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1-11

本日、二話投稿しております。

1-10の方から先にお読みください。


主要登場人物

柏木ミサト:足が不自由な奇妙な発音だった異世界人。元、英雄であり世界の敵。


ミーナ:ミサトを拾ったネコミミ少女。人間と獣人のハーフゆえ村中からハブられてる薄幸少女。村を襲われた時にミサトと離れ離れに。


ダッカス:カブラスに雇われた傭兵。頭のネジが飛んだ人間。人殺しが趣味のお近づきにはなりたくない人間その1。


カブラス:アテナ王国辺境の領主。ダッカスとイズールの雇い主。野心ギラギラでリッターと共にアテナ王国の転覆を企む。


リッター:キツネの獣人。行商人だが、自分の商会も持っている。お金持ち。カブラスの国家転覆計画に手を貸す、頭のネジが飛びかけた亜人。



「そんなに状況はヤバイのか……?」


 脱出の荷物をまとめながらカブラスはダッカスに問うた。

彼とて引き際の重要性はわきまえている。目の前の失敗に固執すれば将来的な成功まで失いかねない。

だが感情としては早々納得は出来ない。無論ダッカスが嘘を言っているとも思えないし、彼の腕を見れば本当に手に負えない事態となっているのは明白だ。まして、召喚者とは言え相手は少女と思える華奢な女。多少は犠牲も出るかもしれないが、力づくで抑え込めるのではないか。そんな考えが浮かぶ。


「あぁ。俺もぉなぁんにも出来なかぁったな。今はぁ下でありぃったけの兵士(肉壁)で足止めしてるがぁな。後どれくれぇあの(化物)相手にゃぁ持つかぁな……」

「私はよく存じ上げませんが……薬は効かなかったのですか?」


 ダッカスを治療しながら執事のベルトランが重ねて問う。痛み顔をしかめながらそれにダッカスは首を横に振る。


「薬は効いた。現にぃ奴は記憶をとぉり戻した。だぁが洗脳の方はさぁっぱりだ。ちぃっとばかし奴とは話をぉしたが、おぉそらく奴は古代の魔法使いだぁな。それも、今よぉりも魔法がよぉっぽど盛んなぁ時代のぉな。洗脳薬だぁって突き詰めればたぁだの魔法だぁしな。対処法のひとぉつや二つ知っててぇも不思議じゃぁねぇ」

「イズールでも抑えきれなかったのか? 奴は最高の魔術師なんだろう?」

「レベルが違う」


 ダッカスは断言した。


「あの女にぃは魔法が一切通用しねぇ。ただ立ぁってるだけでイズールの魔法を無効化しぃやがったし、俺の腕をもぎ取るのにも指一本動かしてねぇ。多分、空間を操る魔法使いだろぉが、詠唱も無しにあぁんだけ強力な魔法を操るやぁつを俺ぁ見たことねぇ。ありゃ人間じゃねぇ。悪魔を召喚したぁってぇ方がまだ納得行くぜ。ったく、王族のやぁつらもとんでもねぇモンを召喚しやがって」

「……王家に御せると思うか?」

「いや、無理だろうな……っつ、もうちぃっとやぁさしく縛ってくんねぇかなぁ」

「申し訳ありません。が、時間が無いとの事ですので」


 治療しているベルトランにダッカスは恨み節をぶつけるが、口では謝罪しつつもベルトランは淡々としたものだ。表情を変えずに傷口付近を止血するためにきつく縛る度にダッカスの口から悲鳴が上がる。


「だとしたらまだやりようはあるか……」

「カブラス様。ダッカス様の応急手当が終わりました」

「ダッカス、動けるか?」

「なぁんとかな。そぉれよりリッターの方をしんぱぁいした方がいいんじゃねぇのか?」


 残った右腕の親指でダッカスが部屋の隅を指す。そこには、応接間の隠し扉から金貨や宝石を取り出してまとめているリッターの姿があった。


「貴様っ! 何をしている!!」


 カブラスはリッターに詰め寄り、リッターの胸ぐらを掴みあげた。


「何をと言われましても、お貸ししていた資産を回収しているだけでございますが?」

「貴様っ……! ここを放棄するつもりかっ!?」


 キツネの亜人の体は容易く宙に浮き、カブラスは壁に叩きつける。

散らばる金貨。リッターは小さく呻き、細い目で怒りに震える領主を見上げた。


「ダッカス殿の実力は私も把握しております。その彼が何も出来ずにここに居る程敵は強大。この城に居た兵士たちでどれだけの時間が稼げるか、と言う事ではありませんか。この城が彼女の手に落ちた場合には回収は困難でしょうからね。今の内に持てる範囲だけでも回収しなければ。商人としましてはね」

