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第三章 リブート⑪

「うへへへへへへへ」

 棗が珍しく締まりのない顔で笑っている。

「えへへへへへへへ」

 僕も下がろうとする目尻と緩もうとする口元を止めることができない。

「ふふふふふふふふ」

 麗司さんはニヤけた顔すらも絵になるのが嫌味なところ。

 棗たちからロゴ使用の打診があってから二週間が経った。そして、今、ライブハウス・菊之宮デイジーに集まった僕たちの前には、リジェクトの初グッズであるステッカーが積みあがっていた。印刷屋さんから納品されたばかりのできたてほやほや。湯気が立ち上っているのが見えるような、ピカピカの新品だ。僕が思いつきで描いたリジェクトのロゴと一緒に、今回おまけで描いた天使と悪魔が混ざったような人物のイラストが印刷されたステッカーは、照明を反射してキラキラ輝いていた。

 僕の描いたロゴが正式にリジェクトのロゴになった日、早速それを使ったバンドグッズを作りたいねと話し合った僕達は、まずは手軽に作れそうなステッカーを製作することにした。

「枚数をそんなに頼まなかったから単価的にはちょっと高くなっちゃったね。でも実物を目の当たりにすると、やっぱり嬉しいな」

 僕はステッカーを一枚とって、上から下から左右から、さらに表と裏と眺めまわす。今日も今日とて真っ黒でゴシックなデザインのドレスを着せられた僕だったが、ステッカーというご機嫌の素があるために全然気にならない。というか、いいことなのか悪いことなのかはわからないが、こういう格好に違和感がなくなってきたことも事実ではある。

「なー。これ、すげーカッコいいと思う」

「みんな喜んでくれるといいね」

 棗も麗司さんもテンションが上がっている様子なのが嬉しかった。

 お客さんの入場前のフロア後方で、僕達は物販用の机にステッカーを並べた。ここは、ステージの転換中や終演後にバンドマン自身やバンドのスタッフが、ファンに対してグッズや音源を販売するためのスペースだ。CDやタオルや缶バッヂなど色々な品物が並ぶ他のバンドに比べてリジェクトのスペースはかなり地味になってしまうので、僕は二人のアーティスト写真を写真立てに容れて飾り、値札も少し大きめにして二人をデフォルメした三等身イラストを手描きしておいた。

「優月、ありがとな。印刷屋さんとも色々調整してくれたんだろ?」

 棗が値札の位置を直しながら僕に向って言った。僕は少し赤くなりながら俯いて応える。

「そんな、僕は大したことしてないよ」

 ステッカー作りは僕が担当した。別バンドを組んでいた時にグッズ製作の経験がある麗司さんに印刷屋さんを紹介してもらい、僕はドキドキしながら連絡を取って、イラストデータの受け渡しや、納品方法、支払い方法のやりとりをした。去年の僕の誕生日に、うちのパソコンにイラスト制作ソフトを入れてもらっていたので、ロゴやイラストをで描き起こすのは問題なかった。でも、パソコンでの絵の描き方は自己流だったので、向こうから指定されたいくつかの形式に合わせるのに四苦八苦しながら仕上げたのだった。

 作業には思いの外手間取ったし、知らない大人と連絡をとるのは僕には勇気のいることだったけれど、二人が喜んでくれたのを見るとやってみてよかったと思う。

 僕は照れ隠しに頬を掻きながら、棗をちらりと覗う。

「えっと。リジェクトのライブ、今日はトップバッターなんだよね」

「ああ。今日は三十分あるから五曲やって、途中でMCを入れるつもり」

 棗はステッカーを一枚手に取ると、指で弄び始める。

「そこで次のライブの告知と、このステッカーの宣伝もするからさ。俺らも演奏して片付け終わったらここに来るけど、それまでは優月に物販頼んでいいか?」

「……うん」

 客として印刷会社さんとやりとりするだけでおっかなびっくりな僕だ。不特定多数のリジェクトファンとうまくやりとりできるだろうかと少し不安になる。棗は僕のそんな表情を見て、心配そうに眉尻を下げたので、僕は慌てて笑顔を顔に貼りつけた。

