勇者、吟遊詩人と出逢う
広大ではあるが他国よりも治安が良くて難所が少ないガングリファン帝国を勇者一行だけでの旅の練習台として、北公国から順に半時計回りで巡っている途中だった勇者一行。
そんな旅も、ラクール王国から旅立つ際に国王と交わした「祝祭への参加」という約束に従って北公国だけで中断し、一路、王国がある西を目指すことに。
元より公国を巡りきる前に王国へと向かう予定ではあったが、あれやこれやと「勇者の宿命」に巻き込まれまくったせいで、本来なら西公国から余裕を持って帰るはずが北公国から急いで戻る羽目に。
初代勇者から十代目という節目の勇者。
大事な祝祭に間に合うよう、ラクール王国を目指して目下、暴走していた。
……そう。
何故か、暴走していた。
草木生い茂る深き森を最高速で駆け抜けた一台の馬車は、奇跡的な幸運と体格に恵まれ、障害物にぶつかることなく舗装された道へと飛び出すことに成功した。
馬車は、戦場を駆け抜けたかのように傷付いていた。
日本より召喚された一人の「物作りのギフト」によって新品同然で維持されていた立派な箱馬車も、今回の暴走だけで見るも無惨なほどに傷み、特にタイヤ周りは、素人目に見ても走っているのが不思議な程に壊れていた。
馬車なのだから当然ではあるが、暴走しているのは「ただの木製の箱」ではなくそれを牽引する動物の方なのだが、これがまた質の悪いことに馬ではなく、ランドリザードという亜竜。
つまり、魔物が暴走しての惨事。
温和しく、雑食で、見た目に反して少食、何よりも人に懐くという生態から、数は少ないものの家畜化され、馬の上位互換として幅広く活躍している珍しい魔物、ランドリザード。
活躍の分だけ値段が跳ね上がっているせいで目にする機会はあまり多くは無く、お金持ちの代名詞である貴族ですら馬車を引くのは馬が主流のままだったりする。
本物の竜ではない、形が似ているだけの亜竜。
だが生物の理から外れた魔物としてのパワーとスタミナは他の生物とは比較にすらならず、それこそドラゴンくらいとしかまともな勝負にならないほどで。
全速力を維持したまま馬車引っ張ってフルマラソンを軽くオーバーランできる生物など、少なくとも地球上には存在しないだろう。
馬鹿げたスタミナと人の胴体ほどの木なら平気で薙ぎ倒すパワーのせいで、馬ならば疲労か事故でものの数分も持たずに止まるはずの暴走が、とてつもなく長引いていた。
「きゃああ!?」
御者席で振り落とされないよう手綱を命綱代わりに握り締め、衝撃の度に悲鳴を上げるだけの装置になっているのは宮本八子。
ギフト『雷集の守』を持つ、勇者一行の火力担当魔法使いであり、ランドリザード暴走の原因でもある女子高校生だ。
馬車を普通の馬が引っ張っていた頃から御者の経験を積んでいたので、異世界召喚のため長期休学中の現役女子高生が御者をすることにも特に問題は無かったはずだったが。
よりによって電気を扱うギフト所持者が牧場で受けた「ランドリザードの鱗は電気に弱く、静電気ですら嫌う」という指導を忘れ、ランドリザードの背中に止まった虫を追い払おうとして何気なく指先から紫電を飛ばした結果が、これだ。
正面から来る風や枝や諸々から目を護るため、両腕で顔を覆って瞼をキツく閉じていた八子は、道に出たことにもまるで気付いていなかった。
それでも肌で感じる空気が森のジメジメしたものからサラッとしたものへと変わり、枝葉が体にぶつかることも、枝葉が車体に擦れてかき鳴らしていた不愉快な騒音も消え、瞼越しに屋根状の森で隠されて感じることがなかった光を感じたことで八子は恐る恐る、腕の隙間から片目を覗かせてみた。
左右に壁のような森が聳え、遠くの青空まで真っ直ぐに続く土の道。
人気のない街道のド真ん中を、最高速で走る暴走馬車。
暫くは障害物の心配がなくなり、振動はまだまだ凄いが、道が均されている分だけ遥かにマシになった。
遊園地の絶叫系アトラクション大好きな宮本八子としては、怪我の心配さえ無くなればこの状況と景色を楽しむ余裕すら生まれてくる。
……背後の壁越しに聞こえる仲間の「人前では出していけない声」と、車体下からの嫌な音を無視すれば、だが。
──ほっとしたのも束の間。
開けた視界の先に人らしき影が見えたことで、八子は体の痛みや疲労も忘れて前のめりになって前方を注視し、それが人だと確信すると、今日の悲鳴の中で一番大きな叫び声を上げた。
「よけてえええええぇ!」
ランドリザードの鼻息と足音。
タイヤの悲鳴。
少女の叫び。
──そんな溢れる雑音の中でも確かに聞こえたハープの音色に、ランドリザードの動きが微かに鈍った。