「兵を集めればこの城は取り戻せる!」

「希望的観測で商人は動きませんよ」

「言い争ってる場合じゃぁねぇよ。急ぐぞ、そぉっから城の外へ逃げられんだろぉ? さぁっさと行くぞ」


 ダッカスがソファから立ち上がり、痛々しい姿で二人の間に割って入る。

そこにもう一つ、割って入る声。


「おやぁ? 何処に逃げるつもりか、俺にも教えてくれねえか?」


 場が凍りつく。声の主が誰であるか、この場にいる誰もが容易に想像がついたが、それを振り向いて確認する勇気が持てない。


「おやおや、さっきまでは下っ端に散々接待させといて上司連中は揃いも揃ってガン無視か? 気を遣えない上司は部下からいつかそっぽ向かれるぜ?」

「貴様……」


 ようやくカブラスが振り向いてミサトの姿を認める。忌々し気にミサトを睨みつけるが、ミサトは涼しい顔をして部屋の中にゆったりと歩み行った。


「早かったじゃねぇかぁ、嬢ぉちゃん」

「ダッカスか。随分と面倒くせえモンを残してってくれてたな」

「まあな。気ぃに入ってくれたぁかい?」

「胸糞悪くなるくらいだったぜ。機会があったらぜひアンタにもプレゼントしてやりたいもんだよ」

「くだらん会話はもういい! それよりも貴様、どうしてその服を着ている!」

「ん? この服か?」


 言いながらミサトはスカートの裾をそっと掴み、クルリとその場で一回りした。

今のミサトの姿は白いブラウスに濃紺を基調としたジャンパースカート。スカートの裾には白いフリルがあしらわれ、胸元には真紅のリボンが結ばれている。肩ほどまでに伸びていた真紅の髪は、髪と同じ色のリボンで縛られて高めのポニーテールになっている。


「中々可愛いだろ? 服がボロボロだったからな。ちょいと隣の部屋から勝手に拝借させてもらったぜ。ああ、序にシャワーも借りたぜ。俺も一応女だからな。血塗れで人前に出るのは勘弁したいトコだったんでね」

「そんな事はどうでもいい! 今すぐその服を脱げっ!」

「おいおい、アンタ意外と大胆だな。いくら男ばっかの生活してるからって女を見るなりいきなり事に及ぼうなんてレディに対する扱いがなってないぜ」


 いきり立つカブラスをおちょくりながらソファにミサトは座る。そして肘掛けに肘を突き、脚を組み、首を斜めに傾げて何かを待つかの様に三人の反応を伺う。


「……何とぉかなるたぁ思えねぇがぁ仕方ねぇ。首ごと頭を吹っ飛ばされる前にいっちょやってみるか。どうせ死ぬなら強ぇ野郎と戦って死にてぇからな」


 首に掛かった首輪を撫でながら立ち上がるダッカス。だが、それをリッターが制止した。


「まあまあ、落ち着きましょう。  お嬢さん(リトル・レディ)、私と交渉致しませんか?」

「交渉だあ?」

「ええ、まずはこちらを」


 言いながらリッターは先ほどの隠し扉から取り出した宝石の一つをポケットから手に取り、それをミサトに手渡す。

ミサトは興味なさ気にそれを指で摘んで眺めていたが、「で?」と続きを促した。


「中々良い宝石でしょう? もし私たちを見逃して頂けるのならば同じ様な宝石を好きなだけご用意致しましょう。無論現金をお望みであれば、そちらも好きなだけお渡し致しますが、いかがでしょう?」

