絵美 文也さんの話
文也さんの事情は・・。
もう、電話をしてもいいかしら?
辰野さんが車で帰宅途中だとすると迷惑だしなぁ。
でもどこに住んでる人かも知らないんだから、考えるだけ無駄かしら。
それにこっちから電話をしたら、脈があると思われて即交際の運びになっても困るし。
変な人には見えなかったけれど、世の中どんな人がいるかわからないものね。
それに、何のために「捨てメール」を作ったのかわからなくなるよね。
などと散々悩んだ末に、やっぱりいきなり電話はやめとこうという結論に至った。
でも今度はどんな切り出し方でメールを打てばいいのかで悩む。
えーと、まずは挨拶よね。
「こんばんは。今日はありがとう…」
いや違う。
ありがとうって変でしょ。
お疲れ様というのも微妙に違うよね。
消去消去。
「こんばんは。今日お会いした高木絵美です。皆さんとお話しできて楽しかったです。辰野さんとはどこかでお会いしたことがあったでしょうか?」
いやに直接的な問いに感じる。
でも1時間近く悩んで、これ以上の文をひねり出すことができなかった。
知らない人にメールするのって疲れる…。
もういいやと絵美は送信ボタンを押した。
すると3分もしないうちに着信音が鳴る。
「こんばんは。辰野文也です。メールありがとうございます。嬉しかったです。こちらも高木さん達と話をした時が一番楽しかったです。先輩方もそう言っていました。私も高木さんに見覚えがあって、どこで会った人だろうとずっと考えていました。先輩たちと別れてから路面電車に乗って駅まで行こうとしてたら、高木さん達が舗道を歩いているのが見えたんです。なんかその光景にデジャブを感じて、次の駅で降りて暫く考えていました。それでやっと思い出しました。高木さん、ゴールデンウィークの頃、自転車で転んだおばあさんを助けませんでしたか?」
早っ、待ってたのかしらメール。
それにこれだけの文章をこの短時間で打てるとは…さすが若いね。
読んでいて思った。
おばあさん?
そんなことあったっけ?
……ああ、あれかな。
助けるっていうほどじゃなかったけど、そういうことあったね。
でも、何で知ってるんだろう…。
この人って…もしかして後からやって来た、変わった紐の結び方を知っている人かしら?
おばあさんに『自転車の前の籠に荷物を入れ過ぎるとバランスが悪いですよ。』って言って自転車の後ろの荷台に荷物を括り付けてあげてた人だよね。
そうか…自動車関係の会社。
あの時コンビニの駐車場に止めてあったのはB社さんの車だったね。
家に帰ってお母さんに『B社の人が親切だったから今度車を買う時にはB社製にしようかな。』と言ったことを思い出す。
あの時の人だったんだー。
「助けるというほどの事はしていませんが。辰野さんは、B社さんだったんですね。」
「B社。ああそう言えばあの時は社用車でしたね。」
「謎が解けました。どこかで見かけた方だとは思っていたんですけど。」
「僕も、あっツートンさんだったんだって思って。慌てて後を追いかけたんです。感動を何度も与えてくれる人を逃しちゃだめだと思いました。今日もお話してて感動しました。後で連絡先を聞かなかったことを悔やんでました。ただ、高木さんにとっては突然すぎて戸惑われたことと思います。そこはすいませんでした。でも本気で交際をして欲しいと思っています。私との交際を考えて頂けませんか?」
そうか、そういうことだったのね。
でも、ツートンさんって何?
…ああ、私の車の色分けね。
今日のお話と言われても、何も覚えていない。
感動するような話はしていないよね、私。
それにこの人、学生時代の延長のようなお付き合いを考えているんじゃないかしら。
なにせ23歳だもの。
ここは大人、先達としてお断りするべきよね。
若い子の未来を縛ってしまうのも嫌だし、こちらも売れ残りかけてる29歳、お遊びの恋愛をする時間も残されていない。
もうちょっと早く出会いたかったな。
いい人そうだし、見た目も爽やかで感じが良かった。
残念だけどしかたがないか。
「ありがとうございます。私の話の何が気に入られたのかわかりませんが、そう言って頂けて嬉しいです。ただ正直、私は29歳なので結婚を視野に入れたお付き合いのできる方をと思っています。辰野さんならもっと若くて良い方が見つかることと思います。残念ですが、お付き合いはお断りさせていただきます。」
送信を押して、お風呂にでも入るかと思っていたら、またメールの着信音が鳴る。
まさかと思って出てみたら、やはり辰野さんからだった。
「そう言われることは判っていました。想定の範囲内です。結婚は、私も考えています。それは今すぐと言う意味ではなく、お互いの気持ちが固まったらの話ですが。それに年齢の事は私も考えました。それは、自分が高木さんに相応しいだろうかという観点からです。もっと年上の人だったら経験やお金も僕よりはあるでしょう。でもそれは、これから私が努力していけばいい話です。でも男女の付き合いや結婚というのは、もっとフィーリングというか、この人だという勘みたいなものがあるように思います。私は今日それを高木さんに感じました。もし私の事が体質的にダメだとかいうような嫌悪感が無いのでしたら、何度か会ってつき合える奴がどうか判断してもらえませんか?」
うわー、押してくるねぇ。
勘って言われても…あるわけないじゃん。
なんせ自慢じゃないけど彼氏いない歴29年だよ。
何のレーダーも働いていない。
いや私にそれが判るようなレーダーは備わっていないともいえる。
今日も、辰野さんが言う私の話の何がウケたのかもわからない。
うー…どうしよう。
何度か会う。
会うか…。
そうだね。押してくると言っても、1番目のグループで会った弁護士さんみたいに他人の思惑を考えないでプッシュしてくる人とは違うよね。
ちゃんと私の事も考えてくれてる感じがする。
誰かと一緒だったら会えるかも。
ここは辰野さんには悪いけど経験を積ませてもらおう。
男女交際の入り口も解らないもんね。
決めた。
「わかりました。そこまで言って頂けるのだったら、一度お会いしようと思います。ただ私はこういうことに慣れていません。最初は友達と一緒に会うというのでもいいですか?」
「ありがとうございます。嬉しいです。高木さんのペースで結構です。早速ですが、私は今月、来週の土曜日以外は全部開いています。休みは土日祝です。水曜日はノー残業デイなので、5時半の勤務終了後ならオッケーです。いつでも、ご都合のいい日をメールしてください。こちらも友達と一緒に伺います。」
「一緒に行ってくれる友達が決まったら連絡します。多分明後日ぐらいまでにはお返事できると思います。」
決めちゃったよ。
いいの?私。
なんかドキドキする。
辰野文也さんか…どんな人なんだろう。
とうとう一歩踏み出しましたね。