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第二十三話 やさしい世界

「痛っ!左手め…」

「あらら、来音ちゃん、やっぱりまだ包丁は無理よ」

 また怪我した。思い通り動かないくせに、感覚ばっかり一人前だ。握力は全然無いけど、指先は動かせる。なんとか吊ったままでも料理くらいできるように訓練中だ。こんな不自由なわたし一人で台所に立っていたら、何かの事件現場になりかねない。お母さんに付き添ってもらって頑張っている。

「それにしても…普通そんなに怪我したらあんまり包丁持ちたがらないものよ?」

「こんなの怪我のうちに入りませんよ〜。…っていうか、そんなこと言われるとちょっとヘコみます」

「あ、そんなつもりじゃなくって。左手が悪いのよ、これ!」

そう言ってわたしの左手をぺしん、と叩いた。力を込めていないので音だけだ。お互い笑顔で見合わせた。



「…うまいものね〜。器用よ、やっぱり。両手使えたらもっと良いでしょうに」

「動かなくなったのが利き手じゃなくて、ホント良かったです。あはははは」

 片手で卵を割り、菜ばしでかき混ぜ、手際よく流し込んで、フライ返しを持ったまま右手でフライパンを操り、ポンっとオムレツをひっくり返すとお母さんが褒めてくれた。まあまあ上手に形にできるようになった。庭木の剪定だって、花壇の世話だって、全部わたしがやっていた。このくらいなら朝飯前。

…実際料理はずっと食べる側だったから、ここにお世話になるまでやったことなかった。だけど宗久が喜んでくれるかな、と思ってチャレンジすることにしたのだ。


上手にできるとうれしい。食べて喜んでもらえると、もっとうれしい。お屋敷で料理をしてくれた人たちも、きっとこんな気持ちで毎日頑張っていてくれたんだね。





…本当にありがとう。








「おわあ!」

 小脇に抱えるようにして片手でノズルを操り、掃除機をかけていた時だった。うっかりコードを足に絡ませてしまっていたようで、つまずき、転びかけた。コードは引っこ抜け、掃除機は元気をなくした。

「あー、ったくもー」

コンセントにプラグを差し込もうとしたが、うまく入らない。ヘンな方向に曲がってしまっている。

「ありゃ…マズいなぁ。ペンチないかな…」

お母さんを呼ぶほどのことでもない。工具箱がありそうな気配のするところなら以前から目をつけている。一人でごそごそと漁っていた。


「いやぁ…これは…」

あるだろうと予想していた戸棚の下段の下の方に、工具箱らしいものを発見した。が、その上にはかなり物が乗っている。あまり使ってなさそうだった。上に乗っている物には重そうなものはあまりないので、何とか引き抜けそうだ。左肩で上に乗っているものが倒れてこないように押さえながら、慎重に引っ張り出してみた。

 途中、すこしだけダメそうな予感はした。が、多分大丈夫という根拠の無い自信をもって引き抜いた。途端にバランスを失い、どさどさと棚の中身が崩れていく。結局全部外に出てきてしまった。止めとけばよかった。

「あわ〜…」

「あらららら。すごい有様ねぇ」

工具箱を持って呆然としていたわたしの後ろ姿に、お母さんが声をかけた。

「あ…ごめんなさい。ペンチが入ってると思って探してたんですけど、別の仕事が増えちゃいました」

「大丈夫よ、気にしないで。この家じゃ使ってない物の上にはどんどん物が乗っていっちゃうのよ。来音ちゃんは悪くないわよ」

笑顔でそう言って、棚の中身を元に戻していった。

「来音ちゃんの左手は病気で動かなくなっちゃったんでしょ?今は無理していろいろやらなくても良いのよ。できなさそう、って少しでも思ったらわたしを呼んでくれて構わないの。

