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第二十一話 さよなら

身体を起こしてもらった。ベッドのネームプレートを見る。


 佐井来音 様


なんだか嬉しい。彼もすぐそばにいる。


なーんだ。やっぱり夢じゃん。やけにリアルで怖かったな〜。

「ねぇ。お医者さんに、お兄ちゃんがわたしをここに連れてきた、って聞いたんだけど?」

「ええ。私です。敵兵が引き返していき、こっちの部隊もデータを回収し終わり施設を放棄した後も、待っていたんです。

 来音が、行ってくる、必ず戻るという目をしていましたからね。皆が去ってから洋館の前の森で倒れていた来音を見つけて…。また同じところから出血していたので、慌てて車を出して病院に連れてきたんです。医療チームも避難しきってしまっていましたから。


…脈も、弱くて…。


今度はもうダメじゃないかと思いました。来音の生命力の強さに、救われましたね」


 そうか。お屋敷を目にした時、一瞬目の前が暗くなった。あの時にはもう気を失っていたのだろう。本当に夢で良かった。

「なんで…お兄ちゃんなの?」

「もとからそうでしょう?それに一番怪しまれません。ただでさえ不審な大怪我ですから」

「… ……ふでもいいじゃん…」

「え?何か言ったかい?」

「何でもなーい」

「そうそう、向こうから持って来ましたよ。ほら。置いて来ちゃいましたからね」

そう言って差し出してくれたのは、わたしが読んでいた小説だった。両腕が重たくて受け取れないので、膝の上においてもらう。

「お!ありがと。指くらいなら動かせるからなんとか読めるよ。またしてもいいところで止まってるんだよね〜♪…ごめん。腕、あげて。重くて上がらないの」

手助けしてもらって腕を身体の前にやり、本を開いて、ごきげんに続きを読み始めた。…ふりをした。

うまく…言えないな。機会を逃しちゃった。夢ではあんなに言えたのに。



 十日後、退院した。思うように動けなかった時、特にベッドから出ることもままならなかった間はまた本を持ってきてもらい、それで暇を潰していた。お腹の傷もふさがった。あーあ、目立つほどじゃないけど痕が残っちゃった。ご飯も普通のものを食べられる。立って歩き回ることもできる。…だけど、左腕だけがうまく動かない。首から布で吊っている。お医者さんは神経まで達するような傷じゃないって言っていた。




じゃあ、なんで?

この腕はわたしの中で、いや、すべての生き物の中で一番丈夫なはずなのに。



まるであの夢の続き…。

怖い。今、砕けてほしくない。







 だけど怖かったところは全部夢だったんだ。彼の話からすると、わたしが追い返して帰ってきたところまでは現実だったようだ。頑張ってきたんだし、敵も全部追い返した。怖かったあの時を過ぎた今、わたしにあるのは達成感。それにちょっとウキウキしていた。やっと帰れるんだ、そんな気持ち。しかし、彼の様子は少し違っていた。なんだろう。










「着きましたよ」

 座っていた後部座席の扉を開けてもらい、外に出た。それから少し歩いてわたしたちは戻ってきた。二週間前まで当たり前のように、いつまでも続くはずのわたしの日常があった、わたしたちの家に。

「ここ…?」

それだけしか言えなかった。こんな話、聞いていない。



 わたしが手入れしてきた庭木たちはもう見る影もない。銃弾に、爆風に、めちゃくちゃにされてしまった。

 季節ごとの花たちを大切に育ててきた花壇は、アーミーブーツでさんざん踏みにじられてしまっている。

 あんなに綺麗で、建物自体も喜んでいるように見えたその姿は、砂埃を嫌というほど浴び、炎で焦がされ、壁のいたるところに銃痕を残し、窓ガラスは砕けるかひびが入って無事な物はほとんどない。


…苦しそうだ。




 涙がこぼれる。ここは確かに、わたしたちが暮らした家のはずなのに。ほんのわずかな時間で、すべてが嘘のように崩されてしまっている。


「ごめんね…ごめんね…」

とんだ笑わせ者だ、わたしは。全然間に合わなかった。

わたしが殺してしまった。大切なものを、また…

悲しくて、悲しくて…立っていられない。しゃがみこんで泣いているそんなわたしを抱えるように支えて立ち上がらせてくれた。


 大きな扉を押し開ける。

「…ただいま〜」

正面ホールにわたしの声だけが、静かに響く。今までなら何かしら音がしていて、そこには生きている感覚が必ずあった。


だけど…ここには、ない。


「…おかえりなさい」

不意にわたしの耳に、やさしい声が届く。目には涙がたまっていたが声のした方を見上げ、笑ってみせた。



 お屋敷の中は、外観に比べて案外綺麗なものだった。攻め込まれる前にわたしが追い返すことに成功したからだ。階段を上って、わたしの部屋に入った。

「ここはあの日、出て行った時のまま…。やっぱりここで…暮らしてたんだよ、わたしたち」

たんすを開けていつものように服を選び、積まれたままの本を本棚に戻し、新たに取り出した分厚い本を机の上に広げて並べる。今かけている眼鏡を外して、引き出しの中にあるお気に入りのひとつにかけなおして、ベッドの中にもそもそ入る。

「…寒いね。いつも、あったかかったのに…」

もぐりなれたベッドの中に入って、背を向けた。


あれは夢だった。だけど、これは…

押し殺せない気持ちが、あふれてくる。


「…死んじゃった。わたしの世界が…。ここにあったものが全部思い出になっちゃって…。もう、戻ってこない。


……

ねえ、誰のせい?誰が…悪いの?

