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第二十二話 新しい世界

「あらあら、宗久ったら」

「……」

「…あらあら、宗久ったら」


二度も同じことを言う。この次、母が何と言おうとしているのか簡単に予想が付く。この歳になっても、母にしてみたら子供は子供なのだろう。

「……」

「やっぱりお母さん間違ってなかったじゃない!えーっと、ミミちゃんだったわよね?何年ぶりかしらぁ。ずいぶん髪色変わっちゃったわね?でも、目でわかったわ!」

「あ、はい。…今は、来音、です。名前、変わっちゃったんです」

 私は来音を実家に連れて来た。もうあそこで暮らすことはできない。来音も離れることを決心した。だが彼女を突然外の世界に放り出すことも難しいので、何日間か町のホテルの一室に匿い、その間どうしようかと考えていた。すると、私の実家に行くと言い出した。

 当然私もそれも選択肢の一つとしてあげていた。よく考えた。リスクは高いだろうが、木を隠すなら森、ともいう。人の多いところの方がかえって目立たないかもしれない。


…理事会には、来音は死亡したと報告してある。死亡し、身体は光夜のように結晶化して砕け、サンプルが残せなかったと報告した。実際私が彼女を病院に運んだところを見た施設関係者は皆無だ。誰も真相は知らない。


「そう、来音ちゃんって言うの。響きもかわいいわね」

「ありがとうございます!…宗久がつけてくれたんです。すごく…気に入ってます。

…あの!しばらく…お世話になってもいいでしょうか?」

「いいわよ、いいわよ!あなたみたいな子なら大歓迎よ。帰ってきたらお父さんもビックリするでしょうね〜。宗久が女の子連れて帰ってきたなんていったら!それもよりによって…ふふふふ」

 もともとプロジェクトの参加者である父のことも気がかりではあった。今は理事会のメンバーでもある。だがおそらく大丈夫。父はプロジェクト続行反対派だ。

…それはあくまで非人道的だとか、そういうことではない。これ以上単一の個体からデータを取ることに意味が無い、そして再現性を持たせ、制御可能な状態で新しく作り出すことが不可能であるならば、巨額の費用をつぎ込むだけの利が無いという、理想論を抜いて現実を見た、いたって研究者的、運営者的な結論だった。

 そのような意識に対してはやや反論したくなるところもあるが、今では研究素材として来音を見ない父ならば、この娘を再び理事会に突き出すことはないだろう。そういう事もあってむしろ実家ならば安全だと考え、連れて来た。


残る問題は…母の冷やかしだけだ。だというのに、来音があえてエサをまく。

…わかってやっていないだろうか。


「あと、…お母さん、って呼んでもいいですか?」

「あら…。もちろんいいわよ! …宗久、あとでちょっとおいでなさいな」






 父も帰ってきた。来音が家にいるのを見て、目を丸くして驚いていた。当然だ。それをみて母も笑っていたが、父が驚いているのは別の意味で、だ。すぐに私を部屋に呼ぶ。

「宗久…何故No.0033が家にいる?本当にNo.0033なのか?お前が死んだと報告してきただろ」

「父さん、もうあの子をコードで呼ぶのは止めてくれないか。それに前から言ってるじゃないか、来音、と名前をつけたって…。

No.0033は…もう死んだよ。あの日、施設を放棄した時に。あの世界と一緒に…。

 目の前にいるのは、少し過酷な運命をやっと乗り越えた、ただの女の子だよ」

「本物…なんだな。

…死んだ、か。まあいいだろ。どの道これ以上データを取っても意味が無いしな。

…No.0036の死も目の当たりにさせた。今まで本当に辛い思いをさせた…。もう、これ以上の犠牲を出すことに意味が無い、か」

「父さん?」

「いいぞ。この家においてやっても。適当に戸籍も用意してやろう。なぁに、もともと国の機関だ。それくらい改ざんは利くさ。全員が全員プロジェクト継続派じゃないからな」

「…いいんだね?本当に。」

「…死んだんだろ?被検体No.0033は。あの子はNo.0033じゃなくて、来音。なんだろ?」


父の目を真っ直ぐに見ることができない。…誤解していた。今、こころから感謝している。…本当にありがとう。



「しかしなぁ、お前…。まぁ以前からお前にしかなつかなかったから、怪しいとは思っていたんだが…。インヒビター使ってたから、ほとんど高校生だぞ?」

またそれか…。さっき母にも言われたばっかりだ。成長抑制因子を使っていたことは知らないから、実年齢より若い来音を見て、私から危ないことをされなかったか、と失礼なことを聞いた。

