虫とソラの悲しみ
短い
地面の上に直接、傷一つ付いていない男の身体がいくつも並べて寝かされた、騎士団演習場。
騎士は一人一人の顔を覗き込みながら手元の似顔絵が描かれた紙束を捲り、そうだと思わしき似顔絵を、男の上に重石と一緒に乗せていく。
これは、死体と指名手配犯の照合作業の、前段階。
これから目撃者や知人に死体を見てもらい、本人と確認できれば討伐者に懸賞金が支払われるという仕組みだ。
だが実は既に死体の身元確認は済んでおり、懸賞金も支払い済みという事実が公にされることはない。
この確認作業は何も知らない民、そして被害者へのパフォーマンスなのだ。
此処に並んでいる死体は、とある非合法組織の会員と、今回の仕事のために雇われたアウトロー。
その組織にも帝国情報部の手は及んでいた……のだが、帝国外に拠点を置く組織だったがために報告が遅れたのだ。
親機と子機の効果範囲に合わせて領土を拡大したという噂まである伝家の宝刀、『水鏡』の弱点。
仕事内容と構成員の名簿が皇帝の元へ届いたのは、ソラが大掃除をした次の日のことであった。
「いやー、圧巻だね」
城の窓から見える広場を見下ろした皇帝陛下は、その並べられた死体に何とも微妙な感想を言う。
全裸で、全身を覆い隠せる白い布から顔を出した死体。
オススメだからと行ってみたけどそうでもなかった観光名所を見てだけど、周りの人の顔色を窺ったような言葉。
感情の込められていない無難な答えだが、普通、並べられた死体を見て告げる感想ではない。
室内には、その死体を並べたソラと、いつも通り付いて来たベルの姿もある。
「ドロップと懸賞金混ぜても、最初に騎士ボコった時より少ない……」
帝国硬貨をテーブルに並べては落ち込むソラを見て、それは寧ろ騎士が異常にお金を落とす方が変……というか、本人の持ち金が減るわけでも無いのに、戦闘不能にしただけでアイテムやお金が手に入る『アイテムドロップ』というシステムが一番おかしいのだ。
痺れた海竜、引っくり返して逆鱗を抜いただけの地竜からもアイテムを手に入れたのだから、その理不尽さは計り知れない。
ドラゴンから剥がれた古い物だけを手に入れる人からすれば嫉妬を受けそうなものだが、そもそもドラゴンを戦闘不能にしなければならないのだから前途多難。簡単にそこまで出来るなら普通、殺して剥ぎ取るというのが人間。
そんなことを思いながらも口には出さず、紅茶を一口。
「盗賊は序盤に出てくる一戦で百も落とせばいい敵で、騎士は中盤以降の一人で千は落とす敵かな……あれ? 戦闘不能にするだけでアイテムとかお金落とすなら、ボコってドロップ確認、回復か蘇生、またボコってを繰り返せば──」
「おおっ、死体の腹から巨大な虫が飛び出てきたぞ!」
「マジで!?」
虫使いのギフト持ちが、プロ意識か、はたまた嫌がらせか。
死体から羽化する卵を自らの身体に埋め込んでいたらしく、ソラのインベントリの中に入ってもドロップアイテムとなることもなく、死体に埋め込まれたまま、むしろ帝都内に羽化前に持ち込まれてしまったらしい。
もしもソラが出す際に、インベントリ内のアイテム解説を死体一つ一つ律儀に確認していたのなら、『何かの卵が埋め込まれている』という一文を目にしていたことだろう。
“瀕死と回復の無限ループ”という金稼ぎは、巨大寄生虫の命を賭けた(?)頑張りによって、ソラの頭からすっぽりと抜け落ちた。
危なく実験台にされるところであった帝国騎士とドラゴンは寄生虫という命の恩人の存在に一生気付くことなく、一斉にくしゃみをしては首を傾げるのであった。
──しかし、忘れてはならない。
──紅茶を口に含み、腹黒い微笑みを浮かべている存在のことを。
「キショい! チョーキショいよこの虫!」
「ソラ様だ!」
「ソラ様が来たからにはもう安心だ!」
「ソラちゃーん!」
「S・O・R・A! ソ・ラ・ちゃーん!」
──新たな竜との邂逅時に口添えするつもりであったが、騎士でのお小遣い稼ぎ前にしましょうと心に決めた。
そして、寄生虫は──
人の体よりも出てきた虫のほうが大きいという不思議もあったが、無事、犠牲も戦闘シーンも無く退治されてしまった虫。
自分はともかくベルが蚊に刺されるのを防ぐため、スキル<虫除け>を強化して<殺虫>にしていたことを忘れていたがために、ソラが近寄っただけで光になってしまった、哀れな虫。
あまりにあれな終わり方に、城の上層部から飛び降りたソラは着地失敗どころか墜落。
ぴくりとも動かぬまま俯せになった仮面の子供に騎士が恐る恐る近寄るも、突然地面に開いた『ゲート』にソラは脱力したままズルリと落ちる。
ベルの近く、天井に開いた出口から絨毯の上へと、べちゃり。
顔を上げぬまま匂いを辿って匍匐前進。
ベルにしがみついたソラは、太ももに顔を埋めてしくしくと泣くのであった。
ソラの頭を優しく撫でる、役得のベル。
何があったのか謎すぎる光景からの、背後でソラが落ちた音に吃驚して固まる皇帝。
やっぱり居て、指の間から鼻血を溢れさせるソフィア。
私の手を離れてから貴方は変わってしまったのね、という目をソフィアに向ける女官長。
騎士団演習場がよく見えるからと押し寄せてきた集団に、此処、私の職場なんですけど絨毯に鼻血が……とは言えぬまま、オロオロするだけの女性文官。
部屋の前で待機している近衛騎士の一人は“無関心を貫かなければならない”という新手の拷問に耐えるため、鎧の上からそっと、仮面を収めた場所を撫でるのであった。