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第四章 リピート②

 暗い気持ちで土曜日と日曜日を過ごし、ついに月曜日がやってきた。がんばらなくちゃいけないという気持ちの裏で、やはりどうしても、風邪一つひかなかった自分の体調を恨めしく思ってしまう。

 やはりセーラー服で登校した僕は、ホームルームの時間までは黙って席に座ってやり過ごした。彼女たちがチラチラとこっちの様子を窺う視線が肌に刺さってチクチクしたし、僕を指差しながらヒソヒソ話をされるのは、お腹の中をぐるぐると掻き回されているみたいに不快だったけど、我慢した。

 朝のホームルームでは、担任の先生から、棗が今日からしばらくインフルエンザで休むと報告された。彼女たちの顔をこっそり覗くと、ニヤニヤと嬉しそうに笑っている。僕は喉の奥がきゅっと鳴るのを感じた。

 授業の合間の十分間休憩に、彼女たちは接触してこなかった。チラチラ、ヒソヒソして嫌な感じのままだったが、僕は過剰な反応はするまいと心掛けた。あんな奴らはここにはいない、ヒソヒソされているなんて気のせいだと、自分自身に催眠をかけるみたいにして誤魔化し続けた。

 あんな奴らのことなんか、棗が傍にいたときにはちっとも気にならなかったのに。

 ここのところ、休憩時間はいつも棗と話して過ごしていたから、彼女たちからチラチラ見られたり、ヒソヒソ悪口言われたりしても、全然ダメージにならなかった。あまりひどいことを言われたら棗が文句を言ってくれたし、なにより、棗と話しているのが楽しくて多少のことは気にならなかったのだ。

 僕がいかに棗におんぶに抱っこだったのかがわかる。カッコ悪いなと思う。棗はそんな僕をどう思ったのだろうと考えると、心が萎れていくようだった。

 情けないままの自分では駄目だ。自分一人でもどうにかできるようにならないと、僕は本当のダメ人間になってしまう。

 もう既に、このセーラー服の格好をしているだけで十分駄目かもしれないけど……。それでも、やれることをやらないとダメだ!

 そう決心して、僕は紺色のプリーツスカートの上で拳を握りしめた。


 昼休みのチャイムが鳴ると、他のクラスメイトは机を寄せ、気の合う仲間と集まって弁当箱を広げ始めた。

 以前の僕は一人でお弁当を食べていた。そしてあの日から棗と一緒に食べるようになって、だから今日はまた一人に戻るはずだった。でも、そんな僕に声を掛けてきた人達がいた。

「優月くん、一緒にお弁当食べよ!」

 そう話しかけてきたのは、驚いたことに彼女たちだった。いつも僕を睨むか嘲り笑うかする顔をにこやかな笑顔で覆い、僕を脅すか蔑むかする声はわざとらしい猫撫で声でカモフラージュして、僕の席に近寄ってきたのだ。

「え……なんで……?」

 僕は怯えつつも、牽制すべく、不信感の籠った目で彼女たちを見上げた。

「ひどいなあ、優月くん。これからは仲良くしよ?」

「お弁当くらい一緒に食べようよお」

「いろいろお話しよ!」

 なんなんだ、これは。何か新手の罠なのか、それとも、本気で反省しているのか?

 僕は混乱で頭がうまく回らなくなる。

「え、いや、ちょっと……」

 頭の中にハテナマークが飛び交い、うまく反応を返すことができない僕を無視して、彼女たちはさっさと机を寄せ、それぞれの弁当箱を広げ始めた。

「わあ、その卵焼き美味しそう!」

「やだあ、ピーマンが入ってる。お母さんにやめてっていったのにい」

「あ、そのお弁当箱この前買ったやつ? 超可愛い」

 彼女たちは甲高い声で、和気あいあいと話しだす。

「優月くんも食べなよ」

「何してるの、お弁当箱開けなよ」

「昼休み終わっちゃうよ」

 僕は蛇に睨まれた蛙のような気持ちだった。彼女たちの意図が見えなくて、不安で逃げ出してしまいたい気持ちなのに、僕はそれを実行できるだけの根性を持っていない。結局、僕は震える手で弁当包みをほどいて、蓋を開けた。

