お米の令嬢
章名『ソラと愉快なスカウトキャラバン』にて、タイトル詐欺になるほどバッサリと没にした部分その一。
◇あらすじ。
帝国皇帝から山に囲まれた土地を貰い、ソラが帝都を散策して移住してくれる人集めをしている所。
騎士と隠れんぼしてたり、メイドを勧誘したり。
ベルは城で禁書読み。
男爵令嬢編。
主導者の血を幾度と無く変えながら此処まで続いてきた帝国の長い歴史で、家が生まれてから一度も改名することなく、血を失っていない希有な貴族が存在する。
ダッセル男爵家は所領がド田舎の島ゆえに爵位を上げる機会は無かったが、同時に失う機会も訪れず。海を挟んだ近隣貴族がヘマして一時的に大陸に領が広がったり、新しい貴族が治めることになったから返還したりを繰り返しながら脈々と代を重ね。
気付けば、第八十代ダッセル男爵が目前に迫っていた。
数ある爵位の中でも下の方である男爵家でありながら帝国から用済みと言わんばかりに取り消されることも他の貴族から恨まれることも無かったのは、島という不便な土地と、特殊な作物のお陰。
何故かその島でしか上手く栽培することができない不思議な作物、稲。
勇者の故郷の味だということが分かって以来、常に安定した需要があるダッセル家の象徴である。
ダッセル男爵一家は今、領地を離れて帝都に足を運んでいた。
当主の仕事と、娘の社交界のためだ。
鼻をぴくぴくとさせる仮面の子供。
「お米を炊いてる匂いがする」
帝都を宛もなく飛び回っていたソラは、お昼時の匂いに釣られ、犯罪意識も無く一軒のお宅へと侵入していた。
お米は既に帝都のお店で入手済みでその存在も知ってはいたが、この辺りの人はあまりお米を食べないらしく、帝都でお米を炊く香りが漂ってきたのは初めてのこと。
スキルで気配を消し、堂々と廊下を歩いて炊事場を目指す。
民家にしては大きいが貴族のようなド派手さは微塵もなく、民間企業でそこそこの役職持ちだった人が定年後に建てるような広々とした一軒家、といった印象をソラは抱いた。
部屋数も少なく、匂いの大元にはすぐ。
近付いて聞こえてきたのは釜が煮えたぎる音と、何かが弾ける音。
それと、女性の鼻歌。
「ふんふーん♪」
廊下から部屋を覗くソラに背中を向けた若い女性が、日本ではキャンプ場か伝統に拘る飲食店くらいでしか見かけなくなった薪を使った竈の前で、手振り付きで鼻歌を唄っていた。
弾けるのは薪の音。
取りあえずソラは、ゲームシステムでムービーを撮影。
そのソラの背後から、にょきっと顔を出す年配の女性。
「わたしの娘、かわいいでしょ?」
「うん、かわいい」
突然の第三者にも驚かず、撮影に集中。
ソラの肩越しに顔を出して一緒に背中を見守るご婦人に賛同し、部屋を覗いたまま背後に立つ尋ねる。
「もしかして此処、ダッセルさんちですか?」
「ええそうよ、かわいい侵入者さん?」
身振り手振りに小さなステップまで追加して踊りだした女性を二人で扉の陰から眺めながら、ソラは書状を取り出して肩まで上げ、背後のご婦人はそれを受け取って封蝋を確認。
皇帝が、ソラに協力してくれるであろう有力者宛てに直筆で書いた紹介状。
ソラには有力者の名前と役割、大体の住所、女性の有無だけが伝えられている。皇帝は理解しすぎである。
「あら、皇室の」
一目見て疑わないのは、封蝋に何か秘密があるのだろうか。
鼻歌から歌詞のある歌に変化した娘の後ろ姿からも流石に目を離し、さっと開けて中の文を読んで、頷く。
念のため二度読みしてから、熱くもなく一瞬で消える魔法の火で手紙を燃やした。
「お城に侵入して姫様と仲良くなったから未開拓地を譲ったと書いてあるけど、本当?」
「うん、何とか伯爵の東にある山脈の内側」
ご婦人が知る帝国で東の山脈といったら、シレント地方の霊峰。
生身の人が生きられないほどの高度がある上、無酸素状態に順応した凶暴な魔物が生息することで登頂不可能と言われる山が一つではなく複数連なる山脈。
それと、一匹で歴史に残る大事件。子供でも大型船を沈める化け物クラーケンが大量に生息する海域に挟まれた、謎に包まれた土地。
書状には「簡単な住居は用意してあるそうなので信頼できる人員の紹介も可能なら」と書かれていたので、どうにかして誰でも山越えできるルートを開拓したのだろうと、ご婦人は思い込んだ。
実際の所はソラだけが使える魔法で閉じた土地に送られる、ソラ以外には脱出不可能な天然牢獄なのだが。
ご婦人は興奮した様子で、あの土地の“伝説”をソラに尋ねてみた。
「オーガ族秘伝のお肉は本当にあるのかしら!」
興奮からか声が大きい。
「お母さん!?」
釜の前で踊っていた女性は背後から聞こえた母親の声に驚いて飛び跳ね、慌てて振り返った。
そして仮面で顔を隠した知らない子供と目が合い、瞬間、自分の今の今までの行動が脳裏を過ぎって悶えた。母親だけでも恥ずかしいのに、知らない人にまで見られて聴かれて。
それでも釜をちらちらと確認するのは流石だ。
そんな様子も撮影しながら、ソラは思い返す。
ソラとオーガ族と千葉さんが顔を合わせた、あの日。
ベルを麓の街に滞在させ、一っ飛びして、白龍ツィーバを山頂でワンパンして、オーガの村に降りたら乱闘が始まって。
オーガ族と千葉さんが和解して、宴会みたいになって。
