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第三章 リブート①

「うわああああ!」

 僕は叫びながら飛び起きた。

「うお!」

 同時に上がる叫び声。同級生の棗が尻もちをついていた。どうやら棗は地面に倒れていた僕を覗き込んでいたのに、僕が突然起き上がったものだから、驚いて慌てて飛びのいたらしい。短く刈られた金髪がトレードマークの棗は、いつもと同じく華奢な体にジャージを着て、ごついヘッドフォンを首にかけていた。

「よかった、気がついたか」

 目を丸くした棗は、やがてほっとしたような表情を見せた。棗が普段は見せないような表情だ。だが、僕にとってはそれどころではない。

「え? あれ?」

――僕生きてる?

 僕がいるのは、クラスの女子たちに呼び出された校舎裏だった。枯れ草だらけの地べたにペタンとお尻をついて座っている。そして、相変わらずセーラー服を着ていたが、それは血の一滴も付いていない、きれいな布地のままだった。

 頭が混乱した。事態についていけない。僕はここで何をしたのだったか。何をしなかったのだったか。記憶が混濁して、曖昧なイメージが頭の中でぐるぐる回っている。

「――あれ? 僕生き返ったってこと?」

 僕はぺたぺたと頬や体や頭を触った。

 手を開いたり閉じたり、顔や体をなでたりしている僕の姿を見て、棗は胡散臭そうに眉間に皺を寄せた。

「は? お前、何言ってんの?」

 そう言った棗の声は、いつものごとく、ボーイソプラノみたいに高い声を少し掠れさせたような声だった。

「あれ……? えーと……」

 僕は記憶の混乱と棗の視線に慄いて動作を止めた。でも、ひどく不安な気持ちなのは変わらなかった。

 僕の中で記憶が二重写しになっていた。一つは、自分で自分の喉を刺し、死後の世界らしき場所で奇妙な存在に出会った記憶。

 もう一つは、喉なんか刺していない記憶。彼女たちにこの校舎裏に呼び出されていじめを受けた後、自殺しようとナイフを握ったが、それ以上の行動が出来ず、おとなしく刃を元に戻した。そして、自分自身の弱さと不甲斐なさと決断力のなさに失望して、そのまま地面に寝転がって目を閉じた。死んだふりをしてみたのだ。現実逃避したい気持ちがあったのかもしれない。

 その二つの記憶は、まるで薄い紙の両面に描かれた絵のようだった。片方の絵は透けて見えているだけのはずなのに、どちらが表の正しい絵なのかが分からない。

「おい、優月、大丈夫かよ、頭でも打ったのか? 俺が来た時、お前、ここに倒れてたし……てか、顔色悪いぜ?」

 棗が僕の顔を覗きこんできたので、どきりとした。

 短く切り揃えられた金髪が囲む棗の顔はとても小さくて、くりっとした瞳が印象亭な、綺麗な顔立ちだった。だけど、その耳にはとげとげしいピアスが大小数えきれないほどびっしりと密集していて、近付き難い雰囲気を作っている。片方の眉の下にまで小さなピアスを付けていて、かっこいいというよりはむしろ痛々しい印象だった。

 そんなのをじっくり観察できるほど棗に近づいたことがなかったので、僕は慌てて後ずさり、棗と距離を取った。僕はただでさえ人としゃべるのが苦手なのだ。しかも、男みたいな格好をしているとはいえ、棗は女の子。

 そう、彼女は「矢車棗」という名前の歴とした女子生徒なのだ。

「……大丈夫、と思う……けど……」

 僕の弱々しい声を聞いて、棗は、今度は心もち心配そうな表情で眉間に皺を寄せた。

「マジで大丈夫かよ。喉、痛いのか?」

 その言葉に、自分が無意識のうちに喉をさすっていたことにようやく気が付いた。

「……そ、そういえば、僕は喉を……刺した……はず……?」

 それなのに、喉には全くその形跡はなかった。指先に感じるのはつるりとした感触だけで、傷跡すらないようだった。

「マジかよ。 見せてみろよ」

 棗は喉をさする僕の腕を掴み強引に引き離すと、喉元を覗きこんだ。

――ちょ、ちょっとやめてよ!

 僕は動転して言葉も出ない。棗の腕の力は思いのほか強く、抵抗できなかった。手の平の柔らかくて暖かかい感触と、指先のざらざらした感覚が僕をどぎまぎさせた。思わず唾を飲み込み、それを嚥下している喉をみられるのがひどく恥かしかった。

「俺が見る限り、傷なんてねぇんだけど」

 そう言うと、棗は僕の手を放す。

「で、でも! 僕、喉を――ナイフで! そうだ、その時、僕の首から血が噴き出すの見なかった……?」

「は? なにそれ?」

 棗は再び胡散臭そうに眉間に皺を寄せる。迫力のある棗の容貌でそういった表情をされると僕は気圧されてしまう。

 あの時、喉から血を流す僕に、棗は声をかけてくれたのではなかったのか。あの恐ろしい記憶は幻ということ……?

 僕は自分の頭に自信が持てなくなり、気持ちが一気に萎んで下を向いた。

 しばらくの間、沈黙が校舎裏を支配する。

 やがて棗は唇を噛むと、僕の顔を両腕で掴み、自分の方に向けさせた。

「なんかあったんだろ? 話せよ」

 ぎょっとして棗を見つめるしかできない僕に、彼女は言葉を続けた。

「話してみろよ。やなことでも全部。話したくないことは話さなくてもいいし。知っての通り俺は学校に友達もいねえし、教師も信用してねえし、誰にも話さねえからさ」

 棗は真剣な表情だった。そして、優しい声だった。僕は心の中に温かいものが湧き出すような感覚を覚えて、同時に、目からは涙がはらはらと零れた。

「ちょ、なんだよ! おい!」

 棗はびっくりした様子で僕の顔から手を離した。眉尻を下げて困ったような表情になる。

「――ご、ごめん……うぐ、ひっく」

 僕はしゃくり上げて泣いていた。恥ずかしかった。耳まで赤くなった。慌ててセーラー服の袖で涙を拭うが、後から後から涙は零れ、嗚咽は止まらなかった。

「ほんと、お前は男のくせにしょうがない奴だな! さっさと泣きやめよ」

 棗は僕の頭をポンポンと叩いた。それは暴力的なものではなく、暖かい感触だった。家族以外の人間からは感じたことのない温もりに、僕の目から余計に涙がこぼれた。

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