捨てずに取っておくことで
門外不出、ラクール城の詳細な地図。
護衛を伴った安田遊は目的地と「奇妙な噂」の確認のため、歩きながら古臭い地図を眺めていた。
城壁の中に"ロ"の字型の建物があり、中の空白は練兵場。
城の正門である南を"ロ"の下の線だとすると、下の線はエントランスやダンスフロアといった縦と横の幅が一番広い建物の集合体となっており、左右の線は主に客室と使用人部屋、上の線が王族の居住区となっている。
騎士詰め所、厨房、会議室などもあるが、それらは必要な場所に大小それぞれ複数箇所あるので明記はしない。
そしてラクール城の外見的な特徴として特筆すべきは、"ロ"の四つの角、正面棟の中心部分、王族居住区の中心部分にある塔だ。
建造目的としては外観八割なその六ヶ所の塔は、それぞれが時計塔や貯蔵庫といった違う役割を持っている。
今まさに安田遊が目指している場所は、その塔の一つ。
呪われた王族のギフト、今世の勇者召喚の立役者、誘拐された第三王女。
王族居住区にある、通称「幽閉塔」だ。
中庭側の窓ガラスが強く揺れ、風の音が鳴り止まない。
仲間がそこで戦っていると判っていても、安田遊には安田遊の戦いが待っているのだ。
……待っているはずなのだが、待っている場所が。
「よりによって女性の部屋を指定されることになるとはな……」
いまいち緊張感が湧かない、男としては別の意味で緊張しそうな場所にやる気が削がれそうだと、地図を丸めて護衛の騎士に手渡した遊は頭を掻いた。
地図を受け取った騎士は最後尾へと下がり、隣に来た別の騎士は遊の独り言に返した。
「少なくとも女性の部屋、という点に関しては大丈夫かと」
第三王女の警護を担当し、部屋に異変があれば気付くだろうと遊の護衛に選ばれた壮年の騎士が、これから向かう部屋について情報を一つ。
「私は若手騎士寮の見回りをしていたことがあるのですが、これから向かう部屋以上に殺風景な部屋というものを遂には見つけられませんでしたから」
第三王女は嫌われている、という噂は何度も耳にしていた遊だが。
召喚されてから王女が誘拐されるまでの間、遊が接した限りではあるが使用人も貴族も他の王族も、少なくとも本人の前では誰もが第三王女の事を"王族の一員"として扱っていた。
嫌われているとしても王族に相応しい部屋に住んでいるのだろうと、この時はまだ、そう思っていた。
幽閉塔の最上階。
手紙を読んで相手の指示に従うか逆らうかを決断する前から護衛と同様の基準で選ばれた騎士が配備されており、異常は無いとの伝令も来ていた。
「ご苦労さん」
扉の前で待機している騎士の無言の敬礼に見様見真似の返礼をした遊は、思えばこの世界に来てから初めて女性の私室へと足を踏み入れた。
日本では……と余計な事を考えそうになった思考を途切れさせたのは、踏み入れたその部屋が、王族の部屋にも女性の部屋にも見えなかったからだ。
遊の第一印象は、会社の仮眠室。
しかし知らぬ間に誰かの私物が増えていた仮眠室と違い、この部屋には見るべき物が少なすぎた。
コンクリートにも見える石材剥き出しの壁、床、天井。
柵付きの小窓が一つ。
装飾が無くて古臭い木製のクローゼット。
机は引き出しがない物で本立てにラクール王国の歴史書、それとお香の器。
ベッドの上に乗る純白の上掛けと枕だけは良い布地を使っているようにも見えるが、この城の中でシングルサイズのベッドは、此処と使用人部屋だけだろう。
補足としてだが、この部屋以外は当然、使用人部屋すらも王城の一室として相応しい内装をしている。
水回りは塔内の別な場所にあるので生活感が薄れているにしても、だ。
この六畳ほどの小さな部屋が、ラクール王国、第三王女の私室。
「確かにこれは殺風景だ。とてもお姫様の部屋とは思えないな」
自分たちを召喚した高飛車なお姫様の姿を思い浮かべた遊には何やら思うところがあったらしく、態とらしい棒読みな台詞で騎士の反応を試してみた。
が、全員が無反応。
……いや、先ほどの壮年の騎士だけは遊の隣に立ち、遊がしたように部屋を見渡した。
「此処は確かに、王女様の自室であらせられます」
少しずれた回答だったが、その声に一抹の寂しさを感じ取った遊が黙っていると、その騎士は部屋の外に待機する騎士にも聞こえるような大きな声を出した。
「勇者御一行様の年長者と見込んで少しばかりお話が御座いますが、宜しいですかな?」
と、護衛らしからぬ様子で話し掛けてきた。
ラクール王国とガングリファン帝国の二ヵ国分しか経験は無かったが、国から護衛を付けられた際、こちらから話し掛けない限りは護衛と会話などした覚えが遊には無かった。
敵の待ち合わせ場所で、呑気に立ち話?