あなたのお母さんなんだから」



……



ああ、やっぱりこの人は、宗久のお母さんなんだ。わたしの心をとても落ち着かせてくれる。

そんな人に対して、わたしは嘘をついている。これからも…ずっと。








「…病気で動かなくなったんじゃ…ないんです。どっちかっていうと、逆…なんです。

弟を…殺して…たくさん人を傷つけてきたこの左腕が…

怪物にしか見えなかったこの左腕が、普通の、人間の腕に戻った途端こうなってて…。


……


たまに感じるんです。化け物の腕をしたわたしが本当のわたしじゃないかって…。

普通の人みたいに暮らしていると、お前は本当はこんなところにいていいモノじゃない、って左手が言っているような気がして…」





 気がつくとわたしは口を開いてしまっていた。宗久と、絶対の秘密として約束していたのに。

…喉が締まる。息苦しい。お母さんの目を見ることができない。

そんなわたしに、落ち着いた、なだめるような声がかけられた。


「…そう?そんな心配は要らないわ。こんなにきれいな心をしてるんだから。あなたみたいにいろんな意味できれいな子は、そんなにいないと思うわよ。

それからね、ここに居ていい、じゃないの。わたしたちがあなたに、ここに居てほしい、のよ。

それに…こんなにやさしい腕がもしもお化けみたいなのになったとしても、そのお化けの中にも来音ちゃんのやさしさが、ちゃんと入っているはずよ。


……


弟さんのことも、決して冷たい心でしたんじゃないでしょう?ミツル君、だったかしら。あの子は最期に何か言われた?教えてもらえるかしら」



わたしは、その一言をなかなか出すことが出来なかった。

一生懸命出そうとした。だけど、喉が締まって…。声が震えて…。

頬を冷たくぬらしながらがんばって、せっかく口から出てきたと思ったのに、それは聞くに堪えないほどバラバラで…。


だけどそれでもお母さんは責めもせず、目を閉じて頷きながら、その顔にはやさしい笑みをたたえていてくれた。



…ごめんなさい、ごめんなさい、本当に。




「…そう。光夜ちゃんが一番分かってくれていたみたいね。ふふふっ、ずいぶんお姉ちゃん子だったものね。あなたがそんな風に思っていると、悲しむわよ。

…心配しなくても、いいの」


胸を刺された気がした。



…ここが、そうなんだ。



わたしがいつも求めていた場所…

それはわたしの罪を、許されるはずの無い罪を忌避せず見据え、受け入れてくれる場所。

そしてわずかでも、わたしがわたしでいることを許してくれる場所。



 あの世界ではいつもみんな親切だった。わたしが笑うと、みんなも笑った。だけどみんなはわたしを恐れ、必ず一歩離れていた。

 だけど、わたしの居場所は確かにあそこにあった。ただ一人、わたしのすべてを包んでくれていた。そして、わたしが生きてきた歴史があった。

…十分だった。


 研究所では、わたしの存在をReineseeleと呼んでいた。どこの国の言葉だったのか忘れてしまったけど、けがれのない魂、そんな意味なのだという。こんなに醜く、罪を重ね続けてきたわたしが、そんなもののはずがない。悪い冗談にしか聞こえない。

…いつか、わたし自身が耐えられなくなりそうだった。だからいろいろなことをして、不安を忘れ去ろうとしていた。


特にわたしの内なる声に従っている時は何も考える必要がなくて、とても楽だった。

だが、それも次第に恐ろしくなった。大切な、大切なあの世界を、いつかわたし自身が壊してしまう。そんな気がしていたから。



そして…無くなってしまった。



 この世界はわたしを知らない。わたしの罪も、存在も。だけど、だからこそ、わたしの居場所はない。あの世界が終わってしまった時、この世界にわたしの居場所は彼のもとしかなかった。

だけどこの新しい世界では、いつもそばにいてくれた彼がわたしから離れなくてはいけない。一人でも、この世界にいなくてはいけない。


ここで生きていくことが不安でたまらなかった。

そんな不安もすぐになくなった。

日々が新しくて、楽しくて。

そんな不安を忘れさせてくれた。この世界もやさしかった。きっとここでも、生きていける。でも、それは…


わたしが嘘をつき続けることで、維持される。

そうしている以上、本当に欲しかった場所は得られない。だけど…

嘘をついていれば、壊れることはない。


もう、わたしの世界を壊したくない。たとえ嘘をついてでも…。

だけど、このままずっと隠していけるの?

もしも本当のわたしがあらわになった時、どうしたらいいの?


 夜になって、宗久の方が先に寝てしまった時なんかは、そんな不安がどんどん大きくなって、とても、とても心細かった。彼に寄り添い守ってもらい、ほんの少しだけ忘れさせてもらっていた。

…あなたのそばに少しでもいられるのなら、もしそうなっても耐えられる。



だけど、それもきっと嘘。わたしはなんて欲張りなんだ。

いつも、声にならない声で、枯れそうなほど叫んでいた。















そっとわたしの耳に声が届く。

「…もう、いいのよ、無理しなくて。きっとあの子もそう言いたかったから、あの時からずっと、あなたのそばにいたんでしょうね。昔っからやさしい子だったから…」

とても、とてもやさしい声だった。すべてを許してあげると言ってくれるかのように…。



彼以外の人に、初めて届いた。この世界に、居場所をくれた。

わたしはこの世界でも、ほんとうに生きていってもいいんだ。




泣き崩れていたわたしの頭に、そっと触れるものがある。


…お母さんの手だ。


小さな頃、わたしの傍にいてくれたお母さんとは違うけれど、わたしを守って、愛してくれる。

大好きなお母さん…


ありがとう…ありがとう…本当に…




子供のように顔をうずめて泣きすがり、甘え続けていた。

「ふふふっ。…それと、来音ちゃんのような子がお化けの正体だって言うのなら、たとえ見た目が怖かったとしても、全然こわくはないでしょうね。宗久が平気なくらいだもの」





…うれしかった。そして、おかしかった。






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