絵美 困惑のデイキャンプ
デイキャンプ、どういうことになるのやら。
これは迷ったかもしれない。
もしかして、トイレを出た時に反対側から出たんじゃないだろうか?
絵美はキャンプ場で早くも迷子になっていた。
この上原キャンプ場のトイレは南北に出入り口があった。
もしかして東西かもしれないが…。
これだけ歩いてもバーベキュー広場に着かないのは、いくらなんでもおかしいよね。
トイレに行くのが恥ずかしくて、一人でコソコソ来たのがかえって裏目に出たみたいだ。
辰野さんがついて行くと言ってくれた時に、何で断ったかな私。
これは元来た方へ戻ったほうがいいよね。
幸いここまでは一本道だった。
この道を戻ればトイレまではたどり着けるはず。
そしてトイレの周りを廻ってみれば、看板か何かが見つかるかもしれない。
歩いて行く先にやっとトイレの建物が見えて来た時にはホッとした。
しかしよく見ると、辰野さんがトイレの周りを行き来しながら左右の道をキョロキョロと確認している。
おおぉ、申し訳ない。
かえって心配かけちゃってるし。
絵美が歩いてくるのが見えたのか、辰野さんがホッとした顔をした。
そしてこっちに走ってくる。
「よかった。山で迷子になったら危ないですからね。」
「ごめんなさい。心配かけて…。」
「気にしないでください。こちらこそすみません。綾香さんに言われてたのに…。何と言われようとついて行くべきでした。これからはお互い遠慮し合わないようにしましょう。」
はいごもっともです。
これじゃあどっちが年上だかわかりゃしない。
辰野さんに連れられてバーベキュー広場に戻ってみると、自分が全くの反対方向へ歩いて行っていたのがわかった。
恥ずかしすぎる。
広場に帰ってから名誉挽回とばかりに、トマトとりんごを切るお手伝いをする。
他の痛まない野菜は、辰野さんが家で下ごしらえをしてきたようだ。
すでに綺麗に切られてタッパーに入っていた。
野菜スープの方はもうスタンバイオッケーで炭火の熱が入らないように、焼き網の端に載せてあった。
「今日は何を作るんですか? スープがあるということは、カレーとかバーベキューじゃないんですよね。」
「ええ。ありきたりのものより変わったメニューがいいかと思って。なにせ真一がハードルを上げてくれましたからね。絵美さんは、何か苦手な食材ってありますか?」
「ええっと、酢魚が食べられません。それ以外は大丈夫です。」
「それならよかった。今日のメニューはスープとトマトサラダ、それにメインのポークチョップのアップルソースがけと炭火焼ソーセージです。」
「へぇー何だか凄そう。もしかして、そこのアルミ箔に包んであるのがソーセージですか?」
「ええ、これは火が熾火になってからじっくり焼く方がいいので、後のつまみですね。」
そう言いながら、辰野さんは手馴れた様子で飯盒を火にかける。
ご飯が炊けるまで時間がかかるので、二人で食べ物の好き嫌いの話をした。
辰野さんは椎茸の焼ける時の匂いが苦手なんだそうだ。
それでも食べられないのではなく、焼くときの匂いさえ嗅がなければ大丈夫らしい。
そう言えば、椎茸って熱を入れると独特のもあっとした匂いがするかも。
「あまり食べられないものってないですね。」と言うのだからたいしたものだ。
保育園で好き嫌いの多い子を見てきているので、絵美としては驚く。
その逆に好きなものを聞くと一番に「肉なら何でも好きです。」というわかりやすい答えだった。
そういえばこの間もビッグバーガーを食べてたものね。
体調の悪い時によく食べられるなぁと思ったけれど、そういうことなら納得だ。
今度は辰野さんに絵美の好きな食べ物を聞かれた。
なんだろう。
最近は意識して好きな食べ物のことなんて考えたことがない。
「野菜はどれも好きですけど、昔から変わらずに好きなのは甘栗ですね。特にコンビニの甘栗は外れが無くて、ここのところのおやつナンバーワンです。」
絵美がなんとかそんな答えを捻り出すと、辰野さんに先日のコンビニのことを聞かれた。
「あのおばあさんを助けた時の事、覚えてます? あのあと絵美さんはコンビニに入って行ったでしょう。あの時も甘栗を買ったんですか?」
「そうだったかしら? んーたぶん買ったかもしれませんね。あの時は駐車場を借りたのでなんか買わないと悪いかなぁと思ってお店に入ったからよく覚えてないけど・・。」
「やっぱりね。」
辰野さんは一人で納得している。
「なにがやっぱりなんですか?」
「僕もよく駐車場を借りた時は、そこの店で買い物をするんですよ。絵美さんも一緒だなぁと思って。」
「へぇ、そういう考え方が似ていると安心しますね。」
「そうでしょ。結婚生活って、こういう根本のところが似てないとやっていけないと思うんですよ。だから僕は絵美さんしかいないんじゃないのかって気づいて焦ったわけです。それで突然の告白に繋がったという訳で…。」
わわ、何を突然言い出すんですか!