「悪ぃが金にも宝石にも興味はあんまりねぇんだ」

「そうでしょうね。でしたらこのお屋敷は如何でしょう? 少なくともしばらくは衣食住には困りませんし、資金がもし必要になれば売り払って別の町に移住されても結構ですし、その際には私も便宜を図らせて頂きます」


 リッターの申し出に焦ったのはカブラスだ。代々領主が住み続けてきたこの城はプトレイ領の象徴でもあり、先ほどリッターが取り出した他にも課税を逃れる為に隠した多くの資金がまだ眠っている。

声を荒らげてリッターに詰め寄ろうとしたが、それより先にミサトが首を横に振り、カブラスは言葉を飲み込む。リッターはそのミサトの反応を予想していた様に落ち着いたまま話を続ける。


「それでしたら何をお望みでしょうか? 私どもは手前味噌ながらかなり大きな商会を運営しております」

「知ってるよ。金儲けに飽きたから今度は国を奪おうって言うんだろ?」

「ええ。しかし私個人の願望はこの場は置いておきまして。手広く商売をやっておりますので、この世界に御座いますものであれば大抵はご用意できます。何をご希望でしょうか?」

「希望?」

「なんなりとお申し付けください。リクエストにはお応えできると思いますが」

「テメェの命」


 薄く笑みを浮かべたままミサトは短く応えた。


「それさえ貰えりゃ俺は満足だ。他には何も要らねぇ。テメェらを処分した後で金とかは勝手に貰ってくからな」

「それは請け合いかねますね。何とかなりませんか?」

「ならねぇな。ああ、せっかくだからこの宝石は貰っとくぜ?」

「そうですか……」


 落胆した様子を見せながらリッターは立ち上がる。そのままミサトから離れ、ダッカスとカブラスの間を分け入って窓際へ。ため息を吐きながら曇天の空を眺め、独りごちる様な声で窓を開けながら告げた。


「ならば交渉は決裂ですね」

「だな。アンタも本気で交渉できるとは思ってなかっただろ?」

「お見通しですか……」

「当ったり前だろ? じゃなきゃ世界とケンカなんか夢のまた夢だぜ?」

「ふふっ、そうですね。世界を相手取るにはちょっとやそっとの力じゃ無理でしょうから。

 ――ですが、これは予想出来ましたか?」


 リッターは振り向き、そして一言だけ紡いだ。


着火(イグナイト)


 瞬間、ミサトの体が業火に包まれた。一瞬の眼も眩まんばかりの閃光。皮膚を焦がすばかりの熱風が部屋中に散らばり、暴風が部屋の装飾をなぎ倒していく。机上のワイングラスとボトルが弾け飛んで中身が撒き散らされて床の豪華な絨毯を汚した。


「くぁっ!!」


 カブラスは爆風によって壁に叩きつけられた。衝撃に刹那だけ意識を持って行かれたが、頬をチリチリと焼く痛みにすぐに我に返る。熱風を防ぐために無意識に庇った腕の隙間から部屋の有り様を目の当たりにした。

火炎は天井へと立ち昇って燃え広がり、ミサトが座っていたソファも瞬く間に炎に包まれている。爆心近くにあった家具類は全て吹き飛ばされ、離れた位置にあるものでも燃え易いものには熱風により火が着き、次々に部屋全体へと燃え広がっていく。


「ぐあああああああああああああっ!!」


 そしてダッカスもまた炎に包まれていた。カブラスよりもミサトに近い位置にいたダッカスは爆炎を間近で受け、立ち昇った火炎の嵐に巻き込まれた。服に引火した炎は瞬く間にダッカスの全身を駆け抜け、体を焼きつくしていく。


「ああああああああああぁぁぁ……」


 腕を振り回し、喚きながら助けを求めて室内を彷徨う。狂った様にもがき、焼け焦げていく油の匂いがカブラスの鼻につき、迫ってくる様におぞましい程の恐怖を感じる。

戦乱に喘ぐ世の中だ。実戦の中でも多くの家が焼け、人が焦げていく様を目の当たりにしてきたが、これほどまでに恐ろしいものだっただろうか。カブラスは戦慄に動けないまま、ただひたすらにダッカスから離れようと体を壁へと押し付けていた。

