第三章 リブート③
さて、一体どうしてこうなってしまったのか。
「麗司さん、流石にこれはやりすぎじゃね?」
そう言って、棗までが僕に同情的な視線を送っている。
何故か今、僕はロリータファッションに身を包んでいた。りぼんやらフリルやらレースやらの飾りが過剰なほどに付加された、スウィートな女の子の格好だ。僕は赤くなって俯いていた。
棗が連れてきてくれたのは、「菊之宮デイジー」という名前のライブハウスだった。僕たちは今、そのライブハウスのフロアにいる。
この菊之宮地区で一番栄えている駅周辺には、ビジネス街と繁華街がごっちゃになったような区画が形成されている。そのメインストリートから僕の知らない小さな路地に入ったところに寂れたビルがあって、その地下に入っているのがこの菊之宮デイジーだった。
だいぶ昔に建てられたのだろうと思われる、薄汚れて塗装もはげ気味、階段の手すりにはサビの浮いた四階建てのビルだった。地下へ向かう階段の壁面には、様々なバンドのポスターやらステッカーやらが所狭しと貼られていた。
棗はここで働いている人たちと顔見知りのようで、その人たちも最初はセーラー服を着ている僕をかわいそがってくれた。事務所にあるスタッフ用のTシャツや余りの作業着を貸してくれることになったのだが、いつの間にか脱線して着せ替え人形状態になり、今の状態に祭り上げられてしまったのだ。
僕自身にも経過がよく理解できない。
気が付くと僕は、ごてごてとしたレースの飾りついた白いブラウスの上に、ボリュームのあるフリルやリボンが目立つ、膝上の長さの紺色のジャンパースカートを着せられていた。髪にもヘッドドレスという飾りを付けられ、顎下でリボンを結んで固定されている。靴とハイソックスまでもが、女の子らしい可愛いものに変えられていた。
――な、なんだか前よりもひどくなっている……。
頭がくらくらする僕に向かって、棗に『麗司さん』と呼ばれた男性が爽やかな笑顔を向けた。麗司さんは僕にこの衣装を押しつけた一人だ。
「いやいや、可愛いじゃないか、優月くん。すごく似合ってるよ」
麗司さんは黒々と輝く長い髪を垂らした、異様に美しい男性だった。切れ長の瞳が妖しげな色気を放っている。棒人形かと思うほど痩せているくせに、僕や棗より頭二つ分くらい背が高かった。
麗司さんはロリータ服姿の僕を満足気な表情で頷きながら観察すると、首を巡らせ、壁際の椅子に腰かけた白髪の女性に微笑みかけた。
「ねえ、そう思うでしょ、多佳子さん?」
多佳子さんはゆったりとした上品な黒のドレスを着た、老齢の女性だ。そして、この人も僕にロリータ服を押しつけたもう一人だった。多佳子さんはゆっくりとした動作で頷いた。
「そうねえ。こんなに可愛い子だったら男の子でもいいね。私なんか、子供は全部男、孫といえば麗司だけだし。せっかく可愛い女の子を引き取ったと思ったらすぐ男の子みたいになっちまったからねえ」
多佳子さんはニヤリと笑いながら棗に視線を向けた。嫌味な表情ではなく、悪戯っ子のような愛嬌のある笑顔だった。棗もそれを分かっているらしく、頬を膨らませてそっぽを向いて口を尖らせている。見たことのない棗の反応に僕は驚く。それに、引き取ったって言うのは――?
棗が僕の視線に気付いたようだ。くりっとした目が少し揺れ、ふう、と溜息のような息を吐いた。
「知っていると思うけど、俺、両親が中学に上がる前に亡くなっていて……」
「え、そうなんだ?」
僕は驚いて、思わず声が裏返る。初耳だった。そういえば、教室で棗のことを遠巻きに見ているクラスメイト達が彼女の家族について噂し合っているような雰囲気はあったが、僕はその内容までは把握していなかった。
「え……知らなかった? クラスの奴ら、俺の親についてあることないこと噂してたっぽいけど……」
棗も始めは驚いたような顔をして、でも、それは徐々に意地悪な笑みに変わった。
「そっか! お前友達いねえもんな。噂話とかする相手がいないわけか」
彼女は「カカカ!」と声をたてて笑う。僕は赤くなって下を向いた。だが、爆笑を続ける棗の頭を麗司さんが軽く小突いた。
「棗、お前はひどい奴だね。もう少し言葉の使い方を勉強しなさい。それに、友達がいないのは、お前も人のこと言えないだろ。優月くん、君は全然悪くなからね」
そう言って麗司さんが僕の頭を撫でたので、クラスメイトには『おかっぱ』と馬鹿にされる中途半端な長さの僕の髪が揺れた。でも、その撫で方が異様に優しいかったので、僕は内心ぎょっとする。隣の棗が不機嫌な顔で僕の腕を引っ張り、僕と麗司さんとの間に距離を取らせた。
「優月、注意しろよ。こいつ、女だけじゃなくて男もイケルから。特にお前みたいな可愛い顔の男は危ないぜ」
耳元で囁く棗の声に、僕は目を白黒させる。一方の麗司さんは余裕の笑顔を崩さなかった。