 さっきまでの気概はどこにいった、やっぱり彼女たちが怖くて彼女たちの言葉に従うのかと、自分で自分が嫌になる。僕は下唇を噛んだ。そんな風に恐怖と自己嫌悪に震える僕とは対照的に、彼女たちは相変わらず楽しそうな笑顔を浮かべていた。

「わあ、美味しそう」

「優月くんのお母さんお料理上手なんだね」

「デザートもついて手が込んでるのね。素敵!」

 にこやかに話す彼女たちが怖い。

 僕は彼女たちに弁当を「貧乏くさい」とか「不味そう」とか馬鹿にされたことは今までに数えきれないほどあったし、それどころか中身を捨てられたことすらあった。ゴミ箱とか池とかに捨てられたこともあったし、一回は床にぶちまけられて、これを食えと言われたのだ。その時は、最終的に僕が泣いたら彼女たちは満足したようで、それ以上食べろとは言われずに済んだ。でも、言葉にならないくらい悲しかったし、今考えれば、これ以上の屈辱はない。

 彼女たちは自分たちがしたことを忘れたのだろうか。そんなバカな。

「どうしたの?」

「早く食べなよ」

「昼休み終わっちゃうよ?」

 彼女たちが笑顔で促す。でも、本当の笑顔なのだろうか。張り付いた仮面みたいな恐ろしい表情に見えた。

 僕は毒を食べさせられているような気持ちで、びくびくしながら弁当に箸をつけた。ウィンナーを頬張り、噛み、飲み込む。まともに味がわからなかった。次はふりかけの乗ったご飯を口に運ぶ。

 僕がそれを必死に噛み砕き、飲み下すのを見て満足したのだろうか、彼女たちは僕から視線を外して再び彼女たちだけで話し始めた。

「そういえばさあ、矢車さんしばらくお休みなんだってねー」

「インフルエンザなんだってねー」

「可哀想にねー」

 全く可哀想に思っていないのだろう、最高ににこやかな笑顔を彼女たちは浮かべていた。

「でもさー」

「あの子ってさー」

「変な子だよねー」

 ああ、始まった。

 僕は恐怖に押しつぶされそうな心の奥で、それでも、何かの熱源にカチッと火が付くのを感じた。

「俺とか言っちゃうし、いつもジャージだし」

「金髪とかピアスとか、なに目立とうとしてんの、みたいなさあ」

「自分は人とは違うから、とか気取ってそう。笑えるよねー」

 彼女たちは昨日のテレビはどうとか、この洋服が可愛いとか、そんな話をするみたいに楽しそうに会話していた。僕はそれを見たら、弁当に向けた箸を動かせなくなった。心の中に沸々と見慣れない感情が湧くのを感じる。

「調子乗ってるよねー」

「クラスで浮いてるのわかってないのかなー」

「あいつおかしいよねー」

 僕は自分の中にたまりつつある感情が、怒りであることに気付いた。そうか、僕は彼女たちの言葉に怒っているのだ。怒らなければ。怒らないといけないんだ。そう思って口を開きかけた瞬間。

「ねえ、優月くんもそう思わない?」

 彼女たちが示し合わせたように、僕の方を同時に向いて同時に言った。僕は怒りも忘れて、一瞬頭が真っ白になる。

「……え?」

 顔を引き攣らせた僕に、彼女たちは屈託なく笑いかける。

「だからあ。優月くんも矢車さんのことウザいって思っるんじゃないかと思って」

「アイツ最近、優月くんに付きまとってるじゃない? 迷惑だよね」

「優月くんもあんな奴に友達ヅラされたくないよね?」

 この人たちは何を言っているんだ?