「だ、大丈夫だよ! 僕、しっかりやるから。棗はライブに集中して」

「そうか?」

 棗が尚も心配そうな顔をするので、僕は話題を変えることにした。

「あー……えっと、えっと。そういえば、棗、それ寒くないの?」

 僕は棗の衣装を指差した。

「ああ、それは俺も思ったよ。棗、お前、その衣装、季節を間違えてない?」

 麗司さんも僕の意見に同調したけれど、棗はきょとんとした表情で首を傾げた。

「そう? 別に平気だけど。変?」

「カッコいいけど、寒そうだよ」

 季節は冬に入ろうとしている頃だというのに、今日の棗はノースリーブのシャツにショートパンツという出で立ちだった。ライブハウス内はそれほど寒い場所ではないし、むしろステージの上でパフォーマンスをしている最中は暑いくらいなのだろうが、見ているこちらからするといかにも寒々しい格好だ。腕にはいつも以上にぐるぐると汚れた包帯を巻きつけていたが、それだけで寒さ対策になるとは思えない。

「風邪ひかないか心配だよ」

「えー、全然平気だぜ?」

「それならいいけど」

「俺はお前みたいにひ弱じゃねえもん」

 けけけ、と笑う棗の頭を麗司さんが軽く小突く。

「強がるのもいいけど、健康管理もバンドマンの大事な仕事の一つだってこと、忘れないようにね」

「大丈夫だって。子ども扱いすんなよな」

 棗は口を尖らせた。

「じゃ、俺らリハだから、そろそろ行くな」

「うん。頑張ってね。僕は外の掃除してくる」

 棗達と別れた僕は、掃除をして今日のイベント案内を黒板に描いて。多佳子さんに頼まれて菊之宮デイジーのホームページ更新を手伝ったり、お客さんに渡すフライヤーを準備したり。そんなことをしているうちに、あっという間に開演時間が訪れ、僕はステージ後ろの物販席に立ってステージの幕が開くのを待った。

 フロアの照明が落ちると、すぐに電子音のパーカッションが響いた。

 黒いギターを抱えた棗は、先ほどの衣装に、目と口の周りを凶悪な赤と黒で塗りたくっていた。ベルトに着いた鋲がキラキラと照明を反射し、膝まである黒いエンジニアブーツを履いた足がリズムをとっている。

 麗司さんは黒い長髪を高い位置で括り、切れ長の目を強調するような長いアイラインを引いていた。よく見ると真っ赤なカラーコンタクトを入れているようだった。軍人みたいな黒いロングトレンチコートを着込んで、いつもの白いベースを下げている。

 今日の棗は幕が開いた瞬間からフルスロットルだった。

 ギターをめちゃくちゃに弾きながら――といっても、それは当然、リズムと音程をきちんとキープしたものなのだけれど、狂ったような表情でピックを動かすので、とても正常な精神状態で弾いているようには見えないのだ。棗は、しゃがれた声で叫び倒し、その合間に優しい声で歌った。体をめった刺しにされるような印象の、怖い音楽だった。そのリズムに合わせて、フロアは拳を上げ、頭を振り、体を折り畳んだ。狂騒がステージから広がり、フロアをむしばんでいくように見えた。それは熱となり、ライブハウスの中を燃やし、別の色に塗り潰していくのだ。

 ステージ上の棗はフロアをさらに煽るように、指を差し、睨みつけ、叫び声を上げる。彼女があまりに必死に声を出しているので、僕は喉が潰れてしまうのではないかと心配になるくらいだった。棗の首筋には、一曲目の時点で既にびっしりと玉の汗が浮かんでいた。その分、パフォーマンスは素晴らしいもので、演奏が止むとフロアが一瞬、息が詰まるような静寂に包まれかと思うと、すぐに大きな拍手で溢れた。僕も心を奪われて、一心不乱に手を叩いた。

 そのままのテンションで棗は残り四曲を歌いきり、顔や首筋を汗が滴り落ちるのもそのままに、最後、深々と頭を下げた。会場は暖かな拍手に包まれる。観衆は狂おしく優しいリジェクトの楽曲の余韻に浸った。もっと聴きたかったなと思っていると、僕の前に立っている女性達も同じような感想を言い合っていて、自然とニヤニヤしてしまう。のだけれど。

――あ、あれ? 何か大事なこと忘れて……?