 というか、そんなに悪いことなのか?わずかな時間だったが、感謝の気持ちは撤回させてもらおう。


「…っと、そうだ。宗久、ひとつだけ聞いておきたいが」

何だろう。部屋を出ようとしたところで声をかけられた。

「あの子、まだ変異できるのか?」

「それが…できないんだ。本人がどれだけやろうとしても」

「そうか。その影響、か?どう思う、あの子の左腕…」


…わからない。

銃弾がえぐってはいたが、その場所は筋肉も厚く、神経自体は損傷を受けていなかった。それに、神経機能は生きている。まったく普通に感覚もある。反射もある。指先だけの、力を必要としない繊細な動きなら可能だが、物を持ち上げる、体重を支えるといった腕力の使用はほとんどできない。自分の腕すら十分に曲げられない。

 まったく謎だった。…施設が生きていれば、この変化も検査できただろうに。


「…まあ、あれだけの物を宿していたんだ。何かしらの反動だろう。いずれ良くなるんじゃないか?…崩壊はもう、無いんだろう?」

「…前までなら…。だけど、今は…」

一度DNAレベルで定着した因子がそんなに簡単に脱落するとは考えにくい。考えにくいのだが、あれだけの出血を起こし消耗していた身体で長時間の全身変異を行い全力で戦ってきた。変異が保てなくなるほど消耗して帰ってきた。このことがどれだけ影響を与えたのか、見当が付かない。今のこの状態は崩壊の前兆であったりしないだろうか…。


だが、もう調べる手立ては無い。



…でも、だからこそ、笑っていてあげたいんだ。もし、その時が来るとしても…

あの子が少しでも長く、笑っていてくれるように。








 私が父の部屋から出て階下に行くと、母と来音が楽しそうに話をしている。

「…へー。そうなんですか、昔っから」

「そうそう。それに高校生になっても好きな女の子の一人もできなくって、母親としてはドキドキしてたのよ。ひょっとしてあっちの方に行っちゃったりしないかって」

「ちょっと!何話してんだよ!」

目を離している隙にとんでもない話になっている。本当にとんでもない。

「あら宗久、お父さんとの話は終わったの?」

母は何食わぬ顔をして私を迎えた。

「終わったけど…その間にあることないこと来音に吹き込むの止めてくれよな、まったく。何言われてた?」

「宗久の秘密」

「え?」

なんだろう。来音がちょっと冷たい目線で私を見ている。そしてすごいことを言う。


「宗久って幼女趣味だったの?」


「母さん!おかしいだろ、そんなめちゃくちゃなウソ人に言うの!しかも実の息子をおとしめて!…ホンキで信じてないだろうけど、来音もこんな人の言うこと、信じちゃダメだよ」

おそろしい。本当におそろしい。

「でも子供になつかれちゃうのは昔から変わらなかったじゃない」

「それにー…はじめて会った時ってわたし…」

「は?!ちょっと、来音も飛躍させすぎだって!まぁ、子供の時からかわいい子だなと思ってたけど…いやいや!それとこれとは話が別だよ。年齢差はたまたまじゃないか」

「その歳になってもムキになって否定するって、あやしいわよ?」

…はあ、ああ言えばこう言う。疲れる。本当に疲れる。


 弁解というか証拠の提示というか、かけられた疑いを晴らさんと、私と母の間で激しいやり取りを繰り広げていた時だった。

「…うれしい」

来音がぽつりとつぶやく。耳ざとく母が気づき、どうしたのと聞く。

「こういうの、家族なんですよね。わたし、随分前に一人になっちゃったから…。お母さんもいなくなって、弟も…死んじゃって…。

…うれしいんです。…あの、本当にわたし、ここに居ていいんですか?」


今までの悲しかったことを一度に思い出したのか、急に涙目になり、声が震えだしてしまった。

「居させてください…お願いします…」

「…もちろん!むしろ居てもらいたいわ!女の子欲しかったのよ〜。いつの間にか言うこと聞かなくなっちゃった宗久に飽きてたのよ。今でも反応は面白いけど。小さな頃は素直でかわいかったのにね」

「…まったく。来音をおもちゃにするのは止めてくれよ、母さん…」

来音が緑の瞳を潤ませながらも笑っている。あまり深く考えすぎない母のおおらかさは、彼女の支えになってくれる。そう思い微笑んでいると、来音に言われた。

「ね、宗久。言い返さなくていいの?」

「何が?あ、…もういいや、疲れたから。飽きられたって言うなら、それでもいいよ…」






数日後。

「ただいま〜」

 長い金色の髪を、大きくゆるく三つ編みにされた来音が母と一緒に買い物から帰ってきた。左腕は相変わらず首から布で吊るしている。右手には紙袋をいくつか提げていた。

「すごいね!車の中からだけじゃわかんなかった!あんなに人がいるんだね!」

何だかものすごく興奮している。どうやら買い物に出かけたとき、街にあふれかえる人の多さに感激したらしい。そういえばこっちに連れてきたときも、車の中から窓の外をずいぶん熱心に見ていた。

