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1-5

登場人物


柏木ミサト:足が不自由な奇妙な発音の異世界人。言葉を勉強中。どうやら猫人と一緒のベッドで過ごす毎日。ミーナという家族ができてご満悦。

ミーナ:ミサトを拾ったネコミミ少女。人間と獣人のハーフゆえ村中からハブられてる薄幸少女。たまにはお肉を食べたい。薬草作りと弓の腕は良いらしい。

ハルト:キュートな鼠。クリクリした眼がチャームポイント。世界を変えるという壮大な野望をハンプティ・ダンプティな体に秘めてる。意外と腹黒い。

ゴート:パドバ村の村長さん。オオカミ。純血主義者。サディスティックな面が見え隠れ。

リッター:キツネの獣人。行商人だが、自分の商会も持っている。お金持ち。


 その夜は賑やかだった。村の広場を中心としてアチコチで灯りが灯されて、その光は暗い夜空を煌々と照らしてて、皆の騒ぐ声は村外れのこっちまで届いてる。ドアとか窓を開けてたら騒がしくて会話も出来ないくらいだ。とはいっても隙間だらけの荒屋だとドア閉めててもあまり関係ないけど。

私は車椅子に座って、窓辺に陣取ってボンヤリと月を眺めてた。世界は異なっても月は一つで、やたらとでかかったり紅く怪しく輝いてたりしない。恥ずかしそうに少しだけ雲に隠れて、淡く優しく村の騒ぎを害さない程度にしか光らないその姿は何となく奥ゆかしい。

月は良い。眺めてると落ち着く。外の喧騒で心がささくれ立たない程度には眺めてるだけで平穏は保てる。月に雅を感じてかつての留学生みたいに月を見て望郷の念を抱いたり詩を読んだりする風流な趣味はないけれども。


「いやー、美味しかったね。もー食べれないにゃ……」


 ミーナは椅子に腰掛けて満足そうに自分のお腹をポンポンと叩いた。

やっぱり予想通り私たちは村の宴会には参加できなかった。というより参加しなかったというのが正しいか。昼間の様子から見て私が割って入っていけば、たぶん場所は確保できただろうけど、その後の空気はまあ並の頭があれば想像はつく。きっと場の雰囲気は険悪になり、冷たい視線にさらされて飯もまずかったに違いない。なら食材だけこそっと頂戴して家でミーナと食べた方が美味かっただろうし、実際普段お目にかかれない肉料理の数々は美味かった。

意外だったのは、それほどミーナは村人たちから嫌われてなかった事だ。いや、嫌われてはいるんだけれどそれは全員が全員そうというわけではなくて、中にはミーナの境遇を不憫に思ってる人もいたらしい。聞くところによれば、ミーナが食材をもらいに行ったら最初すげなく断られたらしいんだけれど、何人かの人がそっとリッターから仕入れた食材を渡してくれたみたいだ。持ちきれないくらいに大量の肉を抱えて帰ってきた時にはさすがにびっくらこいた。


「すごいお腹だね」

「幸せ……もうこのまま寝たい……」


 もう一個意外だったのは、意外とミーナが大食らいだった事だろうか。手早く調理してテーブルに並べていった数々の肉料理。確かテーブルが埋まるくらいに料理が並んでたと思うんだけど、たぶんそれの八割がたミーナの胃袋の中に吸い込まれていった。このほっそりした体のどこにあれだけの量が入っていったのかは全くの謎だ。ブラックホールでも胃の中に飼ってるんだろうか。

食事の量はたぶん、村人全員に嫌われてなかったっていうのが嬉しかったからだと思う。食欲っていうのはメンタルにも結構依存するし、バクバクと平らげながら食事の間じゅう耳をピクピクと嬉しそうに動かしながらずっと肉を貰った話をしてたし、満面の笑みでマシンガンの様に身振り手振りを交えて話す様はまるで幼い子が一日の出来事を母親に話すみたいで微笑ましかった。

