3-6病
「血の匂い……」
母は警戒する。
薬師という職業柄あまり闘うことは得意ではないが、
その分危険な森の中で自然と磨かれた危機察知能力は
侮れないものがあった。
こっちから臭う。
どうやら風下にいたために、
血の匂いにかなり近づいてしまったらしい。
母はどうやら今日はあまりツイていない日なのでは
ないかと思い始めていた。
とりあえず周囲への警戒をしながら、
血の匂いがする場所から離れようと試みる。
手負いの獣やそれを狙う獣に遭遇してはたまらない。
慎重にゆっくりと急ぎ逃げる。
「「ブワッ」」
突然の強い風。
何事かと母は警戒するが、特に敵がいるわけでもなさそうだった。
ただ、今の風によって木が揺れ、さっきまで見えていなかった血の匂いを
強く放つ場所がはっきりと母の視界に捉えられた。
「これで大丈夫」
母は怪我をしている父を見つけると近づき、
すぐに治療を施した。
緊急時用のポーション【上】を傷口にかけると、
見る間に傷が塞がる。
ちょうど父が意識を失っていたことも
スムーズに治療ができたようだ。
しかし、治療が終わって
そのまま放置する訳にもいかず
母は父を背負って場所を移動する。
治療の際に血の匂いを消す薬を蒔いたとはいえ、
既にこの場所に近づいている魔物や獣もいるかもしれないから。
母が父を背負ってこの辺りなら安全だろうという場所まで着くと、
父は目覚めた。
始めは助かったことにも人間が側にいることにも驚いたようだった。
しかし、母がただの患者として父を扱ったことで大人しく
指示に従っていた。
父はストーンベアと闘った際に
秘薬を使い、一時的に身体能力を高めていた。
そのおかげで逃げ切ることに成功したのだが、
副作用として体の内部を傷付けてしまっており、
長期の療養が必要になっていた。
「私の村で治療しましょう」
そのことに気付いた母は、
難色を示す父を説得して連れて行くことにした。
父も、ダークエルフの里を人に知られる訳にはいかず、
かといって一人で森の中を戻る体力もない。
「……すまない、世話になる」
その日から父の怪我が完治するまでの3ヶ月の間に、
父は母と恋に落ち、二人は夫婦となった。
ダークエルフは人の集落では珍しがられたが、
森の側に生きる人達はダークエルフに敬意を持っていた。
加えて、父は土の神に愛された種族である。
お世話になったお返しということで、
村の農作物を豊かに実らせることに力を貸した。
ここまでして貰って感謝しないほど捻くれた人は
この村にはいなかった。
「これ大きく育ったから食べて」
多くの村人が母の家に父を尋ねて来た。
「ありがとうございます」
父も森の中にひっそりと隠れ住んでいる種族の割には
人見知りもしないので、
村人とすぐに馴染んでいった。
村人の一員になるまで時間はかからなかった。
そして、二人の間に子供ができた。
懐妊率の低いエルフ族であったが、
村に住み始めて半年で子供ができることは
神からの啓示だったのかもしれない。
父は村からダークエルフの里に帰るつもりだったが、
新しい家族が二人もできたため
この村に住むことにした。
そして、子供が生まれる。
その容姿はとても愛らしく、
父は何度となく食べてしまいたいと思った。
カワイイ手も、カワイイ足も、
全て食べてしまいたい。
このダークエルフの耳も……
この子のためなら、心臓だって目だって差し出そう。
父は子供の姿を見てそう決意した。
子供の名は、『ユール』と名付けた。
それから6年。
何事もなくユールはすくすくと成長した。
「めっ、ちゃんとたべうの」
マル茸というキノコが苦手な父は、
料理から除けていると、ユールに怒られた。
「でも……お父さん苦手なんだよ……
ユールに上げよっか?」
「めっ」
父はまだ6歳の娘に叱られ、横に座る母の冷たい視線
を浴びて大人しくマル茸を食べた。
この食感がなぁ~。
口の中に広がるなんとも不快な食感に苦悶しながらも、
父は幸せを噛みしめていた。
父がマル茸を食べた翌日は曇りだった。
「最近は雨が少ないから降ってくれるといいな」
「そうね、まだ用水路も完成してないから
降ってもらわないとね」
父と母の期待に添うように雨が降り出す。
雨粒は大きく、久しぶりの雨は恵みの雨になったようだ。
しかし、そのせいで
激しい雨音に乗じてやってきた小さい影が、
この村にやって来て、破裂音と共に消えたことに
