第十七話 ヒト
「おい、あの化け物を出せ!持ちこたえられん!」
無線から怒声が聞こえる。
「今は無理だ。何とか耐えてくれ」
「ふざけんな!数が多過ぎんだ!今出さなかったらどっちにしても攻め込まれる!お前みたいな研究者にこの現状がわかるってのか!!」
血まみれの来音が戻ってきてしばらく後に大部隊が押し寄せ、夜明けとともに攻撃が開始された。接近はわかっていたが数が多すぎた。来音が押さえたのは施設に向かっていた先行部隊のたった一つに過ぎず、相手にとっては取るに足らない損害でしかなかった。むしろ一つの部隊と引き換えに来音を手負いにすることができたことは大戦果とも言えるだろう。
警備部隊が全力で応戦し、施設の敷地内にはまだ侵攻を許していない。しかしこのままでは数で押し切られる。そう、三年前の様に。
「奴らの目的は…Reineseeleだ。満身創痍のまま出して、唯一の成功例をみすみす捕らえさせるわけにはいかない。わかってくれ」
「ちっ!んじゃあ今すぐ、国のお偉いさんのケツひっぱたいて応援呼べ!俺たちが化け物の代わりに死なんでいいようにな!!オーバー!」
……
今の私には怒りしかない。あの娘を未だに化け物呼ばわりするとは。所詮そういう見方しかしていないのか。
本人が望まぬ力を生まれた時から背負わせ、いつ死ぬかわからなかった肉体を与え、そしてようやく自らその運命を断ち、自由に生きるかすかな希望を見始めた少女を、今なお死地へと赴かせようというのか。
「そんなお前たちに…あの娘を力として送ってたまるか」
誰に言うでもなく、吐き捨てた。
…私もいつも彼女に戦いを強いている。だがいつもそのことに対し悩み、私達の業に苦しんでいる。
特に、昨日は…。あれほど恐ろしかったことは、一度として無かった。
「あ、佐井さん。…? なんか顔が固いよ?」
「いえ、少し理事会の方から文句が来ましてね。無責任なことばかりで。ははは」
人の些細な変化も気遣う優しい心を持ったこの娘を、どうして化け物などと言えよう。
いろいろなことに興味を持ち、悩み、努力し、明るく笑う。こんなに人間らしい人間は、今一体どれほどいるのだろう。
施設の外には、血と、欲に狂った人の姿をした化け物が大挙して押し寄せている。傷ついた来音を渡すわけにいかない。
私は来音に、今この施設がどういう状況にあるのか知らせなかった。心のやさしい来音なら、絶対に怪我を押してでも皆のために戦うだろう。だが私は違う。
この娘のためになら、すべての者を犠牲にしても構わない。
部隊長にああ言ったが、そう言えば必ず納得すると思ったから言ったまでだ。
私にとってプロジェクトも、施設も、そして施設関係者も、どうでもよい。
私の本音はひとつだ。
来音を守る。
研究施設も、データも、何もかもくれてやろう。
だが、その先にいるこの娘だけは… 絶対に渡さない。
…そのために取る行動が、彼女が私を非難する原因になったとしても。
現在の私は誰も成せなかったReineseeleを生存させるという功績によって、父に代わりこのプロジェクトの主任研究者という立場にある。私の要求ならば国から部隊が派遣されることは間違いない。来音を守るための壁を少しでも増やさなくては。
部隊長から無線で連絡があったという事は、ジャミングはされていない。向こうも大部隊で押し寄せたのだ。よほど完璧な計画と互いの連携、そして伝令手段がなければ自分達にとっても都合が悪い。妥当といえば妥当。だがこちらの通信手段を断てないのだからチャンスを与えているようなものだ。すぐに召集を要請する。部隊がヘリで送られてくることになったが、それまでの時間、今の壁が持ちこたえられるかどうか…
応援が間に合わず侵攻された時、少しでも時間を稼ぐためICUへの通路にバリケードを張り、退路を確保した。この退路はほとんどのものが知らない。この施設の見取り図にも記載していない道だ。万が一の時はこの施設を破壊してでも…
ICUに戻ってみると、そんな非常時にあると思ってもいない彼女がのんきなことを言う。
「ねぇ、暇だから何か本が欲しいんだけど…。ん〜と、わたしの部屋にあるんだけどね、多分左側の上から三段目にある『青』っていう小説の下巻!あれがいいな〜。今良いところなの。…って、ダメ?」
……
…
取ってくる事にした。外では何も起こっていないのだから。よりによってバリケードを張ったばかりだったので、突破するのに非常に時間がかかった。これならば爆破物でも使わなければ向こうも相当時間がかかるだろう。
地上二階の来音の部屋の本棚の前で頼まれた本を探していた。言われたところに本が無い。困っていた時だった。
「五班、下がって施設を守れ!七班から十班!何があっても中に入れるな!残りはこれ以上突破させるな!…全力でやれ!時期応援が来る!来なきゃここがお前らの墓場だ!悔い残さずやれ!」
無線から部隊長の檄が飛ぶ。猶予はほとんど無い。振り返ると机の上に積まれた本の中に言われたタイトルを見つけた。…確かに左側の上から三段目だ。急いで地下の来音のもとへと戻る。