叫びは徐々に小さくなる。全身を炎に包まれたダッカスは膝から崩れ落ち、倒れ伏し、やがて動かないままに燃え尽きていった。


「リッターぁっ……!」


 そんな中でリッターだけは無傷で窓際に立っていた。キツネ目は側められ、口元は薄く狡猾な笑みを湛えていた。


「おや、生きていましたか。ご無事で何より、と申し上げるところでしょうかね、ここは」

「貴様……最初から私を始末するつもりだったっという事か……」

「いえいえ、今回の取り組みが上手く行けばそのままカブラス様に従っていくつもりでは御座いましたよ。ですが、このままでは私の身も危なかったですので。いやはや、保険のつもりで仕込んで置きましたが、まさかこの段階で使ってしまうとは流石に予想外でしたが」

「くそっ……亜人である貴様を信用したのが間違いだったか……しかし何故貴様が魔法を使える!? 亜人は魔法を使うことは出来ないはずでは……」

「ええ。私自身は魔法なぞ使えませんとも。ですが……」


 ポケットから宝石を一つ取り出す。それは色こそ違えど、先ほどミサトに渡したものと同じで、何の変哲も見受けられない。だがリッターが撫でると、宝石が淡く光を発した。


「こちらは我が商会が独自に開発しました魔道具でしてね。特定のキーワードと亜人程度が扱える微力の魔力さえ流せば誰にでも発動できるのですよ。まだまだ試作品でして、精々人ひとりしか殺せない程度の威力しか出せないところと、宝石を使用するのでかなり高価になってしまうのが難点で……」


 自分を始末するために仕込まれていた魔道具のセールストークを歯ぎしりしながらカブラスたちは聞いていたが、不意にリッターの言葉が不自然に止まる。突然の変化に「どうした?」と尋ねてもリッターからは返事は来ない。

代わりに、二人の背後から声が聞こえてきた。


「まったく、もったいねぇ事をしやがるぜ……」


 リッターの首が捻れた。ゴキリ、という音と共にリッターの頭が百八〇度回転し、グルリと白目を向く。何が起きたのか理解できていないだろう。驚愕と恐怖を顔に貼り付けたそのままの表情で動かなくなった。

 立ち上っていた火柱の中からミサトが徐ろに歩み出てくる。頬に少しだけ火傷の痕と、白いブラウスがやや煤けているがそれだけ。「ふぅ」と肺に溜まった息を吐き出して、額に光る汗を掌で拭い取る。


「炎に包まれても無事だと……おのれ、貴様は不死身か……」

「んな訳ねぇよ。まあリッターの周りの魔素密度がおかしかったからリッターが宝石に何か仕込んでんのは分かってたしな。でもこれでもだいぶ焦ったんだぜ? 思ったより威力があって熱を逃しきれなかったし。正直、舐めてたよ」


 言いながらミサトはズキズキと痛む頬と腕を撫でる。舐めてかかった代償としては大したこと無いが、久方ぶりに力を使っているというのに驕り過ぎた。

 パチパチと音を立てて燃え続ける室内で内省するミサトだったが、それをカブラスの声が中断させる。


「……おい、女」

「女、じゃねえよ。俺にはミサトっていう名前があるんだ。ちゃんと呼べよ、貴族サマ」

「……それは失礼した。では、ミサト。頼みがある」

「へえ……一応聞くけど、それは自分の立場を分かった上で言ってんだよな?」

「ああ、勿論だ。私の命が欲しければ幾らでもくれてやる。金もやろう。だが、しばし私に時間をくれないだろうか?」

「理由は?」

「計画を成就させる為だ」


 炎に照らされて赤くなった世界で、カブラスは願う。


「今の王家ではダメだ。奸臣と佞臣が闊歩し、外患だけでなく私の様な内憂すらも払うことはできておらん。いずれこの国は滅ぶ。私としては国が滅ぼうが一向に構わんが、しかしそれで苦しむのは誰だ?」