誰も気付かなかった。
父と母が住む村はガリアナ王国の東南にある
人口200人程度の小さな集落だ。
大雨の後に、村の西に住む40代の女性が亡くなった。
悪寒戦慄、高熱と嘔吐が十日続くと、最初の感染者は死んだ。
その死体は黒く変色していた。
母は始めて見る症状ということもあり、
すぐに都市に向けて救援を求める使者を出した。
解毒ポーションや石化回復用ポーションなど
状態異常に効果のあるポーションを含め、
色々な薬を試したが、残念ながら症状の改善は見られなかった。
治療方法が全く見つからない状態で
時間は過ぎていく。
同じ症状で身動きが取れぬ村人が日に日に増えていった。
皆発症してから十日高熱が続くと、そのまま衰弱し息を引き取った。
快復する者は誰一人おらず、次から次へと死んでいった。
「母ちゃんをたすけてくれ」
「息子が息子が……」
薬師の母を頼りにやってくる村人は
治して欲しいと悲痛な面持ちで懇願してくるが、
力及ばずあっという間に村は墓場と化した。
一昨日は隣のお婆さんが亡くなる。
昨日は村長の所の娘と宿屋の奥さんが亡くなる。
今日は馬を飼っているおじさんが亡くなる。
そんなふうに毎日村人の誰かが死んでいく。
「何が原因なの……」
薬師の母は、辺鄙な村に住んでいるが、
彼女の師曰く、この娘は10年に一人の逸材だと。
しかし、最初の患者から二週間立った時点ではまだ、
目の前で苦しむ謎の病の原因を特定できないでいた。
大きな街へと送った救援の使者は、
薬師や神官を連れて村に戻ってきた。
精鋭の人材が送り込まれてきた。
母の使者は、確実に彼女の師である当代きっての大薬師に
文を届けたようだ。
しかし、優秀な人材であっても
数日で成果を上げるのは難しく、日に日に患者は増えた。
もう少しすれば村が消えて、病も終息するかに思えたが、
━━患者は村の外でも増えていた。
父と母とユールの住む村だけでなく近隣の村でも
同様の症状の患者が出始めていた。
平民も奴隷も貴族も、地位に関係なくかかる。
それにより、ガリアナ王国もようやく重い腰をあげた。
既に最初の患者が発症してから一ヶ月以上が経過していたが、
王国の動きとしては珍しく素早い対応が行われる。
王国は即座に感染地域一帯の村を隔離することを決定した。
すなわち、感染地域の外に出ようとした者は、
王国の抱える魔法使いに焼かれて
殺されることになった。
それでいて、
王国のお抱え薬師や位階の高い神官達は、
病の解明を行う際の感染を恐れ、調査・研究に尻込みしていた。
結果、病気を治すのは、その隔離地域に残っている
神官、薬師に託された。
「どうやら、我々は見捨てられたらしい」
ユールの村に滞在中の救援チームの神官や薬師の数人は、
休憩に入っていた。
24時間体制で研究を続け、今は治療していなかった。
正確には対症療法すらままならず、
根本的な研究に時間を割くべきであるという話し合いの結果である。
感染経路も不明のため、
自分たちにすら時間がどの程度残っているのかわからない。
苦汁の決断であった。
「やっぱりですか……」
神官の男が吐き出すように言う。
「南州の州都サルガスへの街道が封鎖されてるって。
街道の外にも気配探知に優れた連中を配置する
念の入れよう」
薬師の女は呆れるように国の対応の手際の良さを
嘲笑う。
「出世狂いのあの大神官の仕業か。
あいつ神官のクセに俗物すぎるぜ。
女にも見境がなくて、一度それが原因で左遷されてるのに
まだこそこそやってるって噂だし」
大神官の男は不愉快そうに眉をひそめる。
「そうなると、私達が生き残る理由としても
早くこの病の治療法を見つけないとね」
「ああ無論だ」
しかし、実質的には王国最高クラスの神官や薬師
の彼らであったもまだ原因の特定には至っていなかった。
ユールの村はもう5人も残っていなかった。
治療方法の見つからない長い時間は、
皆を死に追い遣るには十分だった。
「どうしてどうして助けてくれないの」
「うちの息子が、まだ十歳にもなっていないのに……」
「うちの母ちゃんをなんとかしてくれ
金ならなんとかする、一生働いてでも返す
頼むよ」
母は村中で懇願された。
母は村中の患者を見た。
母は寝る間を惜しんで色々な薬を試した。
父は母の治療と研究を助けるため、
森の深部まで薬草などの素材を集めに行った。
父は亡くなった村人を運び
火葬し墓を作った。