 僕が大きな違和感を抱えていると、ステージ上、帰ろうとしていた棗がその動きを静止させた。

「あ!」

 苦笑する麗司さんの顔を見て、棗はやっと自分の失敗に思い至ったようで、顔を苦々しいものに変えた。

「やっべ、告知忘れてた!」

 その声が、マイクに入っていたため、フロアに小さな笑い声が広がった。真っ白に塗った化粧の上からも、棗の動揺して恥ずかしがる様子が見てとれるようになると、さらに笑い声が増えた。

「そんなに笑わないで下さいよ」

 困ったような表情を浮かべる棗に「かわいい!」と黄色い声が飛んだ。

「勘弁してくださいよ。今日テンションあがりすぎちゃって、みんなのノリもすげーし、四曲目の終わりで告知入れるのすっかり忘れちゃったよ」

 そういば、五曲目に入る前に麗司さんが戸惑ったような表情で棗を見ていた気がする。ニヤニヤと笑う麗司さんを棗が睨むと、麗司さんはさらに笑みを深くしたので、棗は諦めて前を向いた。

「最後になっちゃいましたけど、すいません。告知します。来週ここのイベントに、オープニングアクトとして出させてもらいます。曲数は少ないけど、よかったら見に来てください」

 最前列に詰めていた女の子数人が「行くよー」と楽しそうな声を上げる。

「ありがとう。あと、今日はリジェクト初のグッズということで、ステッカーを用意してきました。後ろのゴシックな黒い服着た子が売ってるから、余裕があれば見ていってください」

 棗が僕を指差したので、観客が一斉に後ろを向く。僕は汗をかきながらも、なんとかニコリと笑うことが出来た。

「じゃあ、またお会いしましょう」

 今度こそ、丁寧にお辞儀をして棗と麗司さんは舞台袖に消えていった。再び会場に拍手が広がる。

 フロアの照明が点灯すると、物販ブースに何人かの女性たちがやって来た。

「あのー、ステッカーいくらですか?」

 先頭に並んだ女性が財布を取り出しながら僕に話しかけてくれた。二十歳くらいだろうか。淡い色の髪に、首筋から鎖骨の辺りを大胆に出したトップス、ミニスカートとニーハイソックス姿でお化粧が濃いめの、ギャルみたいな雰囲気の人だった。普段の僕では話すきっかけすらないような人だ。緊張してしまう。確かフロア最前列にいた人で、他の日にも見たことがあるから熱心にリジェクトのライブに通って頂いているのだろう。粗相がないようにしないと。そう思うとさらに心拍数が上がった。

「え、え、え、えーと。えーと。ごひゃ、ご、ご、ごひゃ、五百円ですすす!」

 真っ赤な顔で答える僕。お姉さんは財布から目を離し、ポカンとした表情で僕を見つめ返していた。

 これは、やってしまった。

 嫌な汗が背を伝った。おまけに、そのお姉さんの後ろに並んでいる人達まで僕のことを不審な目で見ているような気がする。心拍数がさらに跳ね上がった。

「あわわわ……」

 だめだ。これは棗と麗司さんに大迷惑をかけてしまう。どう謝ったらいいんだ……!

 そう思ったとき、ポンと肩を叩かれた。振り返ると、さっきまでステージ上にいたはずの棗がいた。

「優月、リラックス! はい、深呼吸」

 棗が「吸って、吐いて」と言うのに合わせて呼吸をすると、少し楽になった。

「一枚五百円、四枚買ってくれたら千五百円にしますよ!」

 棗の朗らかな声が場を和ませてくれた。お姉さんも表情を緩める。

「えー、どうしよっかなー」

「いやいや、全然一枚でいいっすよ。全部同じデザインですから」

 冗談に乗っかってきたお姉さんに、棗は苦笑する。お姉さんが「じゃあ一枚頂戴」と言って千円を出したので、僕は用意していた五百円玉とステッカーを渡した。

「あ、ありがとうございます」

「いえいえー」

 よかった、今度はちゃんととは言えないけれど、なんとか伝わるように言えた。棗が直接対応してくれたおかげで、お姉さんもご機嫌な様子だ。

 僕はほっと胸を撫で下ろすと共に、自らの情けなさに押し潰されそうにもなった。棗は汗すら拭わずに来たらしく、首筋に滴が光っていた。化粧も汗でところどころ溶けてしまっている。

