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第三章 リブート⑦

 ステージの幕が閉じている間、フロアには僕の知らない外国のロックが小さな音で流されていた。その間、どうやら幕内では機材の移動や楽器の調整が行われていたようだ。カーテンの隙間からステージとバックステージ間をバンドマンやスタッフが行き来している姿が見え、ドラムを叩く音、ギターやベースが短いフレーズを奏でる音が聞こえた。

 フロアでは、リジェクトのときに最前列を取っていた女の子たちはその場を離れ、ドリンクを取りに行ったり、後ろの列に下がって談笑したりしていた。その代わりに次のバンドをお目当てにしているらしい人たちが最前列に入る。フロア後方のテーブルでは、煙草を吸ったり、お酒を飲んで語り合っているお客さんもいた。

 そんなフロアの喧騒は、リジェクトが終わって十五分ほど経った頃、再び会場が暗転しカーテンが開くと一瞬だけ消えた。だが、直後には、バンドのパフォーマンスが新しい音で場を塗り替える。

 新たなバンドがステージに現れ、紡ぎ出す音と色に会場が酔う。ボーカルの妖艶な声に、ギターの美しく歪んだフレーズに、ベースの心を高揚させるグルーブに、ドラムの激しいリズムに、観客が飲み込まれていった。

 毒々しいほどに美しく、あるいは美しいほどに毒々しく着飾り、メイクを施した彼らは、観客を自分たちの世界に誘う。紡ぎ出す音の一つ一つ、客に挑みかかるようなアクションの一つ一つがエネルギーとなってライブハウスを包む。

 高揚した客は拳を上げたり、体を揺らしたりしてそれに応える。まるで与えられたエネルギーを返すかのように。観客のエネルギーが、ステージ上のバンドを燃やし、さらなるエネルギーが場に溢れる。

 狭い空間に形成されたシステムに圧倒されて、僕はそれに飲み込まれるまま、音楽に身を委ねた。

 そんな風に僕はステージとフロアに集中していたから、後ろから突然肩をぽんと叩かれた時には飛び上がらんばかりに驚いた。振り返ると、肩を叩いたのは棗だった。棗はフル衣装フルメイクのまま。僕はびっくりが収まらず、まだ心臓がドキドキいっている。

 棗はそのまま、僕の隣に立った。楽しそうな笑顔でステージを見つめる。自分のステージが終わって、どこかほっとしたような表情でもあり、リズムに乗って気持ち良さそうに体を揺らしていた。

 僕はなぜだか、横が気になってしまって、今までみたいにステージに集中できなくなった。客側の照明が落ちている今、棗のどぎつい格好はそこまで目につかないはずなのに。つい、ステージを見る合間に棗の方もちらちら見てしまう。

 棗は、最初、にこにこしながらステージを見ていた。緩やかに頭を振ったり、たまに拳を上げたり。でも、その表情はだんだんと真剣な表情に変わっていった。相変わらずリズムに乗って体を揺らしてはいたが、その目と耳は先輩バンドの一挙手一投足、一音一音に集中しているようだった。唇が一瞬だけ動き、その口元は「すげえな」と呟いたように見えた。

 僕はその時、一瞬だけ、棗の瞳に火花を見た気がした。憧憬のようにも嫉妬のようにも見える一瞬の煌めきだった。

 舞台上のバンドは熱い余韻を残してステージの幕の中に消えた。ライブハウスが歓声と拍手に満たされる中、棗は真剣な表情のまま拍手をしていた。僕も拍手をしながら、棗から視線が外せなかった。棗から放たれる、静かに燃える闘志のようなものが、きらきらと光って見えたのだ。


 オープニングアクトであるリジェクトを除いて、今日のバンドはそれぞれ三十分程度の持ち時間のようだ。それぞれの間に転換する準備が十五分くらい。リジェクトの次のバンドが七時くらいに演奏を始めたので、二バンドを見終わったところで八時半になろうとしていた。ステージ上では、再び幕が引かれ、次バンドへの転換準備が行われている。

 その間も、棗はずっと僕の隣でライブを見ていた。その棗に話しかけてくる人もいた。

「棗ちゃん。リジェクトは音源出したりしないの?」

 リジェクトのファンらしき女性。僕達よりもひとまわりくらい年上だろうか。

「うーん――まだ曲数が無いっすから……」

「えー。シングルでもいいから出してくれたら買うよ」

「ありがとうございます。まずはレコーディング費用稼がないといけないっすね」

「あはは。期待して待ってるね」

 他にも差し入れや手紙を渡している女の子たちもいたし、麗司さんに渡してくださいと手紙を棗に預ける人もいた。

「矢車さん、すごい人気だね」

「そんなことねーけど」

 僅かに頬を赤くしながら、棗は目線を逸らしてピアスを弄る。照れ屋みたいな棗の反応に、僕は少し親近感を持った。

「人気ある理由がわかるよ。だって、ステージすごく格好よかったもん! 僕びっくりしたよ。ライブってすごいね。別世界へ連れてかれたかと思ったくらい」

「……そう?」

「うん。もちろん他のバンドさんも格好よかったけど、僕はリジェクトに一番感動したよ。なんか……こう、心を持っていかれる感じ」

「マジ?」

「本当だよ。お世辞なんかじゃないよ」

 棗は一瞬静止して僕を見て、再び視線を逸らすと、ぼそりと呟いた。

「……ありがと」

 小さな声だったけど、僕の頭の中にずしんと響く言葉だった。頭の中で重たく、熱く響くその声をどう処理していいのかわからなくて、僕は曖昧な頷きを返すことしか出来なかった。