「教室で浮いてるのに、かっこつけてんじゃねーって」

「なんか、親も相当悪かったらしいし」

「ほんと、マジうざい。なんで同じクラスなんだろ」

 そう言って、彼女たちは「ねー」と笑いあった。

 彼女たちは世間一般からいえば可愛い女の子に分類される容姿をしている。勉強もスポーツもそれなりに出来て、明るくて、流行に敏感で、休日には連れだって街に買い物に行くような女の子たちだ。多分、クラスの女子は、彼女たちみたいに振る舞えたらなと思っている人が多いのではないだろうか。陳腐な言葉でいえば、このクラスのムードメイカーとかファッションリーダーとか、そういう類の雰囲気を醸し出す人たちなんだと思う。

 そんなきらきらした女の子が楽しそうに会話をしている。棗のことを貶めて、可笑しそうに笑っている。

 僕にはそれが堪らなく気持ち悪かった。ぐるぐると、虫がお腹の中を這いまわるような感覚だった。

 それなのに、僕は彼女たちを糾弾するような言葉が咄嗟に出てこない。いつも棗は僕のためにそうしてくれていたのに。情けなくて涙が出そうだった。僕は唇をきゅっと結んで下を向いた。

「つーか、今どき金髪とか、ださくね?」

「不良に憧れてるとか?」

「あははははは! ないわー!」

 尚も気持ちの悪いおしゃべりが続く。

 彼女たちは、流行りなのかは知らないが、皆同じような髪型をしていた。肩の下くらいまでの髪を跳ねないようまっすぐにセットし、少し長めの前髪を少し右側の分け目で目の上で斜めに流す。スカートの丈の長さも、セーラー服のスカーフの結び方も同じ。笑顔も、しゃべる言葉も声もそっくり。

 僕は彼女たちを見ているうちに、誰が誰なのだったかわからなくなってきた。

「ねえ、聞いてるの、優月くん?」

「優月くんも何か矢車さんに言いたいことがあるんじゃないの?」

「遠慮しないで言いなよ」

「ほら、早く!」

「不満とか嫌なとことか」

「なんかあるでしょ?」

 彼女たちが僕に優しい笑顔を向けている。今まで見たことのない表情だった。

「僕は、別に……なんな……」

 はっきり言ってやりたいと思うのに、どうしても怖いという感情が覆い尽くしてしまって、曖昧な言葉しか出てこない。

「矢車さん、おかしいでしょ?」

「矢車さん、ウザいでしょ?」

「矢車さん、浮いてるでしょ」

 彼女たちの笑顔がぐにゃりと歪んだ。でも、この笑顔だったら、僕はよく知っている。いつも僕に向けられていた嫌な笑顔だ。僕に何かを強制させたいときに見せる嘲笑。いつもの習慣で、僕の首筋と背中を冷たい汗が伝う。

 ダメだ。ちゃんと言わないとダメだ。怖がるな。棗はいつも僕のために言ってくれたじゃないか。

「僕は、なつ……矢車さんはべ、別に、そんな――わ、悪い人だとは……」

 僕は彼女たちの顔を正面から見ることはできなかった。それでも、手を白くなるほど握りこんで、ぎゅっと噤んでいた唇から僕は必死に言葉を紡ぎ出した。

 途端に彼女たちの歪んだ笑顔がさらに歪み、不機嫌な表情になる。

「優月、あんた何様のつもり?」

「あんたはただ私たちのことを、うんうんって聞いてればいいんだって」

「ちょっと優しくされたからって棗に媚びてんじゃねーよ」

 あからさまに変わった態度にびっくりして僕が目を見開くと、彼女たちはおかしそうに笑った。

「だ・か・ら。矢車さんムカつくって言ってみて」

「優月くんも私らと同じように考えてるよね?」

「私ら友達でしょー?」

 何の悪い冗談だろう。僕は唇の端が痙攣するのを感じる。

「とも……だち……?」

 引き攣る僕に、彼女たちは笑みを深くした。

「友達だよっていうか、友達にしてあげる。私らに協力してくれたらね」

「今度、棗をハブろうって決めたの。いちいち反抗してきてムカつくし」

「もう徹底的にやるから。優月も当然わたしらの味方だよね」

 人を見下す笑みだった。彼女たちがその笑顔でじっと僕を見つめる。僕が彼女たちの望む答えを出すのを待っているのだ。僕は色々なところから冷たい汗が噴き出るのを感じながら、じっと耐えた。