ミーナが嫌われて無くて本当に良かった。月から視線を外して車椅子を動かし、ミーナの傍で耳を触りながらつくづくそう思う。

 何となく感慨深くなってミーナの顔とか髪の毛を撫でていると、扉がノックされた。


「おーいミーナ、ミサトぉ。ちょっと開けてくれぇ」


 ハルトだ。確かハルトは村の皆と宴会に参加してたはずだけど、どうしたんだろうか。

 髪を撫でられて椅子の上でとろけてるミーナに変わって私がドアを開ける。すると、そこには両手に瓶を持った鼠が立ってた。


「どうしたんの、ハルト? 宴会は?」

「まだみんな広場で騒いでるぜ。それよりもせっかくの宴会だ。二人とも一杯どうだ?」


 そう言ってハルトは両手に持ってた瓶を掲げた。なるほど、酒か。こんな日だし、たまにはいいかもしれない。


「どうしたの、それ」

「宴会場に転がってたから持ってきた。二人と一緒に飲もうと思ってコッソリくすねて抜けだして来た」


 ハルトは勝手知ったる感じでテーブルの上に瓶を置くと戸棚からグラスを三つ持ってきて、それぞれに酒を注ぎ始めた。普段勝手にミーナの物を触らないハルトだから、もしかしたらすでに結構酔ってるのかもしれない。全身毛むくじゃらだから分かんないけど。

 ミーナの向かいの席によじ登って駆け付け一杯、とばかりにグラスの中の酒を喉へと傾けてあっという間に飲み干してしまった。もしかして、コイツは結構飲兵衛か?


「っくぁ~! たまんねぇなぁ! ほれ、ミサトも」


 差し出されたグラスを受け取って少し口をつけてみる。ほんのりとアルコールの上等な香りが鼻孔をくすぐってきて僅かばかりの熱を伴いながらスルリと喉を滑っていく。あ、結構美味しいな。日本酒みたいな味で、度数も結構高めだけど全然気にならない。ハルトの視線を感じて顔を上げれば、瓶を持ってすでに次の杯の準備万端だった。


「中々いい飲みっぷりじゃねぇか。ほれ、もう一杯。ミーナもほれ。せっかくのめでてぇ日なんだしよ」

「でも、私お酒呑んだ事ないんだけど」

「大丈夫だって! ミーナももう十七なんだし、女だからって酒も嗜まねぇのはどうかと思うぜ?」


 ミーナの手に強引にグラスを持たせ、ハルトは「ほれ、ほれ」ってグラスを傾ける仕草をしてミーナを促してる。この酔っ払いめ。

ミーナは初めての酒に戸惑ってるのかグラスの中をじっと見つめて、そして意を決して舐める様にしてチョビっとだけ口に含む。そして少し眼を見開いて感嘆した。


「あ、おいしい」

「だろ? なんたって今回リッターが持ってきた酒ん中で一番高ぇやつだからな。ゴートが飲もうと大切に持ってたのを持ってきたんだぜ?」

「それって大丈夫なん?」

「だーいじょぶだって! どうせ皆酔っ払って気付きゃしねぇよ。今頃もしかしたらゴートが必死で探しまわってるかも知んねぇけどな!」


 陽気な笑い声を上げるハルト。


「それに、ゴートにゃいっつも煮え湯を飲まされてきてんだ。たまにゃこっちも反撃してやんなきゃな。アイツが今頃必死で探してる姿を想像したら余計にうめぇだろ?」

「……ハルトって結構腹黒いんね」

「かっかっかっ! なんだ、今頃気づいたんか?」


 いつにもましてハルトは陽気だ。初めて酔ったハルトを見たけど、コッチが素の姿なのか。まあ、私的にはコッチの姿の方が悪くない。村中が陽気な日なんだし、たまにハメを外してもいいだろうと私も思う。ハルトの言う通りゴートが今頃大切な酒を探して右往左往する姿を肴に飲むのもたまにはいいだろう。


「……もう一杯もらっていい?」

「お? なんだミーナも気に入ったんか? いいぞ、飲め飲め!」


 まだまだある事だし、私ももう一杯もらおう。窓辺に行って月見酒っていうのもよさそうだ。ミーナも気に入ったみたいだし、今夜は三人で心ゆくまで飲んでみようか。良い夜になりそう。

