったことで、彼にも、さらに言えば、彼の家族にも迷惑がかかるかもしれない。
「すみません」
それでも僕は、このままここで倒れて檻に戻されるつもりはなかった。
武器を持っているとはいえ、本職の騎士の剣捌きに敵うはずはない。そして、殺傷能力は剣より遥かに低い木の棒だ。
「な‥‥‥」
僕は振り下ろされる棒を両手で挟み込むと、呆気にとられた様子の彼を気にせず、すぐさま手を捻り、投げ飛ばした。
「古くなっていた天井が崩れた隙に、丁度壊れた檻から逃げ出されたということにしてください」
言い訳にもなっていない言い訳を告げると、僕は、僕が入っていた檻の丁度真上だけを崩落させた。崩れた天井から見える夜空には星が輝いている。僕はその穴から屋根の上へと飛び乗った。
夜の街は星と月の明かりに照らされて、思っていたよりも明るかった。
ここはよく知らない世界ではあるけれど、星と月の明かりは変わらず美しい。
「あっちか‥‥‥」
探索魔法が示すままに、僕は屋根を蹴って宙へと身を躍らせた。
魔法を使えるということは、僕に関わった人には知られているし、他の誰に見られたとしても、おそらくは幻か何かだと思ってくれることだろう。この世界の常識で考えれば、魔法を使える者は異端であり、普通は見たこともないはずだろうから。
屋根と夜空を、文字通り飛ぶように駆け抜け、僕は探索魔法が反応を示す、大きな館の前に飛び降りた。
「オースティン‥‥‥」
翻訳の魔法のおかげで苦もなく読めた。正確には理解できたその名前は、先程見張りの彼がしゃべっていた人物の名前と一致する。
「何だお前は!」
扉の横に槍を構えて立っていた、おそらくは見張りか門番であろう人たちに槍を突き出される。
「夜分に申し訳ありません。僕はユースティアと言います。こちらに明るい茶髪の女の子が連れてこられていると思うのですが」
僕が尋ねると、見張りの男の方達は顔を見合わせた。
「いや」
「知らねえな」
嘘だった。
魔法を使わずとも分かる。信じると信じないは別にして、長い間の経験から、人の顔色を窺ったり、自分でもよく嘘をついていたために、他人がついた嘘は見破ろうと思えばすぐに見破ることが出来る。
もちろん、嘘をつくのが上手な人もいるし、本人が嘘とも思っていないものを見破ることは出来ないけれど。
「分かりました。ありがとうございます」
僕は彼らを無視して地面を蹴り、門を一気に跳び越えた。
「賊だ! 賊が侵入したぞ!」
着地して走り始めると、すぐに後ろから大声が聞こえてきた。
笛の音が聞こえると、暗闇と庭の草陰から番犬が飛び出して、鋭い牙を唸らせた。
こんなところで時間をとられているわけにはいかない。普通の馬車の移動速度と、道なりにここまで帰るルートを考えてみても、まだそれほど時間は経っていないはずだ。
「絶対、間に合わせる!」
助けた後にどうしようとか、そんなことまでは頭は回っていなかった。仮に助けることが出来たとして、僕にどうこうできるわけじゃない。
僕にはお金も、身分も、何もない。
もしかしたら、僕の聞いた話は本当に噂だけで、彼女は良い待遇を受けているのかもしれない。
けれど、僕の直感は、彼女はきっと良くない目にあっていると告げていた。
反応が近付くにつれて、嫌な予感はますます高まっていた。
「この下からだ‥‥‥」
広い敷地の隅、地面に鉄の厚そうな扉が木の間に隠されるように埋められていた。
鍵はかかっていないようで、取手代わりのハンドルを回すと、簡単に扉を開くことが出来た。
「シーリーさん!」
呼びかけたところで、当然返事があるわけもない。しかし、反応は消えてはおらず、彼女がまだ生きていて、この下にいるだろうことは確実に思えた。
すぐ後ろに迫ってきていた番犬に襲い掛かられる前に、素早く身体を滑りこませて、そのまま扉を閉めた。
地下の施設へ降りる階段には蝋燭の火が灯されていて、奥からは刃物を研ぐような音や、何かが燃えているような匂い、泣き叫ぶような悲鳴や、愉悦を感じているような笑い声が聞こえてきていた。
それらは全て、同じ部屋、一番奥にある重厚そうな鉄の扉の向こう側から響いてきている。
扉が完全には閉められていない。
匂いが充満するのを防ぐためか、自身が中毒死するのを恐れたのか、理由は分からないけれど、今の僕にとっては好都合だった。
「シーリーさん!」
僕は思い切り扉を開けた。
そして、目に映った光景に、自身の眼を疑った。
そこでは、複数の、顔を隠した大人の男性が、壁や床に鎖と枷で、首や、手や、脚を繋ぎ留められた子供たちをいたぶっていた。