 動け、動け、僕の口。僕の気持ちを吐き出すんだ。

 僕は必死に口と喉を動かした。

「な、な、棗は、本当はいい奴、だよ。そ、そんな、ひどいことは……ちょっと……」

 ひどくくぐもった自分の声が情けない。でも、何とか言うことはできた。

 彼女たちは少し驚いたような表情をしたが、すぐに鼻で笑った。

「ねえ、優月、あんた自分の立場わかってんの?」

「こっちに付けば、友達にしてやるって言ってんの」

「クラスメイトが、ちょっとは話してくれるようになるかもよ?」

 そう言うと、可笑しそうにクスクスと笑いだした。僕は下唇を噛む。

「ぼ、僕は。それでも、なな、棗を、う、裏切りたくないよ、よ……」

 彼女たちは「ふーん」と言うと、椅子から立ち上がった。そのまま僕の席から机を離して彼女たちだけのグループを作ると、再びきゃっきゃっと楽しそうなおしゃべりをし始めた。何事もなかったかのように。彼女たちだけで。

 僕はポツンと一人残された。

 けれど、僕は安堵していた。泣きそうなほどに。

 確かに、膝がガクガクしていた。汗でセーラー服の中のシャツが体に張り付いて不快だった。息苦しさも感じた。それでも、ぼくはほっとしていたのだ。

 彼女たちにおもねれば、学校生活は楽になるのかもしれない。でも、そのために友達を裏切るなんて、間違っているはずだ。

 ねえ、そうでしょう、棗?

 僕は弁当に箸を伸す。そして、自暴自棄みたいにご飯と卵焼きとから揚げを口の中に次々と押し込み、もぐもぐと噛みしめた。母さんの作る弁当はいつもは美味しいのだが、今日のはよく味がわからなかった。噛み砕かれ、すり潰された食物を喉の奥へと押しやり、嚥下する。機械的に、それを何度も何度も繰り返す。苦しくて涙が零れそうになるが、ツンとする感覚ごと食べ物と一緒に飲み込んだ。


 そして、この日から僕の地獄が復活した。

 教科書やノートは落書きされるか、悪口を書かれるか、隠されるか、ビリビリにされた。休み時間には、彼女たちは僕の前の席に座って大声で僕の悪口を言った。図書室や美術室に逃げようとすると、捕まって女子トイレに連れていかれた。僕の弁当を便器にぶちまけられて、食べろと言われた。拒否すると素手で掃除しろと言われた。掃除を終えると汚いと言われ、トイレ掃除用の雑巾やブラシで顔や髪を擦られた。放課後は教室の床に正座させらされて、水をかけられたり、ぶたれたり蹴られたりした。僕の小学校時代の卒業アルバムや文集をどこからか手に入れて、クラスメイトの前で朗読の上、馬鹿にされた。休み時間、黒板に僕の悪口を書かれた。棗と僕の関係を勘ぐって、茶化すようなものや卑猥な内容も書かれた。黒板消しを教室の扉に挟んで落とす、小学生みたいなトラップも仕掛けられた。それに気付いて避けようとすると、避けるなと怒られ、無理やりトラップを受けさせられた。物がなくなるのもしょっちゅうで、文房具や書道用具の中のちょっとした小物が、気がつくと消えていた。靴や上履きには画鋲が入れられた。体操服も切り裂かれたので、母さんに内緒で、お小遣いで新品を購入した。

 彼女たちに何かされるごとに、ないはずの喉元の傷がチクチクと痛む気がした。その度、僕は喉を片手で押さえ、唇を引き結んで痛みなんかない、気のせいだと自分に言い聞かせた。

 僕は彼女たちの前では歯を食いしばって耐え、そのあと誰もいない教室で泣いた。ひとしきり泣いて、顔を洗って、何事もなかったような顔で家に帰った。僕を迎えてくれる父さんと母さんの優しい笑顔だけが僕を慰めてくれた。

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