どんな顔をしてここに座っていたらいいのかわかりません。
絵美があわあわしているのに、辰野さんは平然としたものだ。
「おっ、米が吹け出したな。」と言って、おもむろにスープの鍋を火にかけ、肉の入ったタッパーを保冷箱から出してきた。
ステーキ状に切ってある豚肉を何かのたれにつけてあるようだ。
「絵美さん、これをパン粉状にちぎってください。」
そう言って渡されたのは、耳を切ってジッパーのついた袋に入れてある食パンが二枚。
へぇ、生パン粉をまぶすんだ。
本格的ー。
辰野さんは、絵美の切ったリンゴを小鍋に入れて砂糖とレモン汁を振りかけている。
アップルソースってもしかしてジャムを作る時のようにして作るのかしら。
リンゴがしんなりしてきたら、バターと白ワインを入れている。
蓋をして弱火で煮詰めるようだ。
次に絵美のちぎった生パン粉をしっかりと味のついている豚肉にまぶして、多めの油を熱していたフライパンで揚げ焼きにするようだ。
油が跳ねないように軽く肉のつけ汁を切るところなど、馴れている。
絵美も料理が好きなのでよくわかる。
多分家でも毎日自炊しているんだろうな。
若いのに偉いな。
途中、辰野さんが飯盒を火から降ろして、地面に逆さまにひっくり返した。
「何で逆さまにするんですか。」と聞いたら、「こうやって蒸らすと美味しいんです。」と言われた。
「最近は逆さまにしない人も多いですけどね。うちの父親から習ったもんで、ついやっちゃうんですよ。なんかおいしくなる気がしてね。飯盒の尻を薪で二回叩くのもやっちゃうな。」
「もしかして、あの変わった紐の結び方もお父さんに教わったんですか?」
「そうです。あの結び方に憧れていろいろ試しているうちに、アウトドアの趣味にハマっちゃって。」
辰野さんはこうしてしゃべりながらも、アップルソースの小鍋を火から降ろし、豚肉をひっくり返している。
主婦ですね、辰野さん。
りっぱにお嫁さんになれそうです。
そんな女子力の高い辰野さんを見ていたら、絵美の女子大の時の友達のことを思い出した。
その子は独り暮らしの彼の家の炊事洗濯をほとんどやってあげていたそうだ。
ある時、彼のお母さんがその家に来るというので「少しは片付けたら?」と彼に言ったら、「うちのお母さんが『彼女にやってもらいなさい』って言ってたよ。」と寝ころんだままで答えたらしい。
その子はあきれ果てて、さすがの私でも、もうつき合いきれないと思って別れたと言っていた。
「私はなんなの?こいつの母親でも女中でもないわよ!」と友達が息巻いていたのを思い出す。
辰野さんの彼女だったら、そういう不満は言わないだろうなぁと思ったが、よく考えると自分がその彼女らしいことに気づいた。
どうもこういう彼女なんていう立ち位置に馴染まないので、ついつい失念してしまう。
その後、白っぽくなった炭を崩したほとりにアルミ箔に包んだソーセージを入れる。
これが後でアルミ箔を開けてみてわかったのだが、生のセージの葉を刻んでひき肉に入れた手作りのソーセージだった。
粒マスタードとケチャップを混ぜたものにつけて食べたのだが、抜群においしかった。
豚肉のほうも、下味のしっかりついた濃い味に甘酸っぱいリンゴのソースがアクセントになってプロの味だ。
飯盒で炊いたご飯もふっくらとしていていつものご飯と一味違う。
底のおこげの所を〆のお茶漬けにしてお漬物と一緒に頂いたのがまた良かった。
お腹が満足して、食後のお茶を飲みながら山の風に吹かれるのもいい気分だ。
これは辰野さん達がキャンプにハマるのもよくわかる。
日常のようで非日常の雰囲気を味わえて、空気の美味しい所で満足するご飯を食べてくつろげる。
絵美もキャンプのファンになりそうだ。
「今日は雲も多くて、風も吹いているから過ごしやすくて良かったですね。」