次第に顔を赤らめていうミーナと淡い月を見比べながらそう思った――



 はずなんだけど。


「どうしてこうなった……」


 思わず頭を抱えて日本語で嘆いてしまったのも仕方ないと思う。きっと誰にも責めることなんてできないはずだ。むしろ私が責めてもいいと思う。


「だぁかぁらぁ~、私らって不満がないわけじゃぁ無いんだよぉ? でもどぉしろっていうのよ? ええ?」


 私の目の前には顔を真赤にさせたミーナ。半眼に開かれたいつもは可愛らしくて私も大好きな眼は完全に座って、向かいに座る私とハルトを睨みつけてる。

右手には酒の入ったグラス。左で首の部分をふんづかまえてさっきから瓶をドン、ドン、とテーブルに叩きつけながら管を巻いてる。もうこうやって絡まれ始めて一体何時間経ったんだろうか。


「ハルトぉ……」


 酔いもすっかり醒めてしまった。一体誰だ、今夜はいい夜になりそうだなんて言った奴は。というか、今私の目の前に座ってるのは誰だよ。


「仕方ねぇだろ……オイラだってミーナの酒癖がこんなに悪いって知らなかったんだよ」

「そこ! 私の話聞いてんの!?」

「は、はい! 聞いてます聞いてます!」


 ハルトは完全に椅子の上で器用に正座だ。酔っ払いミーナに絡まれる度に下僕よろしく背筋をピーンと伸ばしてイエスマンと化してる。


「だいたいさぁ~、私らって好きでこんな境遇にぃいるわけじゃないっつーの。けどさあ、村中からそっぽ向かれてる状態で一体どおしろっていうわけ? 分かる?」

「いや、まあ……」

「ああ!?」

「はい! 分かります分かります! ミーナは悪くないッス!」

「分かるぅ? 分かってくれるぅ? あ? もう酒がねぇじゃねぇかぁハルトぉ」

「はい! ささ、どうぞどうぞ!」

「んぐっんぐっんぐっ……ぷっはぁ! そりゃぁ確かにぃ~私には人間の血が入ってますよぉ? 冷徹だとか陰湿だとか世間様でご評判のぉ人間の血が入ってるんだよぉ~? けぇどぉさあ? 私だって亜人だよぉ? 人間だよぉ?」


 ん?何か様子が変わってきたな。さっきまで逆立ってた眦が今度はショボンと泣きそうになってるしネコミミもへにょ、と垂れ下がってる。


「皆とおんなじ感情があるんだよぉ? 無視されたら傷つくんだよぉ? 村中からさぁあ、すっごい眼で睨まれるんだよぉ? なぁんもしてないのにさぁあ、私が来ただけで陰口叩かれるんだよぉ? みんなで盛り上がってる時にさぁ、ボッチなんだよぉ? 寂しいにぃ決まってるじゃんかぁ……」

「ミーナ……」

「でもさぁ、私はぁお祖母ちゃんといたこの村が大好きでぇ、村のみんなも大好きなのよぉ……ねぇねぇ、ハルトは私の事好きぃ?」


 潤んだ瞳でコッチを上目で見つめてくる。普段から可愛いのに、こんな仕草をされたら我慢できないじゃないか。とは思いつつも、必死で自重する。


「ああ、オイラはミーナのことが大好きだぜ?」

「ミサトはぁ?」

「私もミーナの事が大好きだし、一緒に住まわせてくれてるんを感謝してるんよ」

「ふふ、ありがとぉ……ハルトとミサトの事私もぉだぁい好き……だからぁ私は今はぁ寂しくないんだよぉ……」


 そう言いながらミーナはテーブルの上の空のグラスとかビンとかを押し倒しながら突っ伏した。慌てるハルトを他所に、私に向かって手を伸ばしてきて、私の腕を撫でていく。


「ミサトはあったかいねぇ……一緒に居てくれてありがとぉ……」


 そして静かに寝息を立て始めた。テーブルに顔を押し付けたまんま寝苦しそうな体勢だけど、気持ちよさそうに幸せそうな顔でスースーと寝息を立ててる。

ハルトと二人で顔を見合わせ、私たちは深々と安堵の溜息を吐いた。



 そこから私とハルトの二人で片付けを始めた。

ハルトがミーナを起こさない様にベッドに寝かせ、私が食器を流しで洗い物をしていく。全部終わったのは結局すっかり日付が変わろうかという頃だったけれど、私もハルトも終始無言で、村の方でも宴会が終わったんだろう。片付けの音とミーナの静かな寝息だけが家の中に響いていた。