わたしは毎日が検査検査で、時々追い払いに行っての日々だってかまわなかったのに…。

みんなが居て、わたしが生きてきた空間と、思い出と一緒にいることが嬉しかっただけなのに…。

どうしてわたしが、それでもいいって望んだ世界が、殺されなくちゃいけなかったの…?」


一度あふれ出したわたしの思いは、もうき止められない。


「わたしが留まろうとしたことがいけなかったの?

ここに居なければ、わたしの世界は死ななくてすんだの?

じゃあ、わたしは… どこに行けばよかったの…?

わたしは…わたしにはここしか無かったのに…。ここなら、安心できたのに…」

何を言っているのか、もう全然わからない。そんなわたしのすぐ傍で、わたしと同じくらい苦しそうな、喉の奥から搾り出すような声がする。

「…私が… 僕が、悪かったんだ。そんなに来音がここに居たいと思っていただなんて、思いもしなかった…。

僕は、来音がここから出て行くことばかりを望んでいた。正直チャンスだと思ったよ。

それに、少し嬉しかったんだ。…これで来音もきっと諦めがつくだろうって…

でもこの現実は来音にとって辛いことでしかなかったなんて…

ごめん、気づかなかった…」


わたしの弱気をかばってくれなくたっていいよ。


そういって見せるために、涙をぬぐう。

「何も悪くないよ。すごく嬉しかったもん。ずっと、ずっと…。

そう、初めてここに来てくれた時から。わたしと光夜を、大切にしてくれた。

お母さんがいなくなっちゃってからもこの家に来てくれて…ずっと居てくれるようになって。

こんなにやさしい人がいてくれる。二人ともすっごく嬉しかった。

その時からずっと、ここがわたしたちの世界…


だけどわたしが世界を壊してしまった…

みんなが怖がるようになったのに、それでもずっと変わらなかった。


…ううん、今まで以上に、光夜の分までわたしを大事にしてくれた。

でも、ごめんね。そのことが…始めは辛かったんだ。当然わたしのこの世界にいることも。

もう出て行きたい、終わりにしたいって思ったこともあったんだよ。

…だけど、だけどね」

もう涙はたまっていない。ベッドから完全に抜け出した。

もうひとつのわたしの思いも、もう抑えなくていい。ベッドに腰掛け、少し見上げて目を合わせる。



「宗久がいてくれたことが…何より嬉しかった。

だからこの世界にいることが、一番嬉しかったんだ。

あなたがいてくれたから… ずっとここに居たかった。

今度こそわたしの大好きな世界を、壊したくなかった。


…でも、壊れちゃったね。残ったのは…」


立ち上がって身体を預けた。わたしの身体をしっかり支えてくれる。…どうしてこんな大事な時に左腕はしっかり動いてくれないんだ。仕方ないので右腕だけで抱きしめる。

…これはこれでいいや。とても落ち着く…


「残ったのは… 大好きな、宗久だけ…。

愛するあなただけが、唯一残った、わたしの世界…」


何も言わずに抱きしめてくれた。やさしく、柔らかに。そして、とても強く、強く…。

とても…言葉にできない。











ずっと前から隠して持っていた素直な思い。

いつかわたしに自信が持てたら、と自分と交わした約束。



とても寂しい場所だけど…やっと、やっと言えた。

















もう、誰も居ない。ここにはもう、取りに来る価値があるものは無いのだという。

「本当にそうなの?」

「少なくとも研究としては。だけど…」

確かにここには、わたしも持っていくことのできる価値はない。

…大きすぎて、重すぎて。簡単に持って行くことなんて、とてもできやしない。だから、ほんの、ほんの一部だけを持っていこう。


「…あった」


机の上で広げた。

「懐かしいよね…。はじめの方は、宗久の知らないのばっかりだろうけど」


 わたしが本棚から引っ張り出したその本はアルバムだ。今まで撮られてきた枚数に比べて収められている写真の枚数自体はそんなに多くない。だけどそこには、小さな頃のわたしや光夜、一緒に写っているお母さんがいる。ずっと前に無くしてしまったわたしの家族。施設のいろんなところで、いろんな人と笑っている。たいてい光夜はわたしの後ろにいるけれど。

 森や、川に行って遊んでいる。たまに来ていた、今よりもずっと若い宗久がいる。綺麗な姿のお屋敷が、庭がある。少しずつ大きくなっていくわたしたちがいる。怒っていても、泣いていても、笑っていても、どの表情も、生きていた。

 ある一時期まったく写真がなくなるが、それからはいっぱい増える。わたしが写っていたり、宗久が写っていたり、ほかのスタッフが写っていたり。


だけど…あの子だけは、どこにもいない。それが今でもとても辛い。



…わたしの世界は、確かにあった。嬉しく、楽しく、辛く、悲しく…。

わたしをかたどるすべてがここにある。ここから持ち出すことができないくらい大きく、重たい。そのわたしの世界のほんのわずかを切り取った、このアルバムを持っていく。








無くても、忘れるはずがない。





だけど、より鮮明に、生き生きと、



ここにあったと、示すんだ。







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