確かに、美味しい肉を食べた気がした。
あの時は「外で食べる料理は美味しい理論」だと思っていたソラだが、言われてみれば特別なお肉だったのかも、という気になってきた。
お米の香りがする部屋でお肉の話題を出せば、口の中がすっかりお肉の気分に。
「ちょっと待ってて」
ソラは撮影を止めると、ゲートを開いてぴょんとオーガ村に跳んだ。
オーガ村ではその時、村の外周で農作業をしていた男性オーガが黒い渦を発見し「あの子が来るぞ!」と村に向かって大声で叫んだ後、無謀にも挑んだあの時の古傷が疼き、膝を着いた。怪我の治療は完璧だったが、精神的な傷はまだ癒えない。
まだ襲撃の衝撃から抜け切れていない村人は慌てふためき、村長宅に連絡を、宴会の用意をした方がいいのか、いや大した用事ではないだろう、もう一度戦ってみたい、馬鹿だろお前といったやり取りが彼方此方で交わされる大混乱。
数週間も経てばソラに慣れて見られなくなる、オーガ族の初々しい光景。
ゲートの先、村の畑に膝をついた男性オーガが居たことにソラは首を傾げたが、民族的な行動なのかなとこれをスルー。
何故か集まっていたオーガの皆さんに挨拶をしたソラは村長に特別なお肉のことを尋ね、これまた何故か準備されていた塊のお肉をその場で譲り受けると、お礼にいつか持たせてみたかった武器『鬼の金棒』をプレゼント。
良い隣人を持ったとソラが満足してゲートに帰った後、村長が試しに一振りした棍棒が地面に当たって小さな地震を起こしてパニックになったりもしたが、この程度のことなら驚けなくなる未来がオーガ族には待ち受けている。
軽く木に当てただけで木の実がボトボト落ちて収穫が楽になると評判になるまで、そう時間は掛からなかった。
・・・
仮面の子供が中に消えた黒い渦に手を入れて遊ぶ母親とそれを止める娘の前に帰ってくると、大きな葉っぱに包まれたお肉を母親の方に差し出した。
「貰ってきた」
ゲートから肉へと意識が逸れた母はそれを抱えて調理のために走り去り、娘は母親の奇行に驚きながらも、意識は目の前の子供に向けていた。
怪しすぎる。
仮面で顔を隠し、性別も判らない。
魔法かギフトでよく分からない黒い何かに入ると消えて、出てきたらお肉?
──お肉を取ってくるまでの経緯を知らない娘は、皇帝の手紙のことを知らない。
ついでに撮影されていたことも、当分の間は知らない。
訳が分からなかった。
「ねえねえ、名前なんて言うの?」
社交界で気安く声を掛けてくる性欲丸出しなお坊ちゃまのような雰囲気を感じ取り、娘は黙る。
性別からして違うのだが、女性声優が出す少年声な上に仮面を付けているソラの性別を判断することは難しいので無理もない。
母親が戻ってくるまで黙っていようとしたのだが……。
「好きなご飯のオカズは?」
「脂の乗った魚の塩焼き」
はっ、として子供を見る。
思わず返事をしてしまったことに驚愕し、相手がただの子供ではないと悟る。
私が無類のご飯好きだと、どうして知っているの……?
──釜の前であれだけウキウキしていれば、誰だって「ご飯が好きなんだろうなぁ」と思うだろうに。
「魚かぁ。今日はもうお肉の口になっちゃってるけど、次の機会があったら海鮮丼とか鉄火丼とかお寿司とか」
海鮮丼は分かるが、鉄火丼とは?
「ロープで千葉さんに網を付けて海面すれすれを飛んでもらえば擬似的な船引き網になるから、こっちで漁も……」
それとお寿司。
……寿司!?
「あなた、寿司を知ってるの!?」
「ん?」
寿司。
それは、稲穂の産地だからと数々の勇者がダッセル男爵家に伝えたレシピの中で、未だに完璧な再現がなされていない幻の料理。
勇者の中には自分で作ろうとした者もいたと伝えられてはいるが、酢が違う、王道のネタがない、醤油が、山葵が、ガリが、握りが、と。
酢で味付けした白米に魚の切り身を乗せるだけだと伝えられているのに、どうしてかどの勇者も納得しなかったという不思議な料理。
それは魔法的な何かによって勇者の世界でなければ作れないのではという者もいれば。召喚された勇者の中に料理人はいなかったのだから単純にレシピが間違えているのではという者。そもそも料理のレシピではなく、私達に何か暗号を残したのではという者まで現れた。
「お寿司、食べたいの?」
地球にいた頃から家でお料理をしていたソラは家庭料理レベルではあるが、寿司酢から酢飯、自家製のガリくらいなら作れる。
チューブで妥協もいいが生山葵はお取り寄せすればいいし、鮫肌のおろし器も自宅にある。
握りは見様見真似だが、スキルの影響で器用になった今ならより最適な握りも可能だろう。
わざわざ作らなくても最悪、ゲートで地球に行って寿司屋で買ってくればいい。
ソラにとっては馴染みの料理も、所変われば品変わる。
日本ではピンからキリまである贅沢品である寿司だが、異世界では、特にダッセル男爵家にとっては一族の悲願。幻の料理。
「食べたい!」
「でも今日はお肉だから、予定が決まったらこれで教えるね」
友情のグリモワールをさり気なく手渡し、ソラの個人ミッションは成功。
二人で釜を見ながらグリモワールの使い方を説明して、ソラは焼き肉と白米がメインの昼食をお相伴に与り、後日の約束をして笑顔で別れた。
アリーナ・ダッセル。
怪しいと疑うも、寿司の話題で呆気なく懐柔。