「ふぃー、やった終わったな」

「お疲れ様。遅くまでありがとう」


 私が礼を言いながら振り向くと、ハルトは大儀そうに自分の肩を短い腕で叩いて、そしてテーブルの椅子を家の外に出してるところだった。


「どうだ? 最後にもう少しだけ二人で飲まねぇか?」


 ミーナの飲み残した酒瓶を掲げて外を指さしてくるハルトに、少し考える。

最後は全然飲めなかったし、まだ私自身も飲み足りなさはある。飲み始めてミーナがすぐに管巻き出したから酒を楽しめなかった。一日の終りにゆっくり静かに月を見て飲んで、今度こそ良い夜にするのも悪くないかな。

洗いたてのグラスを二つ膝の上に置いて車椅子の車輪を回して外に出る。

最初に見た時にはまだ低い位置にあった月は、今はもう随分と高くなっててほぼ真上に見上げないと見えない。雲に微かに隠れてただけの優しい月もそのほとんどが薄い雲に隠されてしまって、月明かりが降り注ぐ事は無くなってた。

ハルトのグラスに注ぎ、代わって私のグラスにハルトが酒を注いでくれる。酒瓶にあまり残って無かったので、二人のグラスに半分くらいずつ注いだところでちょうど無くなった。


「乾杯」


 どちらともなく静かに告げてグラスを軽くぶつける。氷が無いのが残念だ。あれば氷が奏でる音色も聞けたのに。


「……やっぱ、色々と溜まってたんだな」

「……そうだね。むしろ今まで良く我慢してたと思う」


 心の底からそう思う。今までミーナは別に愚痴を零さないなんて事は無かったし、ちょくちょく私も聞かされてたけど、それはほとんどが物があまり売れなかったとか、獲物があまり穫れなかったとかそういった類だ。村の人の事には触れなかったし、自分の境遇について不平不満を全く漏らさなかった。

偉いと思う。我慢強くて、辛くても頑張ってとても偉い子だと思う。

けど、愚かだ。ミーナは愚か者だ。私から見てもそんなに我慢しなくてもいいのにって思うくらいに我慢して、でもそれをずっと自分の中に溜めて溜めて。

ミーナは優しすぎる。勝手に見ず知らずの、しかも人間である私を拾って家に住まわせて、何もできない私の世話をして、それでいて寂しさを私に隠そうとするくらいに。

いや、ミーナが寂しいのは私にも分かってた。口に出さないだけで態度を見れば分かってた。わざわざ狭いベッドの上で一緒に寝るのも、一緒に食事をするのも、なるべく私と一緒に居ようとするのも全部寂しさの表れだ。

何より、嫌われ者は寂しい。これが自分で何かやらかして嫌われてるんなら自業自得だって突き放すところだけど、ミーナの孤独の原因は自身の在り方に因ってる。ミーナ自身はとてもいい子で、本来なら皆に好かれて然るべき性質なのに純粋な亜人でも無い、純粋な人間でも無いという産まれた時から定められた性質で嫌われてる。世界のどこにあっても疎外され、疎まれ、排除される存在。世界の嫌われ者。そうであって寂しくない生物なんているのだろうか。

だから私はミーナの寂しさに気づいてあげないといけなかった。

――私も世界の嫌われ者だったのだから


「え?」

「ん? どうしたんだ?」


 その思考につい声を上げてしまい、怪訝に声を掛けてきたハルトに「何でもない」と返して、ハルトも「そうか」とそれ以上に追求はしなかった。

どうにも今日はおかしい。夜空を見上げながら考える。色んな知識が浮かんできたり、私の意思とは別に無意識に妙なフレーズが頭を過ぎったりと、まるで別人が私の中にいるみたいだ。