服も着せられていない子供たちは、身体中に痣を作り、液体なのか個体なのかで身体を汚され、散々刃物や棒などで、裂かれ、突かれただろう痕が刻まれていた。
「おや? なぜここに子供が?」
男のうちの一人が何か声を掛けていたようだけれど、それは無視して、僕はシーリーさんの元へと一直線に向かった。
探索魔法で探せたのだから、まだ生きているはずだ。
「おっと、手が滑った」
走る僕の目の前で、男が鋭く剣を振るった。
肉を切り、骨を断つのは容易ではないというのに、その剣はすんなりとシーリーさんの首を落とした。
「助けに来たのか? よくここまで辿りついたと褒めてやりたいところだが、一足遅かったようだな」
「ど、どうして‥‥‥」
貴族の方に買って貰えば、良い暮らしが出来るって、シーリーさんはそう言っていたじゃないか。
誰に向けて告げた言葉ではなかったが、その男は自分に酔っているような口調で話し始めた。
「おもちゃを1つ壊してしまっただけさ。この世は私達貴族とその他で成り立っているんだ。たった1つ壊れたところで、私の世界に何ら影響はない」
結局、彼らが欲しかったのは、人ではなく物だったんだ。反応があったりする、少し他とは違う物。
なんでこんなことがまかり通っているのだろう。
周りの人も、見殺しにするどころか、一緒になって殺人を楽しむことまでやっている。
命の価値は平等じゃない。大切な人と、そうではない人が居る。そんなことくらいは僕にだって分かっている。
けれど、こんなのはあんまりだ。
僕は深い絶望に襲われた。いっそのこと、消えてしまえば楽になれるとも思えるほどの、また間に合わなかったのだという絶望だ。
もう嫌だ。
見ていたくもない。
ティノ、どうして君は僕を残して逝ってしまったんだろう。何を思って、僕に生きろと言ってくれたのか。
彼らをどうにかしても、死んでしまったシーリーさんが帰ってくるわけじゃない。
それは逃げることだと分かっていた。
けれど僕は強く願った。
「こんな世界‥‥‥」
以前とは違い、今度は意識が残っていた。
光の中に自分の身体が消えるのが分かった。
◇ ◇ ◇
「姫様! お逃げください!」
朦朧とする意識、空腹と極度の疲労により、自分がまたあの世界の人たちを見捨てて逃げ出してしまったんだと理解した。おそらく僕はまた転移してしまったんだろう。今度は以前とは違い、自身が転移という現象、魔法を使ったのだと理解できていた。
「逃がすと思うか?」
視界の端に、驚いたような顔をしている茶色い髪の女性と、わずかに瞼を動かした、長い銀色の髪の女の子が映りこんだ。
「なんだ?」
彼女達を取り囲んでいた数人の男は僕に気付いた様子はなかった。
僕には関係ない。
最初に心に浮かんだのはそんな荒んだ気持ちだった。
少し見ただけでも分かる、明らかにものが違う豪華なドレス。
暗い路地裏でもサラサラと煌いている銀の髪には、綺麗な宝石が埋め込まれているティアラが乗せられている。
ロレッタと同じくらいではないかと思える年頃に見える、吸い込まれそうな金の瞳をした、あまりにも美しい、妖精か人形のような少女の姿を目にして、僕の指がピクリと動いた。
ここで彼女達を見捨ててしまっては、僕も結局、ティノ達を殺した彼らを同じになってしまうのではないだろうか。
そして今は目の前の少女はまだ息をしており、手遅れではない。
自分の身体の事だからよくわかるけれど、以前の時と同様、おそらく異世界と思われる間で転移をした影響によって、魔力も、体力も、ほとんど底をついている。
けれど、全く空っぽというわけではない。
彼女達がどこの誰かは知らないけれど、僕なんかより、よっぽど生きているべき人だろう。
「彼女を殺させたりはしない!」
僕は残った体力を使い切る勢いで前進に力を込めた。
「は? 俺達は別に殺すつもりは」
僕は銀の髪の少女の前に身体を滑りこませると、彼らの手に持っているナイフに自分の掌を突き刺した。
「はあぁ? 何やってんだお前!」
鮮血が舞い、予想通り、男達の気を逸らすことが出来た。
手に刺さったナイフを逆の手に転移させると、すぐに投げ捨てて、いまだ混乱しているらしい男達を思い切り殴り飛ばした。多少八つ当たり的なところはあったかもしれないけれど、おそらく死んではいないだろう。
続けざまに6人の呆気にとられていた男達を殴り飛ばしたところで、僕はそのまま地面に倒れ込んでしまった。
体力と魔力の限界だった。指の先すら動かせそうにない。
そういえば晩御飯を食べずに出てきてしまっていたんだったと、薄れゆく意識の中で、僕はそんなことを考えていた。