「失礼だな。俺はそんなに無節操な男ではないよ。誠実だしね」
反論しながらも麗司さんはその笑顔を絶やさない。それが面白くないのか、棗は麗司さんを睨み返した。
「誠実だあ?」
「俺はみんなに優しいだろう?」
「麗司さんの場合は気が多い、節操がないって言うんだよ」
「そうかなあ?」
棗は失笑を返すものの、麗司さんは否定も肯定もせずににこにこ笑うだけ。暖簾に腕押しな麗司さんの反応に棗はそれ以上言い返す言葉が見つからないようだ。「面白くねえ」と口を尖らせている棗の頭を麗司さんがポンポン叩くと、「子ども扱いすんな!」と腕でガードする。
学校とは違う棗のどこかのびのびとした表情と態度に、僕は戸惑いと新鮮さを感じた。それと同時に、なんだか僕一人が置いてきぼりにされているよう気がして、なんとなく寂しいような気持ちにもなった。
「ふん。もういいよ、麗司さんは! あっち行け! あ、そうだ。話の途中だった。ゴメンな、優月」
「え、う、ううん!」
急に話を振られて心臓がドキンとしつつ、僕は大きく首を横に振った。
「で、そんな感じだから、俺を引き取ってくれたのがこっちの多佳子さん。俺の遠縁にあたるんだけど……私のおばあちゃんの従妹――なんだっけ?」
棗が多佳子さんの方を向いた。多佳子さんを見つめる棗は、いつもより目つきが和らいでいるように見えた。
「そう。あの従姉は私にとってはお姉さんみたいな人でねえ。それで、まあ――色々あって私が棗を引き取ったわけよ。優月くん、棗がいつも世話になってるね」
多佳子さんが皺を深くしてにこりと笑った。どこか獣のような強靭さを感じる微笑みで、なるほど棗と血が繋がっているのだなあと思いながら、僕は頭を下げた。
多佳子さんはその微笑みをニヤけたような笑みに変える。
「まさか棗が男の子をうちに連れてくるなんてねえ。ドキドキしちゃうじゃないの」
「だから! そういうのとは違うって言ってんだろ!」
血管が浮きだすほどの勢いで棗が反論する。ちなみにこのビルの二階は棗と多佳子さんの生活スペースとして使っているということだった。ビル自体が多佳子さんの持ち物なのだそうだ。
「え、じゃあ優月くんは俺がもらっちゃってもいいのかな」
「わ! うわあああ!」
僕は突然麗司さんに後ろから抱きつかれて慌てふためく。
「げ。麗司さん何やってんだよ! 離れろ変態が!」
麗司さんの頬ずりから必死に逃れる僕を助けるため、棗が麗司さんと格闘し始めた。
「もー! いい加減にしろよ、麗司さん!」
「えー? もう少し若い子の感触を愉しみたいなあ」
「なに言ってんだよ、変態! そろそろリハ入んなきゃダメだろ!」
「えー?」
「『えー?』じゃない!」
「はいはい。わかりました。棗は真面目だねえ」
麗司さんはやっと僕から離れ、両手を上げて降参のポーズを示した。棗は麗司さんの片腕を掴んで僕から遠ざけようと引っ張る。
「優月、マジごめんな。この変態が調子乗って……」
「い、いや……僕は大丈夫……だと思う」
心配そうな表情の棗に、僕は息を整えながら返事した。棗はほっとしたような表情に変わる。
「ならよかった」
「ほら。優月くんは嫌がってないだろ」
にこにことのんきに微笑む麗司さんの頭を、棗はパチンと音が出る勢いで叩いた。
「変なこと言ってないで、さっさとリハするからな! あ、それで、多佳子さん、優月のことは適当にこき使ってくれない?」
ニヤリと笑う棗を見て、僕の口から小さく「え」という声が漏れた。多佳子さんが棗そっくりの笑顔を浮かべる。
「へえ。いいのかい? 私は人使いが荒いよ」
「いいよ、いいよ。どんどん使ってやって」
――え? え? どういうこと……?
僕は捨てられた犬みたいに不安な気持ちで、棗を見つめた。棗は一瞬たじろいだように見えたけれど、目を鋭いものに変えて言った。
「お前はね、優月。少し学校の外で修業みたいなことした方がいいよ。今のままなのは良くねえと思う」
棗はまたニヤリと笑う。
「ってことで、優月はしっかり多佳子さんを手伝うこと。多佳子さんはこのライブハウスのオーナーなんだ。厳しいけど優しいから何とかなるよ。それに、掃除が終わったらライブ見放題だから。じゃ、がんばれよ!」
僕の背中をばしっと叩くと、棗は麗司さんを引っ張ってライブハウスの外へと消えていった。僕は展開が理解できなくて言葉も出ない。多佳子さんをちらりと見ると苦笑していた。
「そういうことらしいから、よろしくねえ、優月くん」
「……あ、え、……えーと……」
「よろしくね!」
「……よ、よろしくお願いします」
僕は反射的に深々と礼をした。何がなんだかわからず、僕の心は不安でいっぱいだったが、棗に似た笑顔を浮かべる多佳子さんを見ているうちに、まあいいかと思ってしまった。