記憶が戻ってきている兆候なのかもしれないけれど、何だか気味が悪い。そして少しだけ怖い。

もし、記憶が戻ったら、今の私はいなくなってしまうんじゃないだろうか。昔の私が何をしていたのか、どうしてそんなにも専門的な知識を持っているのか興味が無いと言えば嘘になるけれど、その実、記憶なんて別に戻らなくてもいいんじゃないかとも思ってる。

今の生活に不満は無いし、ミーナもハルトも居てくれてる。ミーナに迷惑を掛けてるのは心苦しいけれども別にそれは記憶が戻っても戻らなくても変わらないわけで、思い出したからってコッチの生活の常識が分かるわけでも無い。結局はミーナやハルトに教えてもらい、世話になりながら生きる事になるんだ。

それに、リッターとゴートの会話の事もある。王国が私を欲していて、王国にとって必要な情報を記憶を取り戻した私が持っているのならば――

思い出してしまうことで今の生活が壊れてしまうなら、ならば別に記憶なんて戻らなくったって構わない。


「ミーナもずっと寂しかっただろうに、手もずっとミーナはオイラたちに向かって差し出してたっていうのにな……なのにオイラはずっと見ない振りを続けてたんだよなぁ」

「ハルトが悔やんでるのはもう十分ミーナに伝わってるんと思う。大切なのは、今続けてる行動をこれからも続けてく事だと思いますんです」

「そう……だよな……分かってるんだけどなぁ、でもなぁ……」

「できないんの? そんなに難しい事じゃ無いんと思うだけど」

「当分はできる事は出来んだよなぁ。けどよぉ……」


 ハルトは何かを言いあぐねてる。ミーナの傍に居続けるのはそう難しいことじゃないと思うんだけど。と、昼間のハルトとの会話が頭を過ぎった。


「もしかして、昼間の話?」

「……ああ。実はな、もうすぐこの村を出て行こうと思ってんだ」


 ……やっぱりそうか。

ミーナの傍に居たいけれど、でもそれは自分の夢を諦める事になる。昼間語ってた夢はかなり壮大で、もし本気で実現したいって思ってるなら生半可な覚悟じゃできないだろうと思う。そして、仮にハルトの人生全てを捧げたとしても実現できるかどうかは分からない。きっと可能性は低いだろう。時間はいくらあっても足りないくらいだ。たぶん、ミーナが居なかったらもうとっくに村には居なかったのかもしれない。


「ミーナは……どうするの?」


 愚問だ。ハルトの意思はもう決まってる。でなければ、言いよどみもしなければ迷いもしないだろう。


「置いてく事になるな……」

「そう……」

「責めねぇのか?」

「責めて欲しいんだったら他の人を当たって。悩んで出した結論だしょ? ならハルトはハルトのやりたい様にすればいい」


 目標を実現するためには、他の何かを犠牲にしないといけない。私はそう思う。何もかも両立できるんであればそれが一番いいのは勿論だけれど、それは目標が高ければ高いほど難しくなる。能力には限りがあるし、ハルトも私も手は二つしか無い。何と何を選ぶか、それとも両手で抱えるのか、何かを成し遂げようとする時には私たちは絶対に取捨選択を迫られる。

大切な何かを選び、大切な何かを諦める。記憶のない私には推し量ることは難しいけれども、それはきっととても辛い事だと思う。

ハルトは黙ってグラスの中の酒に浮かぶ自分の顔を眺めてた。ユラユラと揺れる水面で揺れる自分。それをハルトは一気に飲み干して大きく息を吐き出して、口を開いた。


「なあミサト、頼みてぇことがあるんだけどよ、聞いてくれるか?」

「……何?」

「オイラが村を出て、もう一度ミーナと会う時までミサトにはミーナの事と一緒に過ごしてやってほしいんだ。アイツの事だ。きっとオイラが今から村を出るなんっつっても何も言わずに笑顔で送り出してくれるに決まってる。行くなとも寂しいとも口にしねぇ。アイツはそういうヤツだ。だからこそオイラも村を出るのを迷った」

