第二章 リムーヴ①
ゴオオオオ――という音を感じる。勢いよく水の流れる音を感じる。
夜よりも暗い世界の中、大河を思わせる水の流れを掻き分けながら、僕は対岸に向かって進んでいた。
ひどく寒くて冷たい気はするのに、それを感覚として知覚できなかった。そもそも体の感覚や反応や動作がひどく散漫――というか曖昧な気がする。外部の刺激を僕の五感は正常に受容していないようだ。
例えば音に関しては、音という物理現象を耳が捉えているわけではないように思われる。音が鳴っているような気がするだけだ。視覚も同様に、大河の風景が見えているような気がするだけ。イメージが心の中に直接生成され、まるで夢を見ているような感覚だった。
寒いはずなのに、鳥肌や体の震えといった身体の反射的な反応もない。自分の意思で動かしているはずの手足でさえ、本当に動いているのか不安になるほどその動作を実感することができなかった。
つまりは、世界の存在を疑うほど世界の在り様を知覚できず、僕という存在を疑うほど僕という在り方を自覚することが出来ない状態だった。
遥かに続く冷たい大河のイメージが僕を包みこむ。その対岸にどんな世界が待っているのかは知らない。暗闇の中で先を見通すこともできない。でも、そこに行かなければならないのを僕は知っている。食べなければ死ぬ、そういう自然の摂理のように、当たり前のこととして本能で理解できていた。
一方で、感情としての僕はそこに行きたくないと思っている。頭の中に父さんと母さんの顔が浮かぶ。僕の家の暖かいリビングの空気が恋しい。あの場所に帰りたい。家に帰りたい。
でも、対岸に向かって進むという本能に、僕は抗うことができなかった。
しかしながら、進んでも進んでも、僕はこの世界に馴染むことはできなかった。この空間は何かがおかしい、何かが今まで僕のいた世界とは決定的に違うと、僕の頭の芯の辺りが感覚の齟齬に悲鳴を上げていた。
まっすぐ歩いているだけのはずなのに、上下左右がひっくり返っているような錯覚を覚えることがある。前へ進んでいるはずなのに後ろへ後退しているような気がするし、逆に数歩歩いただけでその数十倍も進んだように感じる瞬間もあった。浮かんでいるような、逆さまになっているような、はたまた回転しているような。自分の位置がうまく認識できないのだ。
時間の感覚もひどく曖昧だ。今の次がさっきであるような、さっきの記憶が未来に起こることのような、時計の針がでたらめに進んでいるような体感があった。
これが死に際というものなのだろうか。対岸に着く時が僕の完全なる死という意味なのか。それとも、死というのは永遠にこの大河を彷徨うことなのだろうか。
情けない自分への絶望に加えて、死後の世界への絶望を僕は覚えた。そして、この世界に至って尚、セーラー服を身に着けている僕の姿に少しだけ笑ってしまった。それは僕がバカである証拠なのだろう。