「さて、ね。俺には興味がねぇから分かんねぇな」

「ならば知るが良い。苦しむのは民だ。力無き者だ。力なきまま国を支え、国に裏切られ続けた民だ。このままでは国は荒れ、民は飢え、そして力を誇る者に殺されていくだろう。魔族もここぞとばかりに蹂躙するためにやってくるやもしれん。王都の貴族や王族がどれだけ死のうが気にするつもりもないが、そうなった時に真っ先に苦を味わうのは我らの様な辺境に住む者達だ。プトレイ領の領主として、それだけは何があっても容認できん」


 語るカブラス。しかし、ミサトは退屈そうに大きくアクビをした。ピクリ、とこめかみをカブラスは震わせるが、グッと拳を握りしめて怒りを堪える。


「……だから私は王族を倒さねばならない。一度国を壊し、そして再度一から作りなおさなければならない! 他ならぬこの国の民が! 外国に乗っ取られる前に我らの手で、民の為の国を建国しなければならないのだ!」

「分かったよ。アンタの言いたいことは分かったから落ち着けよ」


 ミサトに言われてカブラスは自身が興奮していた事に気がついた。

追い詰められて感情が昂ぶりやすくなっている様だ。興奮を抑える様に一度深く息を吸い込み、カブラスはミサトに再度頼む。


「だからミサト。今、私はここで膝を突くわけにはいかんのだ。お願いだ、この場で私を見逃してくれまいか? 勿論計画が成就した際には私の命を差し出そう。眼を離すのが嫌ならば常に私の傍にいてくれても良い。だから、頼む……!」


 カブラスは強く歯を噛み締めた。

プライドが高い男。カブラスは辺境とは言え紛れも無く貴族だ。亜人と手を組むと事も業腹であるし、爵位を持たない平民の、ただの召喚者であるだけのミサトに下手に出て命乞いをしなければならない。この現状は痛くカブラスのプライドを傷つけている。

口ではああ言ったが、カブラスに命を差し出すつもりは毛頭ない。大事なのは今この場を切り抜ける事だけ。そして計画を最後まで成就させるだけだ。その為にはどれだけ悔しくとも、どれだけ自身の誇りが傷つこうが耐えるしか無い。全ては、我が領土の民の為に。

カブラスの額から汗が流れ落ちる。熱気が部屋を焼く。燃え広がった炎は次々と家具を灰に帰し、逃げ場を失うまでに幾許の猶予も無い。焦りがカブラスを襲う。

だがミサトは涼しい顔をして耳垢を取り、小指についたそれをフッと息を吹きかけて飛ばし、そしてやっと口を開いた。


「断る」

「何故だっ!! 貴様も人間だろうっ! 人間が、同胞がどれだけ苦しもうと構わんと言うのか、この人でなしがっ!」

「テメェがそれを言うのかねぇ……」


 ミサトは詰まらなさそうに独り言ち、グルリと炎に包まれた部屋を見渡した。


「いい加減暑ぃな」


次の瞬間、開け放たれた大窓から猛烈な風が吹き込んだ。突風にカブラスは思わず眼を閉じて顔を守るように腕を交差した。

しばしの間室内で風が荒れ狂い、床に転がった装飾品やリッターが通路からかき集めた宝石類が吹き飛ばされる。炎に熱せられた風が皮膚を撫でて、カブラスは悲鳴を上げた。しかしその後すぐに風から熱が消え、やがて風自体も静かに収まっていく。

腕を下ろし、恐る恐るカブラスは眼を開ける。すると、部屋中で燃え盛っていた炎は跡形も無く消え、後には灰になった家具や焼け焦げた壁、そしてカブラスとリッターの遺体が残った。