「うん……」

「オイラは……ミーナの事が好きだ」


 ハルトは顔を上げて私の顔を見て、そう告げた。


「ミーナの事が好きだ。好きで好きで、ミーナから離れたくねぇ。オイラが世界を変えてぇって思ったのもミーナが不憫で仕方ねぇからだ。理不尽な環境に置かれてるミーナを救い出してやりてぇ、人並みの幸せを与えてやりてぇって思ったからだ」

「でも、今のハルトには力が無い」

「ああ、そうだ。今のオイラにはミーナを守ってやる力も救い出してやる力もねェ。一緒にいてアイツの過ごしてやることしかできねぇ。ミーナはそれだけで良いって言ってくれるかもしんねぇけど、それじゃダメなんだ。オイラがダメだ。胸を張って一緒になってくれなんて言えねぇんだ。だから、オイラは行かなきゃなんねぇ」

「自分の為に、ミーナを置いていくんだ」

「ああ。けどこれは譲れねぇ」

「ミーナにまた寂しい思いをさせるんだ」

「でもミサトがいてくれるだろ?」


 そう言ってハルトは笑った。表情は分からないし、いつもみたいに尻尾の動きも無い。でも何となく私はハルトが笑ったように思った。


「オイラが居なくなったら寂しがってくれるだろう。てか、そうであって欲しいんだけどな。少なからずそれくれぇの自負は持ってるさ。けどよ、それでもミサトが居てくれたらミーナもすぐにオイラの居ない寂しさを忘れ去ってくれる」

「私にハルトの代わりはできないんよ」


 私がそう反論すると、ハルトは笑って私の肩をバンバンと音が立つくらいに強く叩いて、酒を飲みかけていた私は思わずむせた。口元に零れた酒を腕で拭いながら恨みがましく見上げると、ハルトは笑みを濃くして、私を諭すように語りかけた。


「大丈夫だって。オメェはもうそれくれぇにはミーナの心の中に住み着いてっから」

「だとしても……」

「だーっ! オメェさっぱりしてる性格だと思ってたけど意外としつけぇんだな!」

「これは大切な問題だから」

「だったらよ、オイラが居なくなってもミーナが寂しく思わねぇくれぇにミーナと一緒にいてやれ。いっぱい話をしろ。いっぱい笑っていっぱい泣け。そんでアイツに笑顔をいっぱい渡してやってくれ。それを今、オイラに約束してくれ」


 ハルトは笑ってるけど、私を見つめるその眼差しは真剣だ。酒を飲みながらだけれど、ハルトの黒い瞳からミーナに対する想い、残していく無念、そして自分がいない間を託そうとする私への期待と僅かな嫉妬が感じ取れた。そんな気がした。

ならば私はそれに応えなければならない。男がこんな眼をして私に頼み事をしてくるのだ。応えてやらねば女が廃るというものだろう。


「分かった。約束する。ハルトが帰ってくるまで私はミーナと一緒にいて、いっぱい笑う」

「……ありがとな。頼むぜ」

「むしろ帰ってきてもミーナが私から離れないくらいに私に惚れさせる」

「それは勘弁してくれ」


 そう言って私とハルトは二人笑ってグラスを傾けていった。

更に夜は更けて月を隠していた雲は流れていた。真ん丸の満月は優しく光り、今度こそいい夜だ、と私は本気で思えた。


「そんじゃ今晩はそろそろお開きにすっか」


 よっ、と声を上げて椅子から飛び降りて、ハルトはさっさと椅子を家の中に片付けていく。私は彼の覚束ない足取りを見て、それが何だかよちよち歩きの赤ちゃんみたいで何となく微笑ましく思えた。

ハルトはベッドの方へフラフラしながら歩いて行って、ベッドの上で相変わらず穏やかな寝息を立ててるミーナの髪を撫でた。大きな鼠が、パッとみ人間のミーナの面倒を見てるのは珍しい姿ではあるけれど、でもミーナを見るハルトの眼差しは真摯で、そして優しさに満ちてる。