「ごめんね、棗。はい」

「お、サンキュー」

 僕がハンカチを渡すと、棗は雑な動きで首の汗を拭う。ステッカーを買ってくれたお姉さんは、立ち去る前に僕を見て首を傾げた。

「ねえ、棗ちゃん……違ったらごめんだけど、こっちの子って……男の子、なの?」

「ああ、そうっすよ」

 お姉さんの問いに、汗を拭きながら何でもないように棗は答えた。逆に僕が少し汗をかく。

「まじかー! 女子力たっかー!」

 お姉さんが目を丸くするのに対して、棗も何度も頷く。

「そうっすよね。そこら辺の女より、よっぽど女子ですよね」

「そうだねー」

「や、やめてくださいよ、もう」

 お姉さんが何故か羨望のような眼差しで僕を見てくるので、僕は半泣きになった。

「はははは。まあ、あれです。ここのオーナーと麗司さんの所為でこんな恰好させられてるんすけど。このステッカーのデザインとかしてくれてる子で。絵がすげー上手いんすよ」

「へえ、そうなんだあ。すごいね。がんばってね」

「あ、ありがとうございます」

 お姉さんに微笑まれて僕は少し赤くなる。改めてみると、とてもスタイルのいい人で、どこを見ていいのかわからなくなってさらに混乱してしまう。

「……優月、お客さんにニヤニヤした顔見せんな。失礼だから」

「ご、ごめんなさい」

 むっとしたような顔の棗に僕はしゅんとする。

「いや……まあ……別にいいけど……いや、よくないっつーか」

 チラリと上目遣いに様子を覗うと、今度は棗が変な混乱をしていた。なんだろうか。

「それより、優月。ハンカチ、ごめん。後で洗って返す」

「え、いいよそんな気を使わなくて」

 僕の薄っぺらいハンカチは棗の汗でぐっしょり濡れていた。ライブでは相当の体力を使うのだろう。まだ汗を拭ききれていなかった。

「次のグッズはタオル作りなよ」

 お姉さんがしてくれた提案に、僕も棗も大きく頷く。

「それいいっすね」

 お姉さんは嬉しそうに笑って手を振った。

「また次のライブも来るね」

「ありがとうございます」

「じゃあまたね」

「お待ちしてます!」

 手を振りながら物販の列を離れるお姉さんを、僕と棗も手を振って見送った。

「棗、ありがとう」

「ん?」

「僕が頼りないから心配して来てくれたのかなって」

「まあそれもあるけど」

 そう言って棗が苦笑したのを見て、僕は少し落ち込む。そうしたら、頬を突っつかれた。

「それよりも、ステッカー売れるところ見たかったんだよ。優月の描いてくれたステッカーの売れ行き! ――あ、ゆっくり見てってください。一枚五百円っす」

 棗は次のお客さんを前ににこにこ笑う。朗らかなその顔に僕はほっとする。

 バンドマン自身が接客してくれるとお客さんも喜ぶようで、その後、ステッカーはまずまずの売れ行きを示した。途中、ライブで乱れた髪と化粧をきっちり直した麗司さんが合流したことも大きいと思うけれど。

「今日はサンキュー、優月」

「うん。また明日ね」

 その後の物販は麗司さんに任せて、僕と棗は九時前に菊之宮デイジーを出た。


 ホクホクと足取りも軽く僕は家へと向かう。格好はセーラー服なのだけれど。家に入る前に物置小屋でこっそり着替えるのにもすっかり慣れてしまった。そんなのに慣れるのは良くないことかもしれないけれど。

 僕のデザインしたステッカーをファンの人達が嬉しそうに手に取ってくれるのを見るのは、恥ずかしいような誇らしいような、心の奥をくすぐられるような不思議な感覚だった。

 今の僕はちょっと前の僕からは信じられないような心の持ちようだった。前向きってこういう事なのかなと思う。棗や麗司さん、多佳子さんと話すのは楽しくて、リジェクトの手伝いをするも面白くて、人生、変われば変わるものなんだなと嬉しくなってくる。これからも、ずっとずっとこんな時間が続けばいいのにと願わずにいられなくなる。


 この時の僕はお気楽だった。あんなに辛くて不思議なことがあったのに、それを「夢だったのだろう」の一言で片づけて、楽な解釈の方に逃げていたんだ。

 本当は一体何があったのか。何がなかったのか。

 この後、僕はそれを知ることになる。

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