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第三章 リブート⑩

 棗はいつも飄々としていた。

 小柄な体の背筋をピンと伸ばして、不敵に笑い、他人を睨みつけ、たまに豪快に笑った。

 棗は自由な人なのだと思う。だから、本来であれば学校なんて来たい時だけ来ればいいと思っているのだろうし、実際、今までの彼女はそうしていた。自主休日にすることも、午後から登校することも、午前中で切り上げて帰ることもしばしばだった。

 でも、最近は毎日学校に来ていて、態度はともかく、授業にも全て出席している。僕を心配してそうしてくれているのだろうと思う。

 僕はそれを、申し訳ないような、嬉しいような、情けないような、ごちゃまぜの感情で受け止めていた。

「優月、最近、調子乗ってるよね?」

「棗が構ってくれてるからってさ」

「お前は変態女装男なんだよ。棗にどうやって媚売ってんの?」

 相変わらずの制服姿の僕に、彼女たちがそんな風に詰め寄って来ると、棗がさっと現れる。

「なんか、俺に文句あるわけ?」

 そして、「行こうぜ」と僕の腕を掴んで別の場所に連れて行ってくれる。

 彼女たちはそれを見送るしかできない。嫌味や悪口は棗に対して効果がなく、孤立させようとしても、棗自身、学校で友達というものを作っていないのでどうしようもないのだ。

「矢車さん、ありがとう」

「別に。気にすんなよ」

 僕の手を引きながら前を歩く棗は、振り返らないままぶっきらぼうにそう言う。一方の僕は情けなくて顔を俯かせる。

「ん? どうした?」

「う、ううん。なんでもないよ」

 不思議そうな顔で振り返った棗に、僕は少し引きつった笑顔を返す。このまま棗に頼りきりでいいのかというモヤモヤした不安が、曇り空のように僕の心を覆っていた。

「ふうん? ならいいけど。あ、そうだ。明日、俺、ライブなんだよね。来る?」

「……いいの?」

「当然だろ。友達じゃん、俺ら」

 棗が夏の太陽みたいな顔で笑った。

「行く! 行くよ!」

 黒い雲が風に吹かれて消し飛んだみたいな気持ち。さっきまでの不安が嘘のように、僕は笑顔で大きく頷いた。


「優月くん、今日も可愛いね」

「きゃあ!」

 麗司さんにいきなり背後から抱きつかれて、びっくりした僕は思わず女の子みたいな悲鳴を上げていた。

「先週の紺色系のロリータファッションも上品で可愛かったけど、今日のキャンディー柄のワンピース、食べちゃいたいくらい可愛いね」

「うわっ! ちょ、な! や、やめてください!」

 案の定というか。棗のライブの日にライブハウス・菊之宮デイジーを訪れると多佳子さんに捕まり、今回もロリータなお洋服を着る羽目になってしまった。そして、その女装姿でこの前のようにライブハウスのフロアを箒で掃いていた時に、楽器を背負って現れた麗司さんに抱きつかれたのだった。

「何やってんだよ! 変態! 痴漢! おい、優月を離せよ!」

 麗司さんに続いてフロアに入ってきた棗は、慌てたように麗司さんの腕を引き離そうと飛びつき、その頭をはたいた。叩かれた麗司さんはそれでも尚、爽やかな笑みを浮かべながら、降参のポーズを取り僕から離れる。人に触られることに慣れていない僕は、ひとまず安心してふうと息を吐いた。

「棗ったら、お姫様を守る騎士みたいだね。可愛い優月くんを守って健気だなあ。それとも、もしかして嫉妬なのかな?」

 麗司さんは長い黒髪から覗く美しい面に少しだけ意地の悪い笑みを浮かべながら、棗に向かってそう言った。すると、棗は麗司さんを睨みつける顔をさらに険しくした。

「何言ってんだよ! そんなんじゃねえよ! てか、なんかそれ、逆じゃね?」

「あれ? 棗は女の子扱いしてほしいの? 可愛いって言ってほしい?」

「そんなわけねえじゃん」

 棗は不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。それを見て麗司さんは少しだけ困ったように笑い、そして、女の子が見たら溶けてしまうような優しい笑顔を浮かべた。