「なんか……ハルトってミーナのお兄ちゃんみたい」


 ハルトがミーナに接する態度は想い人というよりは兄妹だと思う。愛なんて私には理解できないし、家族の思い出も無いから類推することもできないけれど、これはきっと家族愛なんだろうと思う。


「そっかぁ?」

「うん。何となくそう思った。私に兄妹がいたのきゃは分からないけれんど」

「できればオイラは恋人が良いんだけどなぁ」

「ならいい男になって帰ってくればいい。ハルトには女が惚れる色気が足りない」

「鋭意努力させてもらうぜ」


 苦笑いをハルトは浮かべると、鼠らしいやや尖った爪の先で自分の頬を掻いた。


「じゃあな。ミサトももう寝ろよ?」

「そういうところが兄貴みたいだ」


 そうやり取りしながらハルトはテーブルまで戻ってきた私の隣を通り過ぎ、私の背中越しにドアが開く音がした。


「ハルト」


 私はドアに背を向けたままハルトを呼び止めた。


「私には家族は居なかった」

「ミサト」

「でも、今はここが私の家だと思ってる。そしてミーナは私の家族。だから、家族は私が守るから」

「ああ、期待してるぜ?」

「そしてハルトも私の家族だから」

「……」

「ハルトは一人じゃない。私がいる。ミーナがいる。だから応援してるから。ミーナの事は私に任せて、ハルトは夢を追いかけて、いつかミーナと私を迎えに来てほしい」


 ミーナが居たから私は今こうして生きている。ハルトが居たからミーナは笑っていられる。寂しさは感じても、孤独は感じないでいられるんだ。

人は一人じゃ生きられない。それは人間でも亜人で一緒だ。誰かが居てくれるから、傍には居なくても誰かが想ってくれるから、誰かを想ってくれるから前を向いていけるんだと、私はそう思う。You'll Never Walk Aloneだ。

ハルトはこれからきっと一人で夢に向かって行くだろう。でも、もし私やミーナがその原動力になれるのなら、もしハルトが辛くなった時にミーナや私の事を思い出してまた頑張ろうと思えるのなら、私がここに召喚された意味はきっと有って、歩けもしない私がハルトに出会った意味も有ったと信じられる。


「ありがとな」


 一言だけハルトは私の背に向かって返事をした。顔や仕草は見えないけれど声色には照れを多分に含んでて、たぶん今頃また癖のように手の爪先で自分の頬を掻いてるんだろう。

 ギシ、と床板が軋んだ。ゆっくりとした足音が近づいて、私の肩に手が触れた。

その手は暖かくて、優しさに満ちて、それでいて力強くもあった。その重みでハルトの気持ちが分かったような、そんな気がした。


「え?」


 視界の隅に入ったハルトの手を見て、私は声を挙げた。灰色の短くも深い毛に覆われて、動物らしい硬そうな爪や短い指の手はそこには無くて、細く長い柔らかな印象の、私の様な白い指がそこにはあり、温もりが一枚のシャツ越しに伝わってきた。

一瞬呆けて、そしてハッとして振り返る。そこには後ろ手に私に手を振りながら短い足で去っていく、いつも見てる鼠の獣人の姿があった。


「おやすみ」


 最後にそう言い残してドアが閉められて、私はポカンとさぞマヌケな顔を浮かべて見送るだけだった。

今見たものは幻だったのか。その判別さえできないくらいに胡乱な思考を飲んでいた酒のせいにして、私はベッドの中に潜り込む。隣にいるミーナにしがみついて、彼女の温もりを享受して、それでも肩の温もりは未だに残ってた。それは私が眼を閉じて意識が少しずつ遠のいていっても最後まで居座り続けていた。


――いい夢が見れそうだな


 そう思いながら幸せな気分と共に私は微睡みの中に消えていった。

けれども。

 幸せな気分は突然の声で終わりを告げた。


「――やっと、見つけました」



次週の更新は(たぶん)お休みします。

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