第六話 少年の決意
やっと泣き止んだ。目は泣き腫らして真っ赤になっている。ミツル君も木陰から出てきて、お姉ちゃんの手を取って心配そうな顔をしている。ミツル君の不安でたまらない顔から見ても、ミミちゃんがこんな風に泣いたりするのはほとんど無いのだろう。
抱きしめていた僕から離れて川原に置いた上着を拾い、こっちに振り返りながら着込む。まず両袖から小さな手のひらが現れ、それに次いで隠れていた頭がぴょこっと服から飛び出した。特に面白いことではなかったと思うが、ミミちゃんの目は笑っていた。中腰になっている僕と目の高さがほとんど同じだ。
初めて彼女の瞳に注目したのではないか。
…緑だった。
この自然を写したかのように、きれいな、きれいなグリーン。
思わず見入ってしまった。僕がじっと見つめたためか、それともはばからず泣き喚いたせいか、ミミちゃんはとても照れくさそうにした。
「えっとね」
ミミちゃんがさっきの話の補足をはじめた。
「ミミちゃんね、おっこちたときまで自分のお手手があんなのだなんて、しらなかったんだ。でも、それはみんなが同じだったみたい」
みんな?みんなって?
「だ、だれにもいっちゃダメだよ」
ミツル君がミミちゃんにかわって始めた。
みんなっていうのはケンキュウインの人たちぜんいんのことだよ。ぼくたちはうまれたときからずっと、ケンンキュウジョでしらべてもらってるんだ。ぼくたち、なんだかむずかしいビョウキなんだって。それで、ぼくたちのからだにかわったことがおきたりしていないか、よくしらべてもらってるの。おねえちゃんにあんなことがあってから、しらべることがふえてタイヘンになったけど。
それから、ぼくたちのほかにもしらべてもらってた子たちがいたみたいだけど、あったことはないよ。みんなよくなって、おうちにかえったってきいてるんだ。よくなったらぼくたちもほんとうのおうちにかえれるのかな。
…今までのことに加えこの話から推測できたことが幾つかあった。
研究所はおそらくあの洋館であると言うこと。
集められてきた子供たちを何らかの形で世間から隠す必要があるような研究が行われていると言うこと。
そして父が勤めているということから、何か生体内で通常の人間とは異なる物質が作られている、あるいはそれを必要としているような遺伝子疾患がある子供が対象であると言うこと。
ミミちゃんの腕もその病気の副産物に違いない。どんな病気なのかまったく見当が付かない。未知の、それも世間に発表できないほどのものだ。
自分がすべきことを見つけた、そんな気がした。
いや、気じゃない。絶対にやらなくてはいけない。
話も落ち着き、ミミちゃんの目もある程度赤みが引いたところで研究所に戻ることにした。ふと気がついてミツル君の瞳を見てみる。
彼の瞳は、赤い。血のような赤さではなく、ルビーのように澄んだ色。
二人ともとても特徴的だ。
洋館が見えてきたところで二人が僕の前に出た。そして振り向きざまに声を上げる。
「あのはなし、ぜったいヒミツだからね!」
ミミちゃんはすっかりいつものミミちゃんに戻ったようだった。二人で並んで、駆け足で洋館に入っていった。
元気な後ろ姿を見て思う。
あの子がいつも、いつまでも今のあの子でいられるようにしてみせる。
僕は滞在中洋館を探るようなことはせず、おとなしくしていた。二人との約束だ。それにもともとそのために来たわけではないのだし。十分に楽しませてもらおう。森の空気に触れ、せせらぎを身に染み込ませ、生命の声に耳を傾けて。
二日目には父がやってきた。実際は訪れた演技だったのだろう。大学での調子、家での調子、近況報告。実に当たり障りの無い内容だ。ミミちゃんに会った、ということは避けた。お互いボロが出る可能性のある話題はしないほうが得策だろうと考えたからだ。おそらく父もそう考えていたのだろう。自分がしていることに深く触れるような話題には、持っていかなかった。家族に少し嘘をつくことに罪悪感はあった。
しばらくすると、仕事が山積みだからもう帰らなくてはいけないと言う。家族にも秘密にしなくてはいけないことだって、まだまだたくさんあるだろう。
「たまには帰ってきてね」
そう声をかけて父の後姿を見送った。体にだけは気をつけてほしい。例えそれがどれだけ価値があることだったとしても、身体があってこそなんだから。父はいつもそこを後回しにしてしまっている。
その次の日、ミミちゃんとミツル君に別れを告げ、僕も洋館を後にした。母親に連れられ姉弟ならんで、僕を見送ってくれた。優しい笑顔に守られた二人は、それ以上に幸せそうだった。
「またきてねー!」
…ミミちゃんの大声しか聞こえなかった。