「わかってるよ」

 そう言って、棗の頭を優しく撫でた。

「気持ちわりーな! やめろよ!」

 棗は赤くなって、逃げるように麗司さんから距離を取る。

「俺はそういう子ども扱いが一番嫌いなんだよ!」

「わるいわるい」

 顔を真っ赤にして口をへの字に曲げる棗に、麗司さんは優しい表情のまま苦笑した。

「ごめんな、棗。ほら、お前は一番年下の親戚だからさ、ついつい可愛がりたくなるんだよね」

 懲りない麗司さんは棗の短い金色の髪をさらにぐしゃぐじゃと掻き回した。

「やーめーろーよー!」

 ライオンの子供たちがじゃれ合っているみたいだった。微笑ましい光景だ。

 なのに、僕はなんだか面白くなかった。二人と一緒の空間にいるのに置いてきぼりにされているみたいで、寂しいような悔しいような気持ちが湧いてくる。

 僕は手に持った箒をきゅっと握った。

――僕、こんなに嫌な風に考える人間だったっけ?

「優月、こんな奴、無視していいから、ちょっとあっちで話そうぜ」

 急に棗が僕の方を向いたので、僕はハッとしてぐるぐる回り始めていたネガティブな思考を心の隅に追いやった。麗司さんを見ると、棗に背を向けられて溜め息をついている。

「俺、嫌われたなあ」

「ふん。もともとは麗司さんが優月に手ぇ出すからいけねえんだろ?」

「意外と独占欲が強いんだね、棗は」

「だから、そういうのとは違うって!」

 その後も口論を続けようとする二人。そんな二人を面白くなく感じながらも面白いなあと思い始めた自分の心が、なんだか可笑しくなって僕は苦笑した。

「ふふふ」

「なに笑ってんだよ、優月」

 棗が口を尖らせてこっちを向いた。

「えーと。二人は仲がいいんだなあと思って」

「はあ? 俺と麗司さんが? 冗談言うなよ」

 棗は気持ち悪そうに、眉間に皺を寄せて顔を歪ませた。

「昔っから変な人なんだよ。あの人はおかしいんだ」

「ふうん?」

「まあ。悪い人じゃないんだけどさ」

「ふうん」

 麗司さんを悪く言い切れない棗がなんだか少しかわいくて、僕は思わず微笑んだ。棗もちょっと安心したみたいに笑顔を浮かべる。

「あ、そうだ。話は変わるけど」

 僕に向かってそう言うと、棗は一つ咳払いをした。

「この前さ、優月、俺らのロゴ、描いてくれたじゃん?」

「あの黒板に描いたやつ?」

「そうそう。あれ、すげー格好良かったからさ。な、麗司さん?」

 にこやかに微笑んで頷く麗司さんを横目に見ながら、棗は僕の顔を窺うようにして言った。

「あれ、俺らのロゴとしてこれから使っていい?」

「え?」

 思いもよらないことだったので、僕は目を瞠った。

「ちょうど、そろそろロゴのデザイン決めようと思ってて。麗司さんとも話したんだよ。優月が描いてくれたのすげーかっこいいよねって」

「うん。優月くん、センスいいよね」

 麗司さんはやわらかい微笑みを浮かべながら言った。突然の話に目が丸くなったままの僕に、棗はバツが悪そうな顔で頬を掻く。

「まあ、俺らみたいな、どマイナーバンドに使われたら迷惑かもしんねえけどさ」

「そ、そんなことないよ!」

 僕が大声を出したせいか、棗は驚いたような表情で僕を見た。

「すごく嬉しいよ! 僕の描いたのを使ってくれるなんて」

「まじ?」

「うん!」

 僕は嬉しくて、胸がドキドキしていた。

「けどさ、その……俺らも貧乏だからさ。使用料とか払えないんだけど……」

「そんなのいらないよ! えっと、出世払いでいいよ」

「あはは! そっか。ありがと、優月」

「ううん。僕の方こそ嬉しいよ。ありがとう、矢車さん」

「いや、別に……礼を言うのは俺らの方だし」

 棗は短い金髪の先を弄りながら、少し照れたように視線を外しながら言った。

