第十八話 彼女の戦争
「通信役は…」
来音は木の上にいた。太めの枝の上にしゃがみ、眼下にわらわらと群がる侵入者の中にいるはずの通信兵を探していた。左腕の変異は解いていたが病衣の背中は裂け、二本の異形をそのまま従えていた。少しだけ辛そうな顔をしている。両手で腹部の傷を押さえ、かばっていた。
「…いた」
そうつぶやくと右肩の腕を伸ばし、一瞬にして標的を軍勢の中から引き抜き、虫の腕で胸を貫き絶命させた。びくんっ、と一瞬はねたが声は上がらなかった。非情であったが目はいつもの、人としての彼女の目。だが強い意志が込められていた。
彼女はいつも見ていた。ヘルメットを被ったまま受信機の類のものを手にせず侵入者が会話を交わしているところを。ヘルメットを奪う。だがそれだけでは通信できないだろう。しかし彼女は本当によく観ていた。通信兵は他の者とは異なり本部と繋がる通信機の本体であろう小型の機材を背負い、胸の辺りに操作装置と見られる小型の機械を持っている。迷うことなく機材を奪いジャケットを漁り、操作機を奪いその場を離れた。血を噴き出しながら木の上から通信兵が落下する。軍勢にはパニックが起こっていた。
「…あー、あー。聞こえますか?」
落葉しない木の枝に隠れ、ヘッドセット型のイヤホンとマイクで交信している。緊急事態とはいえいくらなんでもついさっきまで全く知らない男の被っていたヘルメットを被って通話する気は起きなかった。そのため解体して必要な部分だけを取出したのだった。実はこの通信機は三台目だ。最初の通信機は破壊に失敗して通話部が粉々になった。二台目は本体の操作の仕方がわからずいじっているうちに落としてしまった。拾いに下に下りるのは危険かもしれなかったので泣く泣く次のを探すことにした。
体重を預けられる太さの枝がなかったため左腕で木の幹を掴んで身体を支え、右手でボタンを操作している。通信機からは多分英語での会話が返ってきた。おそらく本部とつながっているだろう。
「日本語がわかる人…いるでしょ。代わりなさい」
日本語による返事が来るまで何度も繰り返した。
「代わった。あなたは何者ですか」
片言の日本語が聞こえてくる。
「わたしはあなたたちの探してる… …化け物よ。すぐに戦闘を止めなさい。そうしないとそこの本部に居る人間、全員殺すことになる。10分だけ待つ。10分経っても兵が退かないようなら、その時は覚悟するのね」
用件を伝えると一方的に通信を切った。その後空を見上げた。
「そう…化け物だよ、わたし。この腕は…弟の腕…。いっしょにいてくれるけど、あの子のものなのにわたしが取り込んだ…。今からやることだって…。やっぱり化け物だよ…わたし」
諦めたように声を出し、嘲笑するかのような顔をしている。目に浮かぶ涙を振り払い、その木を後にした。
幹は握りつぶされ、おかしな方を向いていた。
あれだけの人数を動員するには、相当な大きさの車が入れる道路が必要のはずだ。洋館の立地上、それだけの道路が走る場所は限られている。そして昨日、一昨日の小部隊との遭遇。その位置から、本隊を送り出しただろうおおよその方角がつかめる。傷が痛むのだろう。腹部を押さえながら枝から枝へ、飛ぶようにして移動していた。
警告の10分を過ぎたが、兵が退いていくようには見えなかった。通信機を取り出す。
「あー、もしもし?」
向こうから片言の日本語で何かしらの返事があったので続けた。
「…10分経ったわ。警告はしたわよね?これからは殺されても文句はなしよ」
そう言って通信を切った。しかし、本部を発見するのにはまたさらに20分以上を要した。彼女の顔には明らかに焦りが見えていた。
「あの車の中…なのかな?」
道路の左端に止まっている大型のトレーラーの周りを、銃を持った兵士が何人も警備していた。近くに大きなバンも止まっている。突然飛び出すのは不利と見て、枝の間から隠れるようにして様子を伺いどう出るか思案していたその時、一般の車両が通っていった。もともと車通りが少ないためか、この道路を通行止めにしているわけではないようだ。
「これは…使えるかも」
そうつぶやいて、また移動した。
道路の向こうの方から黒い髪をした背の低い人間が歩いてくる。格好は異常だ。破れた病衣をまとっている。その人間は銃を持った外国人の男に声をかけられた。
殺しにくる、と化け物と名乗る者から宣告を受けている。非常にぴりぴりした雰囲気だ。しかし早口の外国語で、その黒髪の日本人は理解できていない。首をかしげている。もう一人の兵士が割って入った。おそらく、きっとコイツは頭がイっちゃってるから相手にしないほうがいい、そんなことを言っていたのだろう。
黒髪の日本人に向ける意識が緩んだその時、その人間が動いた。自分より背が高く体力もありそうな兵士に打撃を与え、銃を奪い二人を射殺した。銃を捨て兵士が腰につけていたナイフを奪い、すごい速さで別の兵士に接近し、あっという間に喉を深々と切り裂いた。噴き出す血が周辺を赤く染める。その血しぶきにあっけに取られていた兵の一人には、今しがた男の喉笛を掻っ切ったナイフを投げつけた。腿に突き刺さりくず折れる。さっきとは別の銃を拾い、地面に這いつくばった兵士にとどめを刺す。
あまりにも一瞬の出来事で、訓練しているはずの彼らのうちの誰もが、一歩も動くことはできなかった。