おかしいと感じた時には扉が閉められ、それに動じない他の騎士もグルだと判断した遊はすぐに、降参の意味を込めて両手を挙げた。
まさか騎士の中に裏切り者が。
王女誘拐、呪われた絵画……身内に内通者が居れば……。
それならば……いや、しかし……。
冷静を装いながらも遊の心臓はバクバクと鼓動し、こんな時だからこそ慎重に言葉を選んだ。
「敵さんと待ち合わせしてるんだけど?」
「心配ご無用。外には伝令の手違いか伝わっていないようでありましたが、時間の指定が書かれた紙が机の上に置かれておりましたので。少しばかりなら余裕が御座います」
護衛、警備、伝令もグル。
管理体制が甘い組織はこれだから。
召喚された中で唯一の社会人は、長い溜め息を吐いて諦めた。
扉の前に見張りを置いただけで武器を構えないところから察するに、目的は言葉通り、勇者の仲間との会話なのだろう。
諦めたらいっそ開き直れるもので、遊はこの対処に山を掛けた。
壮年の騎士から感じ取った寂しさを信じることにして、この騎士たちは敵ではない、と決め付けたのだ。
胡座を組んで座ると、膝の上で右腕で頬杖をつき、ムスッとした表情で立ったままの騎士にヒラヒラと手を振って促した。
「はいはい、お話をどうぞ」
壮年の騎士はその意外な行動に少しだけ驚いたが、周りの騎士に楽にするよう指示した後、頬杖はしないが返答のつもりで普段はしない胡座で座った。
「話の判る方で良かった。我々は戦うつもりがありませんでしたから」
そして騎士は自分たちを「王族信仰者」と名乗り、あくまで第三王女を擁護するだけで敵ではないと言った。
遊はギャンブルに勝利した。
・・・
死角から部屋を覗き見していたソラは微笑み、今回の作戦の成功を確信した。
「私が予想する勇者パーティーのキーパーソンは、ユウ・ヤスダ」
意味もなく取り出したフリップに意味もなくローマ字で「Yu Yasuda」と書き出し、意味は無かったので直ぐにフリップとペンを仕舞った。
そして王族信仰者が語る「呪われたギフトと第三王女の真実」に耳を傾け、その内容にニヤニヤ。
「さあ、それを聞かされた大人の対応は?」
盗聴と盗撮をしているようなものでスパイ感覚を楽しんでいたソラだった、が。
どうせなら女の子の部屋を覗きたいなぁと、改めて男しかいない部屋を見て、少しテンションが落ちた。
"王族信仰"というのは、その名の通り王族を信仰する者たちのことだ。
王族が王族足る由縁、建国伝説、選ばれた存在であるということを信じ、敬い、その血族を神や仏のように扱う者たちのことで、ラクール王国では最大の信仰対象であり、光の神を信仰する聖教会、勇者伝説といった異なる信仰や新しい文化を柔軟に取り入れることに優れた信仰である。
『魔の目』の警護及び監視役は、適当な者では手を抜くか丸め込まれてしまう。
第三王女の父親であり誰よりも第三王女を警戒していたラクール王は、ラクール王その人を信仰する熱心な王族信仰者である騎士に直接声を掛けて命令するという、これ以上は無いと自負する念の入れようだったのだが。
信仰心の高さ故にベルの術中に陥り、彼らは王から第三王女へと
その熱心な信仰の先を替えてしまい、勇者召喚を目論むベルの手駒としてよく働いてくれた。
そんな彼らの信仰を替えるのにベルが使った方法とは、よくある"真実の中に嘘を混ぜる"というやつだ。
当時、騎士や使用人の間で「消える第三王女の噂」というものが流れていた。
"掃除に来た使用人が部屋から出ていく王女を見送り、掃除をし終えた帰りに幽閉塔の出入口を見張っている騎士に王女のことを尋ねたら「姿を見ていない」と言われて、そこで忘れ物に気が付いて王女の部屋に戻ってみたら第三王女様が居て驚いた"。
という、真偽はどうあれよくある噂話の類い。