「理由を教えてやるよ。だがその前に質問だ」


 楽しそうに口元を歪ませながらミサトは尋ねた。


「その願い。本当にアンタの願いはアンタの物か?」


 侮辱。腹の底から怒りが渦を巻いて湧き上がり、カブラスは眼を向いてミサトに向かって怒鳴り声を上げた。


「貴様! ここに来て尚私を侮辱するか?」

「侮辱?」

「そうだ。私は民の為に動く。それを決めたのは私だ! まして民を想うなど、この私以外に他の誰が……」

「くっくっくっく……ハーハッハッハッ!!」


 怒りを顕にしてカブラスは気色ばむ。だが、更に言葉を続けようとした瞬間、突如としてミサトが肩を震わせて笑い声を上げた。


「な、何がおかしい!」

「いいぜ、いいぜ、カブラス。アンタ最高だ。そこまで本気で断言されると滑稽を通り越して哀れに思えてくるぜ」


 尚も肩を揺らし、腰を折りながらも必死に笑いを堪えてミサトは動揺するカブラスの顔を覗き込むようにして見上げた。


「何を言いたいっ……!」

「気づかねぇかな? 自分じゃ気づけねぇよな? だけど俺には見えるぜ。アンタの後ろに、アンタをこうまで動かす亡霊(ゴースト)の姿が」


 笑いすぎて目元に浮かんだ涙を拭きながらミサトはカブラスの背後を指さした。カブラスはギョッとして振り向く。しかしそこに他の誰が居るわけでも無く、幾分煤けた白壁があるだけだ。


「テメェはテメェ自身で一般ピーポーの生活を想いやるなんて事に気づくタマじゃねえよ。テメェの本質はプライドだ。常に上から物を言うだけの、ただ傅く人間を見下すだけしか出来ねえ脳無しだ。そんな人間が民の為に身を粉にして働くなんざ、そんな発想が出てくるはずがねぇよ」

「侮辱するなっ! そんな事なぜ貴様が分かるというのだっ!?」

「別に。ただ単に俺の直感だかんな。根拠も何もねえし、そのことでアンタをどうこう言うつもりはねぇよ。ただ、その肖像画」


 ミサトが指したのはカブラスの後ろの肖像画。満面の笑みの子供がそこにいて二人を見つめている。


「可愛い女の子だよな。周りに居るのはここの領民なんだろ? みんなに慕われて幸せそうだ。アンタの娘か?」

「……そうだ。愛しかった我が娘だ。もうこの世には居らんがな」

「亜人にでも殺されたか?」

「だからどうしたというのだ……! そんな事貴様に関係なかろうっ!!」

「死人に縛られてるのが気に入らねぇっつってんだよ」


 ミサトがため息混じりに言い放つと同時にカブラスの腕が捻れる。軋む骨。歪む腕。痛い、と思う前にカブラスの腕は捩じ切られ、右腕の肘から先が空を舞った。


「ぐあああああっっ!」

「亜人を憎むのは娘を殺されたから。領民を想うのは娘が民を大切にしていたから。

 アンタ、願いが成就されたら俺に殺されても構わねぇって言ったよな?」

「くっ……ああ、そうだ。だからこの場は……」

「お前にゃ無理だ」


 膝を突き、腕を抑えて苦痛に顔を歪めているカブラスを見下ろしながらミサトは断言した。


「アンタには何も出来ねぇ。国を変える事も、領民を守る事も、テメェの願いは何一つ実現できねぇよ」

「ふざけた事を言うなっ!! 私は成し遂げてみせる!」

「借り物の願いで動かせる程、世界は軽くねぇんだよ」


 カブラスの制止を無視してミサトはカブラスの体を宙に浮かせる。ミサトの支配下から逃げ出そうと脚を必死にばたつかせ、流れ出る血も構わずに腕を振るうがいずれもただ空を切るだけだ。


「ま、待てっ! 私なら、私ならば……!!」

「それじゃあな、世界の敵(同胞)。いっぺん死んで、それから出直して来い」


 ミサトは泣きそうな笑顔を浮かべた。

そしてカブラスの体が捻れていく。脚が、首が不自然な方向へ変形していく。悲鳴は悲鳴にならず、蒼い瞳には涙と恐怖が浮かんで消えていく。それは、彼がミサトにもたらしたものと同じ。

カブラスの悲鳴が部屋に響いた。その様子を、血に汚れた少女は壁から優しい笑みのまま、ただ見守っているだけだった。

 その下で、ミサトは膝を突き、両腕で体を掻き抱き、俯いたまま体を震わせていた。



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