「あんなにたくさんいるなんて!お屋敷に一番近かった町なんて全然、ぜんっぜん!比較にもならないよ!人がいないところが無いもん!どの道にも人、どの角にも人、どの建物の中にも人、人、人!」


私たちにしてみたらそれがもともと日常だったわけで、感覚がまったく逆だ。


「来音ちゃんごきげんね。よかったわ〜、街に連れ出してみて。日曜日なんかはもっともっと人がいるのよ。そんな日はたいへんだから、今日出て行って正解ね」

母も両手に紙袋を提げている。玄関に上がろうとしているふたりの持っている大量の紙袋を受け取った。

「そんなにたくさん何買って来たんだい?うお、全部…服?」

「そーよ。来音ちゃん女の子っぽい服あんまり持ってなかったみたいだから。やっぱり研究室にこもりっぱなしの男たちじゃダメねぇ。女の子にはオシャレしたいお年頃だってあるのよ?」

そんなことを言われても、私ではどうしようもない。そういう気持ちはわかるのだが…。こんなとき女親というのはありがたい。いっぱい気に入った物を手に入れられて、来音はとても満足そうな顔をしていた。

「あ!そうだ宗久、これあげる!」

「何?…まだ…あったんだ、コレ」

たくさん加工を施した、小さなシール状の写真。プリクラというやつだ。おどろいた。いまだ現役で、しかも私が知っているものよりもはるかに細かな工夫と派手さが増している。写真を撮るのも好きだった来音はいたく気に入ったようだ。

「ただ撮るだけじゃなくて、その写真で遊べるのがすごいね!街って面白いのがいっぱいあるね!

すごいなー。外の世界は外の世界で楽しいことがたくさんだ!」

順応性の高い彼女はどこの世界でも楽しんでいける。来音自身は不安に思っていたようだが、私はわかっていた。彼女の笑顔が絶えることはもう、ない。


ふたつの笑顔を同時に見て、私も嬉しく思っていた時だった。

「そうそう、お支払いは宗久のカードでしておいたから」

「え?…あ!いつの間に財布から!ちょっと母さん!」

「いいじゃない、あなたのコのお買い物なんだから」

そういう問題で怒っているのではないのだが…。




 こんな昼間に、それも平日に私が家にいる。そう、私は辞めたのだ。もはや、あのプロジェクトに居る意義がない。


被検体No.0033は、死んだのだ。


 再就職先は父のコネによって父が以前勤めていた製薬会社を薦められた。近いうちに再び働き始める。今は暇にしている。今まで休まず働き続けてきた。九年ぶりの長期休暇といったところか。

…あの研究所での日々を、仕事だったとは思っていない。これが私の人生そのものだった。二人を助けると決めた時から。だが私は自分の無力さを思い知った。だからこそ残った一人を心から愛し、それからも私は彼女のために人生をかけた。

それで、満足だった。


「ほら!こっちもかわいいっしょ!…うーん、やっぱり左手よね、問題は。でっかいままじゃなかっただけマシって思うべきなのかなぁ」

「?でっかい?」

「あ!いや、お母さん、病気で左手だけすっごい腫れちゃってたんですよ〜。宗久が薬を作ってくれて、治してくれたんです。ほーんと、助かっちゃった」

来音がこっちを見て、口が滑った、と侘びるように笑ってごまかした。



次はこの服、今度はあの服。

華やかに着飾っては、とてもうれしそうに何度も何度も、私に見せる。くやしいことに私はうまく言葉で褒めることができなかった。

それでも彼女はとても明るい笑顔で、満足そうに私を見ていた。



…本来ならば私の愛、恋は実らぬはずだった。いつの日か彼女は、私のもとから自ら旅立つ。例えそうであっても、私の想いは十分だったはずだった。

だが、彼女はいつまでも旅立つことはなく、最後まで私とともに居た。


…それが彼女自身の幸せだったと言って。




彼女の名前は、私がつけた。この娘のもとに、あらゆる祝福があるように、と。

この笑顔を見て、心から思う。


私の願いは、少なくとも今、天に届いてくれている。

そして、このような私にも光が差し込んでくれている。




私はずっと気づかなかった。今までも、そしてこれからも、幸せでいて良いのだと。




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