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第十二話 目覚めた少女



ありがとう、ごめんね


聞こえなかったはずの懐かしい声で、今でもときどきわたしは目を覚ます。涙が頬を濡らしている。決して消えることのない、わたしの罪の記憶。胸が締め付けられる。


わたしは助かった。あの人はわたしだけでも助かってよかったと言ってくれた。だけど、生きるということがこんなにつらいなんて。

いっそ死んでしまえば…


楽になりたい。どれだけそう思ったことか。しかし、できなかった。怖い。怖いのだ。

…ただ、生きた。



 あの日からわたしは涙に暮れ、ふさぎ込み、言葉を失ってしばらく生きていた。


どうして殺したの?あの状況下で苦しみから解放するにはああするしかなかった。頭では理解している。…でも、本当にあれでよかったの?


自問自答するが答えは出ず、決して出られない迷路に迷い込んでいた。検査をされていてもずっとぼんやりした状態で、何を言われているのかも何をされているのかもよくわからない。それでもあの人は何度も何度もわたしのもとに訪れ、わたしをその迷路から導き出そうとしてくれた。


時には言葉で、時には身体で。


…そのやさしさが、よりわたしの罪の意識を掻きたてる。生きていて良いのだろうか、と。





あの日から2年。突然だった。

 わたしは研究所の奥に位置する部屋、以前二人の部屋だったところの片隅で、壁を背にして、いつものように座り込んでいた。あの日の事はもう、あまりくわしく思い出せなくなっていた。その日、あの人はわたしのもとに来なかった。金色になった髪をぼんやり見ながらあの子のことを思い出し、そして涙した。その時だった。

 あの日のように大きな衝撃音が壁を伝わってきた。当時の出来事が走馬灯のように甦る。わたしの鼓動は速くなり、呼吸が苦しくなった。


いやだ、いやだ。もうやめて。わたしにもう、思い出させないで。

せっかく忘れ始められた出来事なのに…


体がそう訴えているようだった。その直後、銃声が聞こえた気がする。

…おかしい。あの人は言っていた。もうわたしたちのような存在は作られることはない。ならばあの時のような戦闘音はなんなのか。たまらない不安に駆られて、わたしはそれまでほとんど出ることのなかった自室を飛び出していた。


この地下研究所は非常に広い。地上の何倍もある、巨大な迷路だ。施設の中央辺りにあるわたしたちの部屋から施設の端に位置するあの人の部屋には、迷わず歩いて優に15分はかかる。その道のりの途中、何人かの人間が着ている物に赤い斑点をつけて倒れていた。見たことのない格好の人もいた。さすがに一人目が倒れている時には息を呑んだが、二人三人となると慣れてしまった。

 2分くらい進んだところで、銃を構えている二人の人間の後姿を見た。この施設の警備の人間ではない。思わず、あっと声をあげてしまった。二人は振り向きこちらに銃を向けた。わたしは恐怖した。…死んでしまうのかな。


 身動きができず、ただじっとすることしかできなかった。二人はわたしを見てなにやらぼそぼそと話し合っている。銃口はこちらに向いたままだ。これでやっと楽になれる、とよく言うが、銃を突きつけられている間わたしは怖くてたまらなかった。涙まで浮いた。


…情けなかった。


ほんの少しの時間を悠久にさえ感じた。二人が相談を終え、わたしのそばに近づく。銃口は外されない。その時横の通路で一人、ここの研究員と思われる人が乾いた音とともに前のめりに倒れたのが見えた。

我に返った。


殺されてしまう。この人たちの目的が何なのかわからない。

でもこのまま放っておいたら確実にあの人が殺されてしまう。


 その瞬間、わたしの目の前はクリアになった。蛇に睨まれた蛙のようだったさっきまでとは違い、身体はわたしの言うことを聞いてくれる。行かなくては。行ける。

わたしには、左腕がある。

 向かって左側の人間の脇を走り抜ける瞬間、施設中に響きわたるかのような重たい、鈍い音がした。瞬間の抵抗をも許さなかった。壁には大きな爪の痕とともに、広い赤い跡が残った。そのまま駆け抜ける。


「邪魔だ!」


「どけ!」


 一人たりともあの人のところに近づけさせてたまるか。あの人の部屋に向かう間に会う者すべてを引き裂き、全力で走る。

 全員が無抵抗だったわけではない。わたしの足音、接近に気づき銃を構え発砲した鋭い者がいた。わたしは左腕で地を叩きつけた反動で飛び上がり、背後に降り立つ。右脚で背中を蹴り飛ばし、バランスを崩した相手が振り向く前に左腕でなぎ払う。ほとんど抵抗を感じない。左側の壁に血しぶきが散り、削り取ったような痕がついた。すぐにきびすを返して走り出す。