ーー今回、安田遊はそういった噂にこそヒントが隠されているのではと睨んで隠し部屋を探して地図を確認していたわけだが、隠し部屋というのは惜しくも正解していたのだ。
隠し部屋を造り上げた最初の賢者。
王城が建て直される度に隠し部屋を造り直した、その時代の賢者たち。
隠し部屋を見つけ、勇者召喚に関わった者たち。
彼らの手記と年代物の資料が残された、ベルという存在を作り上げた賢者の部屋。
自らの噂を知ったベルは当然、それを利用した。
世間話を交えて信仰具合を確かめる問答で合格した騎士だけを隠し部屋の前へと連れていき、何もないそこを確認させてから実際に隠し部屋に入るところを見せ、中から古びた本を持ってきて中身を確認させる、ただそれだけ。
『建国時に活躍した継承するギフトである』
呪いと呼ばれるギフトの真実が書かれた本を読ませ、少しでも可哀想な自分の理解者を増やそうという単純な手……なのだが。
その本はベルによってページが加筆されたり都合の悪いページを外してあったりする、信憑性の欠片も無い捏造本だった。
紙の片側に穴を開けて紐で綴じただけの古い本なのでページを付けるも外すも簡単で、古い白紙な隠し部屋に山積みされているから、問題は賢者の直筆を真似る手間くらいなものか。
ベルには丸一日が余るほどの時間があった。
怪しまれても本望と、ベルはこれでもかと捏造した。
『継承ギフトが王族の血に流れ、幽閉されている意味を考えよ』
『"帝国皇帝のギフトにも匹敵する力"を悪用されないようにするために敢えて悪名を流し、人を遠ざけた』
『ギフト所有者のみが入れる隠し部屋を設置した塔にて隔離し、その部屋に賢者と呼ばれる私の知識を全て詰め込み、それを真の王族として相応しき教養として後世に残す』
『ギフトに目覚めなかった王族はギフト所有者の身を守るための表向きの王族、云わば盾としての役割しか与えられていないが、彼らの血が未来の継承ギフトを産むこともまた事実』
『力が宿る場所、その目は全てを見通し、真実を話せる仲間を探し当てるだろう』
『国の危機こそ真のラクール王族が目覚める時ではあるが、それまでは爪弾き者でいなければならない。それはとても辛く苦しい人生であり、死ぬまで陽の目を見れないこともあるだろう』
『しかし、その全ては王国の為。その力の所有者ならば、真の王族ならば折れることは決して無いと、賢者である私は予言する』
ベルにとっては幸運なことにラクール王国では情操教育、一般教養、騎士採用試験などと王族信仰が基本として含まれているところが多く必然的に王族信仰者の総数が多く、その肝心要の王族信仰の中身が実にフワッとしていたがために、付け入る隙は存在していた。
ーーだからといって仕掛けた騎士の全員が手駒になるというのは予想外すぎて。
ベルが演技を疑うのも至極当然であり、混乱を望んでいた身としては実に退屈だった。
第三王女派と現王派が殺し合うというのも面白そうだと思っていたのにと、ベルは自らの手で仲間にしたはずの彼らのことが嫌いだった。
何かあれば簡単に裏切るという実績があるのだから信頼も信用もしてはいなかったし、今回の作戦がなければソラに教えることもなかっただろう。
時間の指定と一緒に簡単な指示をベルの字で書けば、彼らはその通りに動いてくれた。
熱く信仰について語る壮年の騎士と対称的に冷めた目をしている安田遊の姿に自然と笑みが浮かびそうになるのを我慢していたソラは、そろそろ次の用意を始めようかと手を動かし、ふと、手を止めて遠くを見た。
「あっちもそろそろかな?」
ベルが、もう一人のキーパーソンと対峙している頃だ。
手を進めながら直前になって発覚したイレギュラーをほんの少し心配するソラだったが。
このソラちゃんに抜かりはない。
それにベルだし、と。
こちらも時間が来たので、ソラはあちらの心配を止めて次の行動を開始した。