・・・
「役職名バード、勇者救出に成功しました」
止まった暴走馬車の荷台から転げ落ちるかの如く勇者と仲間が飛び出し、胃の中身を全て吐き出している頃。
上空、雲の下。
何も見えない、何も無いはずの空中から女性の声が聞こえた。
近付いてみれば複数人の息遣いや気配を感じ取れなくもないが、そもそも近付けないような空の上。
「内臓か脳を痛めているかもしれん。全員に薬を飲ませるようバードに指示し、観測班は回復の経過に注目」
「伝達……バード、了解しました」
「追跡班、魔物の掃討を完了して警戒に移ります」
「ハンターを乗せた乗合馬車が進行方向より向かっています。この場に留まっていた場合、合流は半刻後予定」
「『命掌』の発光現象を確認。自己回復を計っているようです」
一人や二人ではなく、さらに別部隊まで。
「……アヤ・ミズモリに薬を渡すのは可能な限り遅らせろ。観測班、支給された薬とギフト、どちらが早く効果を現すか見逃すなよ」
帝国情報部の勇者対策チームである彼らは、幹部クラスである隊長を筆頭に『範囲内の姿を消し去るギフト』、『空中に透明足場を作るギフト』、『望遠のギフト』、『情報伝達のギフト』、『遠耳のギフト』などの情報部主力のギフト所持者、その中から特に腕利きを中心に結成されたエリート集団である。
これだけの集団を纏めて一つの任務に固定してしまうのは人員豊富な情報部といえども厳しいものがあるが、それだけ帝国が勇者を重要視しているということでもある。
……但し今回は、援軍に頼らざるを得なかった。
隊長である男は自分の手が僅かだが空いたと見ると、手持ち無沙汰にしている援軍に頭を下げた。
「助かりました。自分達だけでは勇者の馬車を止められたかどうか」
踏み抜いたら穴が空くのか、それとも足場全体が消えるのか。
そんな事を透明な床を見ながら考えていたソラは、畏まった隊長さんに片手をひらひらと振る。
「気にしない気にしない。こっちとしても勇者にもっと構いたいけど目が足りないから状態だから報せてくれるだけでも有り難いのに、何だかんだで雑用まで任せちゃってるし」
雑用というのは行く先々の魔物の排除、無用なトラブルの回避だ。
情報部調べだと勇者には常人の十倍以上の頻度でトラブルが舞い込んでくるらしく、その中でも勇者じゃなくても解決出来そうなものに関しては情報部が先回りして解決、或いは排除して回るのがこのチームの最も多い仕事である。
今回のランドリザード暴走も当初は現場でどうにか出来ると考えられたが、どの方法でもランドリザードが死ぬか大怪我をする可能性が極めて高く、旅を急いでいる勇者から足を奪っていいものかと現場は困惑。
条件は厳しいが遠距離とも通信可能な『情報伝達のギフト』で本部に訊ねてみた所、「どうにもならない時のソラ頼み」と言わんばかりに情報部長のグリモワール経由でソラに話が行き、勇者一行が大変と聞いてソラ参戦。
情報部のエリートなだけあってこの場にいる全員が「仮面の子供」と会ったことはなくても知識として知っていたが、どこからともなく飛んできては姿を消した面々に当然のように話し掛け、怒りを鎮めるという不思議な楽器を接触役の部員に手渡し、念のためにとポーションも配り、スピード解決。
この程度では実力が計れず、しかし計る術も必要も無く。
ソラは新品のグリモワールを取り出すと、隊長さんに渡した。
「これは……」
受け取った隊長は勿論、このトンデモアイテムの事も知っていた。
いつでも所有者同士で長距離連絡可能な、情報部垂涎の便利アイテム。
いつかは欲しいと思ってはいたが、こうもあっさり手には入るとは。
「勇者一行に何かあったら連絡して。んじゃ、私は忙しいから帰るね」
仕事は終えたと言わんばかりに黒い渦に消えた子供だが、本の使い方、余ったポーション、そして魔物の暴走をああも簡単に止めてしまった楽器。
開けば使い方が載っていたグリモワールを使って会話をする事には成功したが、ソラには「ポーションも楽器も好きに使って」とだけ言われ、情報部長からは「紛失と情報の拡散に注意して有効活用せよ」と。
グリモワールで薬と楽器について詳しく聞けば、どんな怪我や病気でも治してしまうらしい万能薬と、鳴らせば魔物に襲われないどころか戦争すらも止めてしまうという謂われがある楽器というか神器。
使えば噂が流れることが必然であり、捨てるなんてことは有り得ず、使わないで持ち歩くにはかさばるし、勿体ない。
「どうしろというのだ……」
勇者監視の他、情報すら流出してはいけない道具の管理という任務を何故か請け負ってしまった隊長。
長い事、胃痛に悩まされたという。