 息が切れる。こんなに走りつづけたことなんて無かった。苦しい。だが止まってる間に万が一のことがあったら…。そう思うと足を休ませるわけにはいかない。


 肩で息をして、喉はこれでもかと言うほど渇いていた。もうこれ以上は走れない。扉の前にたどり着いたわたしはそんな状態だった。扉をノックし、かすれた声で咳をしながら名乗る。

「佐井さん!佐井さん!来音、来音だよ!」

 鍵はかかっていなかった。招き入れられることも無い。最悪の状況が脳裏をよぎる。ドアを開け中に入ると彼は椅子に座ってこちらを見ていた。左腕だけが机の上に置かれていた。わたしが一人だけで入りドアを閉めると右手も机の上に出した。安堵のあまり一気に涙があふれた。部屋に入った時はまだ巨大だった左腕も、いくつものモノを壊せるとは思えない、いつものわたしの腕に戻っていく。涙を止められないまま駆け寄り、彼に抱きつき声を上げて泣いてしまった。


…よかった。間に合ったんだ。







 状況は良いものではなかった。むしろ袋のネズミだ。この施設の出入り口たる屋敷は完全に制圧されている。佐井さんのパソコンの監視カメラからの映像が教えてくれた。それどころか周囲の森のあちらこちらにも控えの部隊がいるのがわかる。地下施設完全制圧も時間の問題だ。

「確実にReineseele(ライネゼーレ)だ、目的は」

凍結されたとはいえ、ポテンシャル自体は著しく高い計画。わたしのような存在を生み出すことが、これほどの犠牲を払う価値ありと判断されているなんて…

…やはり生きていてはいけないの?あの日、あの子とともに死んでいれば…


わたしがそう考えていることを見抜いていたのだろうか。すっと椅子から立ち上がって、後ろからわたしの頭と肩を包むように、優しく抱きしめてくれた。かつてほんの小さな少女だった時のように。

…心から安らぐ。


そうだ。わたしにはまだ、この人がいる。

死ねない。死んでたまるか、と強い気持ちが湧いてくる。

 抱きしめてくれる彼の手にそっと触れ、彼の腕を解く。わたしは振り返り、彼の目を見て力強く答えた。

「まだ、まだ生きる。生きるよ。負けてたまるかっての!」

…自分は一人じゃなかった。それに今、決意した時、あの子がすぐそばにいるような気がした。

 

意識を集中して全身の神経を尖らせる。体中が熱い。特に背中が。

「あああああああああっ!」

身体がはじめから理解していたかのようだった。背を丸めて力を込めると、服を引き裂き右肩から先端が三又に分かれた機械のような腕が、左の背中から刃物のような先端を持つ、虫の脚のような腕が現れた。

…言いようがないほど、嬉しかった。

「こんな、こんな近くに…」

ほんの数十秒しか見たことはなかったが、確かにこれらは光夜の腕だ。涙があふれた。

…確かに他の人が見たらおぞましい姿だろう。だが、たまらなくいとおしかった。佐井さんの方を振り向くと、彼は特に恐れるわけでもなく、平然とわたしを見ていた。微笑んでいる。


…よかった。



ふと気がついた。長かった髪がない。頭に手をやると短くなっていた。佐井さんの部屋にある鏡で確認してみる。

「なんじゃこりゃ!」

短いだけではない。真っ黒だ。しかも瞳も茶色だ。

「こ、これ、わたしなの?」

今周囲で起こっている状況から、まったく感じられないような滑稽さがそこにはあった。おかしくておかしくてしょうがない。佐井さんもわたしの戸惑いっぷりをみて、くすくす笑っている。これから死ぬ危険もあるところへ行こうとしているなんて、とても実感できない。わたしも声を出して笑ってしまった。


…ひさしぶりの笑いだった。こんなに心が晴れやかになるものとは知らなかった。


目を閉じて気持ちを落ち着け、呼吸を整えた。佐井さんの顔を見て、扉の前に立つ。


「行ってきます」


絶対に守り抜く。彼を、そして自分自身を。

その決意とともに、まだ細い左腕でドアを開け、再び地獄と化した施設へと赴いた。





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