すさまじい動きを見せた日本人が腹部を押さえひざまずき、動きを止めた。病衣に血が滲んでいる。異形ではないが、それは来音だった。ことの重大性にようやく気づいた警備に当たっている他の兵士たちが彼女を囲み、銃を構える。うずくまる来音の背中から虫の足のような腕が生え、ひと薙ぎした。兵士たちの上半身は地面に落ち、腕をつけたまま銃が落下した。
一丁の銃がタタタっと暴発した。落ちたその拍子に付いたままの指が引き金を引いたようだ。離れたところにいた兵士が突然倒れた。倒れたところから血が広がっていく。偶然流れ弾が当たったらしい。
「うあ!」
来音が悲鳴を上げた。一発が来音の右腿を掠め、一発が左肩を抉った。血が染みていく。しかし大した量ではない。痛みに耐えて立ち上がり、右肩の機械の腕を作り出した。
離れていたため両断を免れた兵士の一人が慌てて大き目のバンに駆け寄り、後部の扉を開ける。中から巨大な銃器を取り出す。ロケットランチャーだ。それをかまえ、引き金を引く。煙を吐きながら弾頭が迫る。機械の腕が鞭のようにしなり、下から弾く。行き先を見失った弾頭は宙で少し迷走した後、森に向かって飛んで行き視界から消えた。大きな爆発音が響く。
彼女に対して引き金を引いた兵士は恐怖のあまり奥の手を放り出し、背を向け道路を走って逃げていった。左手で腹の、右手で左肩の傷を押さえながら歩き出し、トレーラーの間近までいった。トレーラーにもたれ、少し休むと左腕を変異させた。
何もできなかった二人の兵は立ち尽くしたまま、その姿に恐怖し震えていた。戦闘意志はもう無い。彼らの方を見て少し哀れんだように、もう何もしないとでも言うかのように疲労したまま微笑み、右肩の腕で軽く払って路肩の林の方へ押し出した。林に転げ落ちた二人もすぐさま逃げていった。
機械の腕を使ってトレーラーの屋根によじ登り、座りこんだ。右手で押さえている赤い染みが大きくなっている。呼吸も少し荒い。左肩の傷は腕を変異させたときに塞がってしまったので今は出血していない。背中の腕を屋根から突き刺した。ほんのちょっと休んだ後、左腕でトレーラーの後部扉に爪を立てこじ開け、引きちぎった。重そうな鉄塊となった扉をそのまま投げ捨て、中にロボットアームを差し込む。少しして右肩の腕を外に出すと、その三又の先端には人間が一人挟まっていた。悲鳴を上げ、もがいている。
「警告通り、殺しにきたよ」
美しい顔でやさしく微笑むと、騒いでいた人間は一瞬言葉を失った。右肩の腕に少し力を入れると、砕けるような、軋むような音がして、トレーラーから釣り出された人間は動かなくなった。潰れた肉を放り込み、声をかけた。
「さあ、こうなりたくなければ全軍退かせなさい。今すぐ。そして…二度とこんなこと、させないで…」
返答がない。ひょっとすると今握りつぶしたのが、さっきまで片言の日本語で返事していた者なのだろうか。そうだとするとちょっと厄介だな、と来音が困った顔をしていると、大声で返事があった。
“ O.K.! O.K.! Please wait! Now we do! ”
来音にはよく伝わっていないようだったが、O.K.という言葉だけはわかったようで、それ以上は何もしなかった。しばらくトレーラーの上で様子を伺っていた。右肩の腕はトレーラーの中に入れたままで、いつでも殺すことができる、と脅しをかけていた。休んでいるのに彼女の呼吸はやはり荒く、治まっていない。
洋館の方からひときわ高い音のする花火のようなものが打ちあがる。きっと帰投命令だろう。腕を引き抜き、確かめに行くために立ち上がった。
少しだけよろめく。彼女が座っていた部分に、わずかだが赤い跡が残っていた。
森の中に入り洋館に向かう途中、眼下には兵士たちがわらわらと戻っていく景色が広がっていた。
「やった…勝っ、たん だ…」
声も弱々しく、今にも意識を失いそうだ。気力だけで痛みと出血に耐えていた。彼女の着ていた破れた病衣は赤に染まっている。滴りそうなほどに染みが広がっている。
「待ってて… 死なないって…約束した…から…」
気力を振り絞り、いつも佐井が待っている彼女の家に必死に帰っていった。
枝を掴む機械の腕が握力を失い、すべり、まだ少し湿っているやわらかい落ち葉の床の上に倒れた。彼女の意思に反して小さくならずに右肩の腕は砕けた。消耗しきって、もう変異を保つこともできない。髪も金色で長かった。
しかし残った力を振り絞って立ち上がる。足を引きずり、右腕で左肩を、左腕で腹を押さえ、移動することすらままならない。でも、懸命に、懸命に前に進んでいく。緑の瞳に戻ったためか、視界もほとんどぼやけて、はっきり見えない。だというのに、彼女はやわらかい表情をしていた。
「きっと… 言えるはずだよ…。そしたら…なんて言ってくれるかな…えへへ…」
森が開けた。ぼんやりとだが彼女の家を目にし、一瞬目の前が暗くなった。頭を振る。安堵のため途切れそうな意識の中、最後の気力を振り絞り、佐井を探す。響くような痛みがあるが、必死に彼の名を呼んだ。返事がない。だが絶対に居るはずだ。佐井が自分との約束を破るはずがない。きっと彼だけが知っている安全なところで待っているはずだ。
そう信じ、声を上げて探し続けた。