バリケードは元に戻した。騒ぎはまだここまで来ていない。走って戻ってきたので息が切れた。運動不足がたたっている。呼吸を整え、ICUのガラス窓をコンコンと叩き、天井を見上げている来音に持ってきた本を見せる。彼女の顔が明るくなった。
「これこれ♪佐井さん、いっつも無理言ってごめんね」
電動式のベッドの背中を起こして、来音がごきげんに本を読み始めた。時々、声は出していないが口が動く。台詞か、気に入った文書を反芻しているのだろうか。私はそれを見て笑顔になっていた。しかし常に不安がつきまとう。国の応援はまだ来ていないらしい。周囲の防御網は一部突破された。まだ施設内に入られてはいないとはいえ、防ぎきれる保障もない。侵入された場合、すぐにでも来音を逃がさなくてはいけない。
警備隊が懸命に防衛してくれているおかげでしばらく何の連絡も無かった。本を読み始めて三十分くらい経っただろうか。私の持っていた無線に連絡が入った。到着した応援部隊からの全回線連絡だ。
…無情の連絡だった。
「一から四班はデータ、被検体の回収、保護を最優先。場合によっては一部放棄せよ。全警備隊は回収作業の援護と施設への侵入防御を行え。データ回収後は当施設の放棄。非戦闘員はすぐに避難を行う」
来音の顔が凍りついている。
「…聞いていたね。もうここを守る気は無いそうだ。わたしたちもここに居る意味は無い。…行こう」
「なんで… 何で教えてくれなかったの?佐井さん…」
「教えたら追い返しに行くといって聞かなかったでしょう?そんなに傷ついているのに…。さあ」
「…いやだ」
「だめだよ、行かなくちゃ」
「いやだ… いやだよ!ここ、わたしたちの家だもん!絶対に… こんな形で捨てるわけに…」
「来音!」
「ここの人たちみんなが居た場所を… 奪うなんて、許さない…!」
変異は起こしていないが、彼女の目は赤みがかり始めていた。このままではいけない。私が彼女の頬をはたくと少しビックリした顔をしていた。
「三年前と違うんだ…。来音のことを知らないで来た奴らとは。今度は完全に押さえ込むつもりだ。手負いの上、これだけの数に囲まれてしまっては…どうしようもない」
「でも… だって、ここ… 生まれてずっとここで… お母さんも… 光夜も… 佐井さんとも…
…ここがわたしの… わたしの世界… ここがすべてで…」
嗚咽で声を詰まらせながら、うつむくその瞳からたくさんの涙をこぼしながら必死で訴えていた。泣いている来音を抱きしめ、落ち着かせた。私の肩に彼女の涙が染みていく。
「来音… 私は奴等に… 国にだって君を渡すつもりは無いよ。だから、行こう。今しかない。今なら、行ける。君を縛りつけることのない、外の世界に…」
車椅子に乗せ、来音とともに当初の予定通りの退路に向かった。暗い通路の奥にあるその部屋を目指す。
「ここ、動物たちのお墓って…」
「そう言ってあったけど、実際はもう使われていないサンプル庫なんです。この奥には焼却炉がある。動物たちを焼いた後の灰は別のところに埋葬されている。…その灰を回収するルートから、抜け出すんだ。見取り図にもないから誰も追ってこれない。行こう」
照明はつけなかった。明かりがなければこの棚に何が入っているのか、まず理解できない。
棚の中にたくさん並んでいるガラス瓶の中には、これまでに行われてきた研究で得られたサンプルが収まっている。
実験体として使われた動物の標本、各種臓器、そしてReineseeleとして造られてきた子達の破片…。この研究は、数限りない生命のもとで成り立っていたことを思い知らされる。
ここまで来音を乗せてきた車椅子を隠し、さらに奥にある焼却炉に向かう。
「さ、しっかりつかまって」
焼却炉の蓋を開き来音を背負って、煙突のようになっている回収孔のはしごを昇っていった。以前確認したが、内側からなら鍵は必要ない。昇りきることができれば脱出できる。
「ねぇ、重くない?重くない?」
心配してそう聞いてくるが小柄な彼女はそんなに重くはなく、運動不足の私でもなんとか落ちることなく昇っていくことができた。
はしごの出口は洋館の裏の、建物から結構離れた森の中にあった。まだ太陽が出ている。遠くからマシンガンを乱射する音が響いてくる。本当にこの国の出来事なのかと耳を疑う。来音をおぶったまま、私は森を出るために歩き始めた。
「ありがと、でも大丈夫。歩くよ、自分で」
…なぜ、言われたとおりに降ろしたんだ…
私の背中から降りると少し歩いて私から離れ、こっちに振り返った。
「ありがとう、佐井さん。…やっぱり、戻る。大丈夫だよ、死ぬつもり…ないから」
そう言って深呼吸すると、一気に変異した。
「だめだ!来音!」
引き止めるために声をあげ手を伸ばす。
そんな私を見て彼女はにっこり、やさしく笑って言った。
「宗久… いってきます」
…はじめてだった。一瞬、何と言われたかわからなかった。かつてミミちゃんと呼ばれていた時にはそう呼んでいた。だが、来音と名をつけてからは…
私は呆然としていた。引き止めなくてはいけない手が、自然と下りてしまっていた。