「そうですね。絵美さんとこうして二人で並んで座っているとどんな天気でも僕は満足ですけどね。」
「…もう辰野さん。私は恋愛初心者なんですから、そんなことを言われるとどうしたらいいのか困ってしまいます。」
「僕だって恋愛初心者ですよ。好きになったのは絵美さんが初めてだし、これからどのように交際していったらいいのかドキドキの手探り状態です。でもそれでいいんじゃないかな。二人の事は、これから二人で相談しながら進めていけばいい。ただ、お互いに正直でありたいなとは思いますね。どっちかが我慢し続けても続かないだろうし。そうやって、何でも言ってくださいね。僕も体調が悪い時はそう言いますし、絵美さんもトイレのこととか遠慮しないように。」
「……はい。これからは気を付けます。」
「うん。……ところで絵美さん、あそこの雲が見える?」
「あらっ、まさか雨雲じゃあないでしょうね。」
「正解。たぶん降るよ。もう少しゆっくり来るかと思っていたけど風が出て来たでしょう。ひどくならないうちに片付けた方がよさそうだ。」
辰野さんは、ケープテントの撤収をするのも素早かった。
テントのたたみ方も決まっているようで、私も指示をされながら端を持って一緒に畳んでいった。
荷物の積み込みがあと少しというところで、ポツポツきていた雨脚が突然の土砂降りに変わった。
「うわっ、これはひどいな。絵美さん、車に乗っていてください。もう一つだけなので、僕が行ってきます。」
絵美はお言葉に甘えて先に車に乗った。
持ってきていたカバンからタオルを四枚取り出すと運転席に二枚置いて、一枚は助手席に敷き、残った一枚で自分の顔や服を拭いた。
辰野さんは後ろの荷物室に最後のボックスを積み込んだ後で、何故かスポーツバックを持って後部座席のドアから中に入ってきた。
髪からは水が滴っている。
絵美がタオルを渡すと「サンキュ。」と言って腰を屈めた姿勢のまま顔や頭を拭きだした。
「さすが保母さん。用意がいいですね。」
「綾香と中川さんのタオルもあるので四枚持ってきてました。こんなことになるんだったらバスタオルを持ってきといたほうが良かったですね。」
「いや、タオルがすぐ出てくるとは思ってもみませんでしたよ。助かりました。…そこで用意がいいのは僕もなんですけど…着替えを持ってきていたのでここで着替えようと思います。こういうこともあろうかと車をバンにしといて良かったな。本当は、海に泳ぎに言った時の着替えのことを想定して大きな車にしたんですけどね。今回は山に来たはずなんだけど、海で泳いできたみたいにパンツまでびしょびしょだ。」
「えっ、ここで着替えるんですか?」
「ええ。絵美さんもスエットの上下でよければ、着替えがありますよ。」
「いえっ! 私はそこまで濡れませんでしたから、大丈夫です。目をつぶってますから、着替え終わったら教えてください。」
「見ててもいいですよ。」
「何をおっしゃるんですか!」
「すいません。ついからかっちゃうな。」
辰野さんが着替えている音がしたかと思うと、ビニール袋に濡れた服を入れているガサガサという音もした。
ドキドキする。
付き合い始めの第一日目で彼氏の着替える音を聞くなんて、私ぐらいのものだろう。
困るというか困惑する。
そう言えば、辰野さんも私がトイレから戻ってこなくて困っただろうな。
…そう考えると可笑しくなってきた。
「もういいですよ。何を楽しそうに笑っているんですか?」
「ふふっ、今日が私たちが付き合い始めた最初の日なのに、なんだかいろいろあったなぁって思って。」
「そうですね。そのいろいろをこれからもずっと一緒に続けていきたいですね。」
こうして、辰野文也さんと私、高木絵美の交際が始まったのだった。
この時はまさか一年以内に自分たちが結婚することになるとは思ってもいなかった。
一旦終了して、また違う人の視点で書いていきます。