「そういえばさ、優月。俺の呼び方さ」

「ん?」

「『矢車さん』て、すげえ他人行儀じゃね?」

「え、そ、そうかな?」

「俺は優月って呼んでるのにさあ。なんか変だよ」

「そ、そうかなあ……?」

 棗は拗ねたように口を尖らせていた。急に子供っぽい表情になった棗の姿に戸惑って、僕の心臓のリズムが早くなる。

 僕はあまり友達を作るのが上手ではない。だから、今まで苗字に君付け、さん付けで呼ぶのが基本だった。みんなは仲良くなるとお互いを下の名前で呼んだり、あだ名で呼んだりするけれど、それを始めるタイミングをどうやって計っているのか僕にはわからなかった。だから、苗字以外で人のことを呼ぶのに慣れていなくて、なんというか非常に、こそばゆいというか、どうしたらいいかわからないというか。

「で、でもなんて呼んだらいいかな……?」

「なんてって……別に普通に下の名前でいいじゃん」

「え、え、でも、でも……じゃ、じゃあ、棗……?」

 僕は若干震えた声でそう言って、自分の体を支えるように箒を抱きしめながら、棗の表情を上目遣いに覗った。

 なぜか棗は少し驚いたような、戸惑うような変な顔をしていた。やはり棗なんて呼び方は失礼だったのだろうか。僕は急速に不安の底に落ちていく。

「棗って呼ぶの、だめ?」

「それは全然いいんだけどさ。お前さ……なんか、そうやって上目遣いに言われると、こっちが恥ずかしくなるっていうか」

「え?」

「照れるっていうか、その……」

「そ、そうなの?」

「……ま、まあ、棗で全然いいけど」

 棗はらしくもなく、もごもごと詰まりながらそう言うと、コホンと咳払いをした。

「じゃ、じゃあ、俺、リハ行くな。今日は二番目で、時間も少し長いから楽しんでってよ!」

 そう言って、僕の背中をバーンと叩く。それから栗鼠みたいに、しなやかに踵を返して楽屋の中へ消えていった。それを僕と一緒に見送っていた麗司さんは、ふふふ、と楽しそうな笑い声を洩らす。

「麗司さん?」

 長身の麗司さんの顔を覗き込んでみると、穏やかな笑顔を浮かべていた。

「優月くん、棗と仲良くしてくれてありがとう。あいつ、危なっかしいところもあるんだけど、これからも仲良くしてやってくれないかな?」

「そんな、仲良くしてもらってるのは僕の方ですよ。だから、お礼を言うのは僕の方なんです」

「そっか。でも、俺は棗に心を許して付き合える友達ができて本当に良かったと思ってるんだよ? あいつのこと、よろしくね」

 そう言って、麗司さんは僕の頭をポンポンと叩くと、棗に続いて楽屋へ入っていった。麗司さんの手の感触は、先ほどのセクハラめいたものではなく、兄が弟にするもののように感じられた。嬉しい半面、再びモヤモヤと黒い靄のような感情も湧いてくる。

 棗と麗司さんとはどういう関係なのだろう。

 麗司さんは多佳子さんの孫で、多佳子さんは棗の遠い親戚で棗の保護者でもある。つまり、麗司さん自身も棗の遠い親戚ということだ。

 けれど、そういう親戚関係以上の繋がりを僕は二人に感じた。麗司さんは棗をすごく大事にしているみたいだし、棗は麗司さんを深く信用しているように見えた。ちょっと面白くないなと思ってしまうくらいに。

「面白くないってなんだ?」

 小さく独り言を呟いて首を傾げた僕に、当然ながら返事をしてくれる人はいない。

「面白くないってどうして思うんだろう」

 僕の小さな呟きは、リハーサルを始めたバンドの轟音に掻き消された。歪んだ音の洪水の中でそれ以上考える気になれず、僕はこの前みたいに箒を動かし始めた。

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