山と私
遅れました。
この山は果たして、何メートル級なのか。
ベルを宿屋に置いてきたまま山に飛んできたソラは、麓で野暮用を済ませた後、冒険者用の登山口から山を見上げながら、ふと思った。
そんなソラは、氷耐性の付いた防具とアクセサリーで身を固めていた。
モコモコとした白一色の毛皮装備『アイスマンシリーズ』。フード付きコート、ミトン、ロングブーツ。スカートではなくズボンで見た目の「白いモコモコとした人型」に拍車がかかり、仮面は状態異常無効の──高山病に効くかは不明だが──白狐の面。真っ白だ。
男性用の同じシリーズ装備だと名前の通り、どこからどう見ても雪男になる。コートやミトン、ブーツを単品で取り扱えばオシャレでカワイイ女性用装備の方が当然ながら人気だ。
万年雪が残る山に登ったことがある者なら分かると思うが、夏でも寒い。春秋でも洒落にならないくらい寒い。冬は入山禁止になる山があるのも納得の寒さ。
攻撃への耐性である数値が環境に適応されるのかは知らないが、ただの服としても暖かそうだし、登山服なんてピンポイントでご都合主義な装備は存在しない。防具としての性能はソラの普段着より低めだが、そもそも異世界に来てから、攻撃を受けたり避けるどころか、攻撃をさせる前に倒していたり、後の先……攻撃が身体に当たる前にカウンターで倒したりと、ゲーム裏面クリア直前のステータスを持て余していた。
「元気だねぇ」
わざとゆっくり飛びながら、眼下の戦いを眺めるソラ。
木々に囲まれた緩やかな傾斜で、鹿のような捻れて枝分かれした角の生えたゴリラ一匹を剣士三人が追い掛け、その先で待ち構える杖持ちと弓持ちと、その護衛らしき剣士。
待ち伏せしている場所にはロープが張られ、それに躓くか絡まった所を攻め立てる作戦だろう。
ソラは最近、ようやく「ペルギルの能力は、この世界でも十分強い」と自覚してきたのだ。「十分どころか規格外」とはベルの言葉だが、ソラは未だ、勇者とか魔王は別格だと思っている。
召喚、異世界、ゲームの能力。
ソラは未だ、この世界に馴染んでいないのだろう。
変な言い方だが、同じ人間だという意識が薄いのかもしれない。
眼下の狩りを、日本人のソラが、ドキュメンタリー番組で危険動物の駆除を観るのと似たような感覚で見てしまうのだ。
自分ならもっと簡単に仕留められるのに、本心から「凄いね」と口から出す。
そこが危ういと、ベルは危惧していた。
・・・
「到着、っと」
狩りが何のトラブルも無しに成功するまで見守っていたのが、十秒ほど前。
あまり面白くなさそうな解体作業が始まったので、チャンネルを変える……どちらかと言えばテレビを消すのと同じ気分で、当初の予定を進めようとソラは張り切った。
青春モノやドキュメンタリー番組を見終わった後によくある、自分もなんだか頑張れる気がする感覚。
宿屋のおばさんの話では、山頂に辿り着いたという話は聞いたことが無いという山。
そういえば名前を聞き流していた山、登頂。
後ろを振り返れば、雲は遥か下。ハンターの狩り場である森は、斜面を降りて渓谷を越えた数キロ先。街と近いと思っていたのは遠近感のせいで、地平線の端にそんなものが見えなくもない。
鉱山都市とは聞いたが恐らくこの山とは違う山なのだろうと、ソラは何となく思った。
「あれ、なんで山頂に来たんだっけ?」
山を越えた先に用があって、山脈が連なってるからベルを麓の街に置いて……。
何も一番高いところから行かず、低いところ──そこはエベレストの山頂くらい──から飛び越えていけば早い話。
「うーん……そこに山があったから?」
山があったから山頂にきた。
用は無いけど。
目的は下だけど。
特に寒さや空気の薄さも感じることなく、どうして自分は山頂に着陸したのか、そんなどうでもいいようなことで悩むソラ。
───雲は無いはずの山頂。
───ソラと太陽とを阻む物が無いはずの世界で、ソラを、大きな影が覆った。