「えっと、えっと、うん……」

 そこからなんとなく言葉が続かなくなる。

 僕は手持無沙汰になって、髪飾りや胸元のリボン、フワフワした袖を必要もないのに何度も整えた。

 なんか。

 なんだろう。

 この居心地がいいような悪いような感じ。時間の流れが遅いような感じ。

 間がもたない。

 何か話した方がいいとは思うのに、何を話せばいいのかが分からない。棗との共通の話題というものが思い浮かばなかった。

 棗の方をちらっと見ると、彼女は彼女で衣装の包帯を引っ張ったり、耳のピアスに触れたりして少し困ったような表情をしている。

――やっぱり、何か話さないと……!

 僕は一つ息を吸いこんだ。

「あの」

「あのさ」

 僕と棗の声が二重音声のように被った。

「……あ」

「……えっと」

 勢いを殺がれて続きを発することができない。僕は対面する棗の瞳を見るのが、なぜか異様に恥ずかしかった。顔と耳が赤くなるのが分かる。それがまた恥ずかしくて、顔を俯かせた。

「何してるんだい?」

 僕達の沈黙を破るように、突然、しゃがれた女性の声が背後から聞こえた。いつの間にか、僕たちの後ろに多佳子さんが立っていたのだ。悪いことは何もしていないのに、僕はなぜだか肩がびくりと震えた。

「いや、えっと。今日の感想とか聞いてたんだ。な、優月?」

 棗が半分困ったような笑顔で僕にそう言ったので、僕は大きく頷いた。

「ふうん?」

 本当のことを普通に答えたはずなのに、多佳子さんがにやにやしているように見えて、僕は恥ずかしいような気持ちになって俯いた。多佳子さんは「ふふふ」と笑いながら、「ところで優月くん」と、僕に視線を向ける。

「そろそろ帰る時間じゃないのかい? 親御さんが心配されるよ。私が車で送っていこうか?」

「あ……ありがとうございます。でも、大丈夫です。一人で帰れます」

「そうかい? 遠慮はいらないよ」

「そうだぜ。乗せてもらえば?」

 僕は多佳子さんと棗に向かって、頭を横に振った。

「多佳子さんはライブハウスの仕事の責任とかあるでしょ。それに十五分くらい歩けば家に着くから。大丈夫です」

「そうかい? じゃあ気を付けてお帰り。今日はうちの仕事を手伝ってくれてありがとね、優月くん」

「お前、それ着替えてもセーラー服なんだからな。帰る途中で変な奴に声かけられないように気をつけろよ!」

 真剣な表情でそう言った棗の言葉に、僕は苦笑いを返した。

「うん。気を付けるよ」

「棗、他人事みたいに言ってるけど、あんたもそろそろ自分の部屋に帰る時間だよ」

「えー! ここからが盛り上がるところじゃん!」

 口をへの字にする棗の頭を、多佳子さんは軽くはたく。

「あんたも中学生なんだからここから追い出すわよ。学校の勉強もあるでしょう? 学校の授業をちゃんと受けてないんだから、家でくらい真面目に勉強しなさいね」

「……へいへい」

 いかにも不真面目な声で、苦いものを噛むみたいな渋い表情を作って棗は頷いた。多佳子さんは棗の態度に溜め息をついてから、さらに厳しい目付きになる。

「ついでに聞くけど、あんた私に隠れてまた煙草吸ったりしてないでしょうね?」

 多佳子さんの疑いの視線に対し、棗は急にいびつな笑顔を浮かべると、必要以上に激しく首を横に振った。

「そんな! 吸ってるわけないだろー? なあ、優月?」

 突然に話を振られて僕は面食らう。棗は笑顔だが、目だけが笑っていなくて、正直怖かった。

「え、えっと。はい……」

「ふうん?」

 多佳子さんは若干不信の表情を見せていたが、それ以上言及されるのが嫌なのか、棗は僕の腕を掴むと出入り口へ向かって引っ張り始める。

「ま、じゃあそういうことで! 中学生は帰ろうぜ、な、優月!」

「う、うん」

 棗に引かれて歩きながら後ろを振り返ると、多佳子さんは笑顔で手を振っていた。僕は、「何かしてもらったら、『ありがとう』でしょう」と多佳子さんに言われたことを思い出す。

「あの……多佳子さん、今日はお世話になりました。ありがとうございました」

 僕が言うと、多佳子さんは嬉しそうに頷いた。

「こちらこそありがとう。またいらっしゃいね、優月くん」

 多佳子さんが目を細めて笑った。僕は棗に手を引かれるまま、フロアから外に出る。閉じようとする防音用の分厚い扉の隙間から、僕は多佳子さんに向かって頭を下げた。

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